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人に焦がれた獣のソナタ……  作者: 物部がたり
第二章 過去編 名前のない獣たちは……
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case113 懲罰房の悪霊

 いったいこの壁の文字は誰が彫ったのだろうか……?

 ランプの淡い光で照らされた、壁面は不気味な影を狭い部屋の中に張り巡らせた。


 どうして、こんなところにこんな不気味な文字が彫られているのだろう……? ニックは恐怖した、いや、ニックだけではない、子供たちはみな恐怖した。


「誰も読めないのかよ……」


 そういって、チャップはみんなの顔を見まわした。

 少年たちはいっせいに首を振る。そのとき、背後から足音が聞こえた。


「まったく、あなた達勉強してたんじゃないの?」


 とセレナが呆れたようにいった。

 

「勉強してたさ……だけど、今のオレたちが習っていない単語ばかりじゃないか……」


 カノンは言い訳するような口調でいうと「ふぅ~ん」とセレナは疑うような目で男子たちを見回した。


「まあ、いいわ。ちょっと、壁際を照らしてくれる」


 セレナは壁際に歩みより、カノンにいった。


「ああ……」


 カノンは言われるがまま、持っていたランプを壁面に近づける。

 デコボコに(へこ)んだ彫り込みに真っ黒な影をつくり、その文字はいびつに歪んで見えた。


「『私は深い眠りの中にいる。深い、深い、眠りの中に……』」


「え?」


 突然わけのわからないことをつぶやきはじめた、セレナにカノンは質問とも取れない声をもらした。


「ここにそう書かれてあるの」


「ああ、そうだったのか。続けてくれ」


 改めて、セレナは壁面に向き直った。


「『起きていることに気付かなければ、眠っていることと変わらないのではないか。

 意識が覚醒していようと、気付かなければ、眠っていることと何も変わらないのではないか』」


「何かの詩なのか?」


「わからない……」


 セレナも眉をしかめながらいった。


「まだ、あるわ。『呼ぶ。私を呼ぶ。私に何かを言っている。誰かが呼ぶ。誰かが私を呼んでいる。耳では聞こえない声が私を呼んでいる』

『私は目覚めた。暗い、暗い、視界が開き、私は目覚めた。これが私が生まれて初めて、持った記憶だ。暗い、暗い、記憶だ。

 私を産んだのは、獣と女だった。獣と人間の間に、私は生まれた』

『目覚めた、私は目覚めた。こんなに辛いのなら、目覚めなければ良かった。こんなに辛い世界なら、目覚めなければ良かった。

 こんなに苦しいなら、目覚めなければ良かった。辛く苦しい世界で私は目覚めた』これですべてよ……」


「で、結局どういう意味なんだよ?」


「わからないわ……。何かの小説の一節かも知れないし、ここに閉じ込められた、誰かが彫った呪いの呪文なのかもしれない」


 セレナが推測してみせると、チャップは言葉を継いだ。


「たぶん。ここに閉じ込められた誰かだろうな。わざわざ、こんなところまできて、こんな文章を彫って行かないぜ」


「そうよね……あたしもそう思うわ……」


 チャップはカノンからランプの灯りを受け取り、壁面を照らした。


「傷の具合から見て、彫られて相当経つな」


「そんなことわかるのかよ?」


 カノンは感心したようにいうと、チャップは照れ臭そうに頭をかいた。


「まあ、勘だけどな。ずっと昔、ここに閉じ込められた子供が、彫ったんだろう」


「どうして子供だってわかるの?」


 セレナも不思議そうに訊く。


「だって、子供しか閉じ込めないだろう、ここには」


「そんなのわからないじゃない。もしかしたら、何か失敗を犯した大人を閉じ込めていたのかもしれないわ。それで、腹いせに彫ったのよ」


「まあ、そうかもしれないな。子供とは限らない。だけど、問題はどうして、こんな文章を彫ったかだ。ええっと、なんて書かれてたっけ?」


 救いを求めるようにチャップはセレナを見た。


「『呼ぶ。私を呼ぶ。私に何かを言っている。誰かが呼ぶ。誰かが私を呼んでいる。耳では聞こえない声が私を呼んでいる』よ」


 セレナは答えた。


「ああ、そうだった。つまり、誰かが誰かを呼んでんだよ」


「そんなことわかりきってるわ。それに、耳では聞こえない声って彫られてるのよ」


「ああ……たしかにそうだな……。目覚めたか何か書かれていたよな。つまり、起こしてほしくないのに、誰かに起こされて、その腹いせに彫ったんじゃないか」


 セレナは「はぁ~」と呆れ果てた、ため息をついて、「本当に男は単純ね。起こされたくらいで、ここまで手の込んだことはしないわよ」という。


「まあ、たしかに、そうだよな……。じゃあやっぱり何か悪いことをして、ここに閉じ込められた奴がやったことさ。そうに違いない」


「たぶん、そうだろうけど……何だか怖いわね……」


 セレナは気味悪そうに壁面を見つめた。


「たしかに……不気味だよな……」


 セレナとチャップがそう漏らしたとき、カノンがからかうようにいった。


「ここに死ぬまで閉じ込められた、人間が彫ったものかもしれないぞ。飢えと渇きに苦しみながら、恨みを込めて彫ったんだ。

 そして、その人物は息絶えたんだよ。今もこの懲罰房の中には、この文章を彫った奴の怨念がうろついているかもしれないなぁ~」


「ちょっと……冗談辞めてよ……」


 いつものように怒ると思っていたセレナは、肩を抱いて弱々しくいった。


「どうしたんだよ? 怯えてるのか?」


 カノンは追い打ちをかけるように、セレナをからかうと「お、怯えてなんかないわよッ……怯えてなんか……」とそのとき、「バン」とカノンが大きな声で叫んだ。


 セレナはひッと割れた悲鳴を上げて、床にしゃがみ込む。


「ハハハ、やっぱり怯えてるんじゃないか。やっぱり、女は女だな」


 セレナは肩を抱いて、小刻みに震えていた。

 いつもは気の強いセレナでも、今回ばかりは言い返さない。


「おい」


 チャップは少し険しい声で、カノンにいった。


「何バカなことやってんだよ。女の子をいじめて楽しいのかよ」


「いじめてるわけじゃないって……ただ、からかってるだけだろ……」


「同じじゃないか。おまえは面白いかもしれないけど、やられている方はどれだけ怖いか、嫌か、考えてもみろよ」


 カノンはチャップから眼をそらした。


「ごめんな……セレナ……。ちょっとやり過ぎたよ」


 そうカノンが謝ると、セレナはゆっくりと立ち上がった。


「ええ、別にいいわ。ちょっと取り乱しただけ。もう大丈夫よ。ゴーストなんているわけないもの」


 セレナがそう言ったとき、ランプの灯りが揺らいだ。

 今度はセレナだけでなく、少年たちの表情も引きつる。


「ちょっと、また……やめてよ……」


「違うオレじゃない……それに、ランプを持っているのはチャップだ」


「ああ、オイルがもう切れそうなんだ」


 そういってチャップはランプの灯りを絞った。


「嘘でしょ……」


「本当だ」


「もし切れたら、真っ暗じゃないか!」


「ああ。もう、少ししかないから、ランプを切るぞ」


 返事を聞くまでもなく、チャップはランプを消した。

 今まで明るかった、懲罰房に再び闇が訪れる。

 目が闇に慣れるまで、子供たちは体を寄せ合いお互いの存在をたしかめ合った――。

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