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人に焦がれた獣のソナタ……  作者: 物部がたり
第二章 過去編 名前のない獣たちは……
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case117 ヴュリューケの想い

 月の光が影をつくり姿は見えないが、その声はたしかに聞き覚えがあった。低いけれど澄んでいる。聞き取りやすさに重点を置いたような声――。


「執事のおっさん……」


 その人物はピエール議員の執事をしていた初老の男だった。

 髪には灰色が混じり、しっかりと撫でつけられ後れ毛一本とてない。いつもほつれ一つない綺麗なスーツを着ており、初老とは思えないほど背筋が伸びている。


 高い鷲鼻の左右には彫刻刀で彫ったような深い溝があり。その溝に鋭い光を宿す眼球がはまっている。見るからに仕事ができそうな男だった。


「お待ちしておりました」


 執事は何を言っているのだろうか? 聞き間違いだろうか。この状況なら“おまえ達は何をしているッ!„。というのが普通だろう……。


 二人は言い訳もいうことなく呆然と立ち尽くしていた。

 執事は二人が状況を理解できていないことなどかまうことなく、「久しぶりの再会、客間にお茶を用意させましょう。わたくしについてきてくださいまし」と両手を腰のあたりで組んで歩き出した。


 そこまで話が進んでから、やっと二人はこの状況の不自然さに意識が目覚めた。


「おいッ。ちょっと待ってくれよ。いったいどういうことなんだよ……? この状況なら『おまえ達は何をしているッ!』って怒るのが普通だろうが……?」


 キクマは立ち去ろうとする、執事の後ろ姿に言葉を投げかける。

 執事はピタリと直立して、振り返ることなくいった。


「詳しくはお茶を飲みながらお話します。まずはわたくしについて来てくださいまし」


 それだけ言って執事は再び月明りが差し込む長い廊下を歩きはじめた。キクマとサエモンはお互いに顔を見合わせて、執事の背を追う。


 客間に続くとびらから白球の光が漏れている。

 執事のあとに続き、客間に足を踏み入れると二人は眩しさに目を細めた。暗さに目が慣れた二人には、少しの灯りだけで太陽光並みの破壊力があった。


「それでは、そのソファーに座ってしばらくお待ちください。紅茶を用意してまいります」


 執事はソファーを示して、客間から出ていく。

 キクマとサエモンは一言もしゃべることなく、顔を見合わせて黒光りする革張りのソファーに腰を下した。


 いったいどうしてあの執事は、自分たちを待っていると言ったのだろうか。まるで自分たちが訪れることを予期していたようではないか?


 あの執事は誰なんだ? どうして、自分たちを待っているのだろう? 自分があの議員にはりついていたときは、それほど目立つ執事ではなかった。


 主人に言われた用事をつつがなくこなし、目立つことはない。だから、執事に関する情報は記憶にほとんどなかった。


 斜め前に座るサエモンも煮え切らない顔で、ぶすっと座って動かない。それからしばらくして、トレイを両手に持った執事が颯爽と客間にあらわれた。


「お待たせして申し訳ございません」


 執事はサッと頭を下げて、トレイをおいた。あれだけ早く歩いても一滴もこぼれていない。これが執事のなせる業なのだろうか。


 重い沈黙が流れた。執事は何食わぬ顔で自分用に入れた紅茶をすする。キクマとサエモンは紅茶の味などわからなかった。今一番気になっているのは、どうしてこのようなことになっているかだ。


 二人は執事が話を切り出すのを待つばかり。

 そして執事は一息つき、ティーカップをソーサーの上にゆっくり置いた。


「改めまして、わたくしはヴュリューケと申します」


「ああ、知ってるよ」


 キクマは素っ気なく言葉を返した。


「そちらの方はサエモン様ですね」


「どうして私の名前を知っているのですか?」


 するとヴュリューケという執事は上品に微笑みを浮かべ、「キクマ様から、あなたの噂を聞いておりました」といった。


「良からぬ噂を流していないでしょうね?」


 疑わし気にサエモンはキクマを睨む。


 キクマはぎくりという風に顔をこわばらせ、「まあ、その話は今かんけいないことだ」と話題を変える。


「今聞きたいのは、どうしてあんたが俺たちがここに忍び込んだことを咎めないのかってことだ?」


 キクマがいうとサエモンは即座に真顔に戻り、ヴュリューケを見た。

 

「わたくしはあなた達に渡したいものがあり、待っていたのです」


「俺たちに渡したいもの?」


「はい、あなた達が探しているものです」


「俺たちが何を探しているって言うんだよ?」


「この期に及んでとぼける必要はありません」


 そういって、ヴュリューケは懐から折りたたんだ紙切れを取り出した。


「あなた達はこの書類を探すために、ここに忍び込んだのではないのですか?」


「それは?」


 サエモンは話に割り込んだ。

 

「あなた達が探している書類です。あいつらに持っていかれるまでに、旦那様の机から抜き取っておきました」


「あいつら?」


「ええ、ジェノベーゼファミリーの手の奴らです。旦那様は奴らに利用されていました。手を切りたくても切れなかった。

 ことのはじまりはお坊ちゃんが奴らと関りをもってしまったことから始まりました……。お坊ちゃまの罪を隠すために、旦那様は奴らに多額のお金を渡していたのです」


 ヴュリューケは白くなりかけの眉毛を深刻に歪めた。

 

「そんなある日、奴らは旦那様と対抗関係にある派閥の先生に手を下したのです。このことをばらされたくなければ、自分たちに金を投資しろと迫ってきました。

 旦那様もはじめのうちは拒まれました。けれどお坊ちゃんを人質に取られてしまっていたので逆らうことができなかったのです。

 あんな息子でもたった一人の息子だったのです……。本当に旦那様はお坊ちゃんのことを愛されておりました……」


 そこまで言って、ヴュリューケは目頭を人差し指と親指で覆った。


「ああ、あの人は本当に息子のことを愛していたんだろうな。息子が死んだと知ったときの、落ち込みようを見ていれば誰にでもわかる」


「ええ、お坊ちゃんが亡くなった翌日旦那様のもとにある手紙が届きました」


「あの手紙か?」


 ヴュリューケはコクリとうなずき「その通りです。お坊ちゃんが亡くなったことで、旦那様を縛り付けていた鎖はなくなりました。あの日旦那様は奴らと手を切るために、出かけたのです」そこまでいって憎々し気に顔を歪めた。


「あの日、帰って来なかった」


「その通りです。奴らに殺されたのです……。そのことを知り、わたくしはすぐに奴らが関わっていた犯罪の物証を隠しました」


「それが、その紙切れってことか?」


「その通りです。ここには奴らが進めている非人道的な実験の詳細が記されています――」


 そういって、ヴュリューケは折りたたんでいた紙を開き数枚の紙きれを二人の前に滑らせた――。

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