case114 チトと子供たち
砂時計の砂がサラサラと流れ落ち、ガラスの中で小さな山をつくる。砂時計はゆっくりと落ち、三分を知らせた。
キクナは紅茶ポットを持ち上げて、三人分の紅茶を注いだ。琥珀色の液体が流れ落ちる滝のように、ティーカップに満ちてゆく。
「砂糖いれる?」
キクナは紅茶ポットをテーブルに置き、前方に座る二人の少女に訊いた。
「いれる」
ローリーは紅茶を一口飲んだ後に、小さな舌を苦そうに出していった。
キクナは微笑んで、ティースプーンに三杯の砂糖を入れてあげる。今度は苦くなかったようで、ローリーは日向のような笑顔を浮かべた。
「チトは?」
「おれはいい……」
「そんなこと言って、苦いの苦手なんじゃないの」
「大丈夫だよ」
そういって、チトは紅茶をすすり、苦そうに眉をしかめた。
「無理しなくても、砂糖を入れなさいよ。砂糖をいれた方が美味しいわよ」
「おねえちゃんも砂糖いれたら。甘くておいしいよ」
ローリーの顔を一瞥してチトは渋々と言うように、砂糖を二杯いれた。
「ね、砂糖をいれた方が美味しいでしょ」
「まあね……」
キクナは頬杖をついて、微笑んだ。
「それじゃあ、カノンって子たちが住んでいる場所はどこにあるか教えてくれる?」
「教えたって行くことはできないよ」
「行くことができないって、どういうこと? そんなに遠いの?」
チトは甘くなった紅茶を一口飲んでから、「いや、それほど遠くないよ」という。
「じゃあ、どうして行くことができないのよ?」
「入り組んでるから」
「入り組んでる?」
チトはうなずいた。
「うん、迷路みたいに入り組んでるんだよ。あいつらの住み家に通じる路地は」
「道順さへ教えてくれたら、迷いながらでも探せるから大丈夫よ」
「いや、無理だよ。路地なんかで道に迷ったら大変だし、それに出られなくなるかもよ」
キクナはそんなまさか~、と思いながらつぶやいた。
「まるで、ラビリンスね……」
「ラビリンス?」
「そう、ギリシャ神話にミノタウロスっていう怪物を閉じ込めていた迷宮があるの。その迷宮をラビリンスっていうのよ。
一度迷い込んでしまったら、もう二度と外に出ることができないくらいに広かったんだって」
「へぇ~。まあつまりそのラビリンスってやつだから、諦めた方がいいよ」
「諦めるわけにはいかないのよ……お願い案内してくれない。ね」
「嫌だよ」
「なんでよ……?」
「何でもだよ……」
チトは苦虫を嚙み潰したように顔をしかめた。
となりで様子を見ていたローリーがポツリとつぶやく。
「あのね……」
どう話を切り出そうか思案気味に、ローリーはいったん黙り込んだ。
「あのね……おねえちゃんは……ローリーのせいでその人たちに嫌われちゃったの……」
「やめろって」
チトが速やかに話を切る。
けれどローリーはやめなかった。
「ローリーのせいでおねえちゃんは、その人たちを裏切っちゃったの……」
「だから、やめろって言ってるだろっ!」
チトは椅子を押し倒さんばかりに立ち上がり、テーブルを叩いた。
食器がガチャンと鋭い音を立て、まだ少し残っていた紅茶がソーサーの中に流れ落ちる。
お客たちが目を白黒させながら、チトを見つめる。
騒ぎを聞きつけ、紅茶を運んできたウエイトレスが慌てて駆け付けた。
「どうされました……」
「あ……いや……」
キクナはウエイトレスに苦笑いを浮かべ、チトを見た。
チトは「ローリー行こ」といってそのまま店を出てしまう。
ローリーはキクナと姉の背中を交互に見比べながら、チトを追おうか思い悩んでいる。
「お金をここに置いておきます――。ローリー行こッ」
キクナは慌ててお金をカバンから出して、チトのあとを追う。
チトは店を出てすぐの街道をトボトボと歩いていた。
「ちょっと待ってよ。急にどうしたのよ……」
振り返ることなく、チトは先に進む。
「ちょっと待ってって……」
追いつき袖をつかんだ。
チトは立ち止まり、ゆっくりと振り返る。
「ほっといてよ」
「どうしたのよ……突然……ローリーだって困惑してるわよ」
「どうもしてないよ……」
「じゃあ、ちゃんと話してよ」
キクナはいう。
チトはうつむいたまま、黙秘を貫く。
ローリーがつぶやいた。
「そこにはおねえちゃんの昔の友達がいるの……。おねえちゃんはローリーを助けるために、その友達を裏切っちゃったの……」
言いながら感極まり、ローリーは涙を流しはじめた。
「だから……おねえちゃん……その友達に嫌われて……」
手の甲で涙をぬぐいながら、ローリーは語り続けた。
そのチャップとミロルという子を裏切ってしまったこと、裏切りざるをえなかったこと。四人で逃げ出す前日、そのことがリーダにばれてしまい、ローリーを人質に取られチトは裏切りざるをえなかったのだ。
「大丈夫だから、もうその子たちも怒ってないから。きっと、そのことをちゃんと説明したら、みんなわかってくれるから。ね」
「わかってくれるわけないだろッ!」
チトは大きくかぶりを振りながら叫んだ。
「裏切者を許すわけないだろッ! 少なくともおれなら絶対に許さない」
「わたしなら許すわ。わたしだって大切な人を人質に取られたら、チトのようにするから。
きっと、そのチャップって子も仲間が人質に取られたら、同じことをすると思う。だからちゃんと話に行こよ」
キクナはチトを抱きしめた。
「おねえちゃん……ローリーからもおねがい……あのときのことを謝りに行こうよ……。いつも、チャップたちのことを影から見てたじゃん……」
チトはローリーの顔を見て、キクナを見上げた。
「本当に……本当に……許してくれるかな……」
チトの声は次第にうわづり、震えた。
「本当に……謝れば許してくれるかな……?」
今までため込んでいた想いを涙と共に吐き出し、チトはキクナの胸に顔をうずめた。キクナはチトの頭をやさしくなでながら、「ええ、許してくれるわよ」と言った――。