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人に焦がれた獣のソナタ……  作者: 物部がたり
第二章 過去編 名前のない獣たちは……
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case118 赤色に染まった白銀の世界

 肌寒かった――。

 澄み切った空気が肌にまとわり、周囲は白銀の世界になっている。ニックは自分の肩をさすりながら、白い息を吐いた。吐いた息の粒子が見えるほどハッキリしていて、空に舞い上がる。


 これほど寒いのに、これほど鮮明な世界なのに、この世界は贋作(がんさく)だった。そうこの世界はニックが見ている夢の世界。


 いつもは灰色がかった世界が、真っ白い雪に覆われて輝いていた。けれど、空は厚い雲に覆われていつも以上に鬱蒼としている。


 そして目の前に点々と赤く染まる雪が足跡のように、ニックの周辺に広がっていた。まるで赤い雨が降ったように、ぽつぽつと周辺に赤いぶち模様をつくっていた。


 人が倒れている。倒れた人を確認すると、ニックは悟った。この赤い点々は空から降った赤い雨なのではなく、人間から降り注いだ流血であることを……。


「あなたもわたしを裏切るのね」


 背後から雪のように冷たい声が聞こえた。身震いしてしまうほど、冷たい声だった。ニックはゆっくりと振り返り声の主を目視する。


 そこには白い少女がいた。背後の雪景色と同化してしまいそうなほど白い少女がいた。長い銀色の髪に血の気がない白い肌。


 そして白いワンピースのようなゆったりとした服を着た少女。

 少女の顔についた血しぶきが、異様に赤々と存在感をあらわす。


「あなたまでもわたしを裏切るのね」


「おれがきみを裏切る……?」


 ニックは少女のいっていることの意味がわからなかった。いったい何を言っているのだろう? どうしておれがあの子を裏切るのだろう……と。


「すべてを忘れてしまったのね。無理はないわ。獣に心を乗っ取られてしまったのだから」


「獣に心を乗っ取られた……? きみは何を言ってるんだ?」


 そうつぶやいてからニックの頭に、ふと断片的な映像が流れた。

 白い部屋だった。しかし思い出された部屋は、真っ赤な流血に染められ異様な空間を作り出していた。


 その部屋に自分がいた――。自分が見ている記憶の中で自分を俯瞰している。自分は放心状態でたたずんでいた。


 どうして自分が放心状態で立ち尽くしているのか、即座に理解した。自分の足元にはたくさんの人々が、倒れている。倒れた人はピクリとも動かない。


 動くはずがないのだ。倒れた人々を囲うようにして、真っ赤な血が白樺の床を真っ赤に染めているのだから。


 自分は走り出していた。廊下も、リビングもどこもかしこも動かぬ人が転がり、真っ赤な川を流している……。


「思い出した?」


 意識の中から呼び戻され、ニックは正面の少女を見た。


「あなたがやったのよ」


 何を言ってるんだ……? ニックは瞳孔が開き切った目で少女を睨むように見ると、少女はおかしそうに微笑んで血の気の失せていた頬にかすかな紅が差した。


「何言ってんだよ……? そんな嘘つくなよ……」


「嘘じゃないわ――あなたが殺したのよ。あなたが暴走して殺したの」


「暴走……? だから何言ってんだよ……?」


「あなたの頭でもわかるようにかみ砕いていうと、あなたが獣に心を乗っ取られて殺したのよ。やっぱりあなたは贋作なのよ。贋作は本物には敵わないの」


「だから……何言ってるんだよッ! 全然わからないよッ!」


 少女はニヤリと笑った、けれどもその眼は笑っていなかった。


「べつにわからなくていいことよ。あなたはわたしを裏切った。たった二人だけの仲間を裏切ったのよ。裏切り者には死を――」


 そういって少女はゆっくりとニックのもとに近寄ってきた。雪を踏むギュギュという音を立てながら(わだち)を刻む。


 少女が前進した分だけ、ニックは後ろに下がった。

 そのとき、どこからともなく「逃げてッ!」という甲高い女性の声が聞こえた。


 微笑んでいた少女の顔からは笑みが消え、ナイフのような視線を声のした方向に向ける。つられるように、ニックも声の方を向いた。


 教会の正面扉の前に、黒いローブを赤黒く染めた女性がとびらにもたれかかり立っていた。今にでも崩れ落ちそうで、立っているだけでやっとという姿だった。


「あなたがやったんじゃないッ! あなたは止めようとしてくれたのよッ!」


「まだ生きていたのね」


 少女はニックの方に向いていたつま先を女性の方に向けた。

 

「あなたはその子から私たちを助けようとしてくれたのよッ!」


 女性は途切れる声を絞り出し、叫ぶ。

 

「うるさい女ね」


 少女は憎々し気に眉間にしわを寄せて、女性のもとに迫る。


「あなた達がいけないんじゃない。わたし達を利用するから。(ばち)が当たって当然だわ」


「そのことは本当にごめんなさい……私にはどうすることもできなかったの……本当にごめんなさい……」


 心の底から絞り出すように痛みに満ちた声で、女性は謝る。ニックにはどうして女性が謝っているのかわからなかった。


 そうしている間にも少女は女性に刻一刻と歩み寄ってゆく。


「それ以上来ないでッ!」


 そういって女性はハンドガンを胸元から取り出して、少女に構えた。少女は怯むことなく、歩みを止めない。


「そんなものがわたしに効くと思ってるの? わたしを銃の効かない怪物に変えたのはあなた達じゃない」


 自嘲するように少女は、笑った。


「早く逃げてッ!」


 女性のその声が自分に向けられていることを、ニックは理解した。けれど、女性を置いて逃げていいのだろうか……?


 状況もわからぬまま、ニックは選択を迫られた。

 

「逃げてッ!」


 もう一度女性は叫んだ。その声を合図にするようにニックは二、三歩後ろに下がり、前方を向いて無我夢中で走り出した。背中を押されているように、ニックは走った。


 全身がバネになったように速かった。

 雪の高原をニックは駆け抜けた。何も考えず、ただ真っすぐに走り抜ける。まるで雪山を駆け抜ける一匹の狼になったように、ニックはただ走り続けた。


 肌をなでる風は冷たく、足裏に触れる雪も凍るように冷たい。この世界は()てつくように寒かった――。


  *


 肌寒かった――。肩をこすり体を丸めた。

 そのとき誰かのくしゃみが聞こえた。


「さみぃー……」


 カノンの声だた。とびらに唯一付いている小さな窓から、少しの灯りが漏れている。


 閉じ込められたまま一夜を明けた。

 もし冬場なら凍え死んでもおかしくないほどにこの懲罰房は寒かった。地下だからなのか? 石造りの壁のせいなのか? とにかく寒かった。子供たちは体を寄せ合い、寒い一夜を明かしたのだ。


 そのときコツコツという何者かが階段を下りてくる音が聴こえた。子供たちは一斉に体をこわばらせ、心の準備を整える。


 重い音を轟かせながらゆっくりととびらが開き、新鮮な空気が懲罰房の中に流れ込む。


「皆さん――反省しましたか」


 タダイ神父の無機質的な声で、子供たちは眠気を覚ましたのだった――。

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