case112 壁に刻まれた――
一筋の光も入らない、深海のような場所だった。
空気はピリピリとひりつくようで、ジメジメと陰湿だ。
今は物置代わりに使われているのだろう。壁側には木箱やら、小道具などが無造作に置かれている以外は冷たい壁がむき出しになっている。
「いったいいつまで閉じ込められなきゃいけねえんだよ……」
暗い懲罰房の中で、カノンの気落ちした声がした。
辺りは暗く、ハッキリとは見えないが輪郭だけは何とかわかる。
「今で何時間経ったんだ……?」
「わかんねえぇよ……。まだ、ニ、三時間くらいしか経ってないだろ……」
カノンの問いに、チャップが答える。
「まだ三時間くらいかよ……。オレ的には十時間くらい経ってるぜ……」
カノンはそういって、しゃべり続けずにはいられないように話し続けた。
「なんでこんなところに閉じ込められなきゃなんねぇ~んだよ……?」
「俺たちが無断で抜け出したからだろ」
「だからって、閉じ込めることないじゃないか……」
それほど広くない懲罰房内では、囁くよな声でも大きく聞こえた。
「嘆いてばかりいても仕方ないだろ……。俺たちにできることはただ待つことだけなんだから」
チャップは諭すようにいう。
カノンはここに閉じ込められてから、ひっきりなしにしゃべり続けているのだ。仲間を不安な気持ちにさせないために、カノンなりの気遣いなのかもしれない。
「だけど、結局ソニールはどこに行っちゃったのかしら……?」
今度はカノンの代わりにセレナが言葉をついた。
「わからないから、捜してたんだろ。あいつらのところには戻った訳じゃないようだし……」
チャップが言い渋ると、セレナは言いにくそうに続ける。
「あの子が言っていた。ここにいる子供たちはある日突然消えるって……どういうことかしら……?」
「だから、わからないっていってるだろ……それに、ソニールは消えたんじゃないさ。きっとどこかに隠れてるんだ」
「本当に……そうかしら……。もし、あの子たちが言ってることが本当で、子供たちが消えるのだとしたら……どこかに連れて行かれたってことじゃないの……?」
「連れて行かれたって誰にだよ……?」
「それは……」
セレナは聞こえるか聞こえないかくらいの、か細い声で答える。
「大人たちに……」
狭い懲罰房の中では、蚊の泣くような小さな声でも十分過ぎるほどに聞こえた。
「そんな訳ねえだろ……」
「だって、それ以外にないじゃない……この院には十四歳以上の子供がいないのも、それで納得できるわよ……。きっと、十四歳になった子供たちは……」
そこまで言ったとき、チャップはセレナの話をさえぎり、「もうやめろってッ!」と声を荒らげて叫んだ。
狭い懲罰房の中では、鼓膜が痛むほどの爆音になる。
「もうやめろって……そんなことあるわけないだろ……。あの人たちは俺たちを家族として迎えてくれたんだぞ……」
悲しそうにいうチャップにこれ以上セレナは何も言えなかった……。
それから、しばらくして、今まで沈黙をついていたミロルがポツリと言葉をついた。
「どうした……? ミロル」
「何か音がする――」
普段聞き取りづらいミロルの声は、この狭い空間ではよく聞こえた。
「音……?」
カノンはそう反復してから、「ランプを貸してくれ」とチャップにせがんだ。
「あんまり無駄遣いするなよ。いつ出られるかわからないんだから」
「ああ、わかってるって」
そう言いながらランプを受け取り、カノンは持っていたマッチで火を点けた。温かい光が、光の速さで懲罰房中に広がり、みんなの姿を映し出す。
壁際には木箱が積み上げられている。
モルタルのような壁はところどころ傷み、剥がれていた。
「音はどこからした?」
カノンは壁際を照らしながら、ミロルに訊く。
ミロルは木箱が積み上げられた壁際を指さした。
そのとき、今度は皆の耳に届くガサガサという音がたしかに鳴った。
「本当だな……」
カノンは気圧され気味に、つぶやいて木箱にゆっくりと歩み寄る。
そして、一番上に積み上げられている小さな木箱から順にどかしはじめた。木箱には雪のように埃がたまり、動かしたことにより舞い上がる。
カノンはせき込みながらも、確実に木箱をどかしてゆく。
一番下になっていた木箱は大きく、カノン一人の力では動かすことができないようだ。
「誰か手伝ってくれ」
カノンが協力を求めたので、ニックが名乗りを上げた。
二人で協力して、大きな木箱をどかすと、外壁が剥がれた壁とネズミの巣穴のような小さな穴があらわれた。
「なんだよ……ネズミかよ。ビックリさせるなよな……」
チャップは安心から、安堵の吐息をもらし額に浮かんだ汗をぬぐった。そのとき、ニックが低い声でつぶやいた。
「カノン……これなんだ……?」
「え? 何が……」
カノンは不思議そうに、ニックに視線を向けると、彼は壁を指さしていた。ニックの指さす方向にカノンはランプの灯りを向けると、気味の悪い外壁に彫られた文字があらわれた。
「これは……なんだ……」
カノンは割れた声を出す。
ボロボロに傷んだ壁には、文章らしきものが彫られていたのだ。
「わからない……。誰かが彫ったんだろうけど……」
ニックとカノンが呆然と立ち尽くしていることを不振がり、チャップが声をかけた。
「こっち来てこれ見てみろよ……」
「何をだよ?」
「いいから来てみろって……」
「何だよ、きみ悪いな……」
渋々チャップはニック達に近寄った。
「これなんだよ……?」
チャップもその文章を見た途端に、割れたような声を出した。
鋭利な何かで刻まれた、文字が壁一面をうめいている。
「なんて書いているんだ?」
チャップはいうと、ニックもカノンも首を横にふった。
「読めない」
男子勢は誰も壁に刻まれた文字を読むことができなかったのだ――。