case111 あなたの本職は何ですか?
月が綺麗な夜だった。
二人の男が乗った車が、人気のない街道を走っている。
時刻は午前二時、外を出歩いている人は一人もいない。仕事をするのには、絶好の条件だった。
走ること一時間、黒い車は物陰に停車した。
車体が黒いため、物陰に隠した車は闇に同化し見えなくなった。
「到着しました」
サエモンは後部座席で腕を組んでい男、キクマに告げた。
「ああ、それじゃあ。裏を取りに行こうか」
キクマはドアを開け外に出る。
屋敷の周辺には高いフェンスがあり、外部からの侵入を阻んでいる。
「どうやって中に入るというのですか?」
サエモンは屋敷のフェンスを見上げた。
「ピエール議員が死んだことで、屋敷の周りを見張っていたSPはいなくなっている。いまこの屋敷には、執事と数人の女中が切り盛りしている状況だ」
キクマは振り返り、楽しそうにニヤリと笑った。
「な、はいってくれって言っているようなもんじゃねえか」
「どこがですか」
サエモンは呆れ気味にいう。
「たしかに、屋敷の周囲を見張っているSPはいませんが、この高いフェンスに阻まれた、屋敷内にどうやって侵入するんですか?」
そこでキクマは立ち止まった。
「ここだ」
「ここって、裏門じゃないですか……。それがどう」
したのですか? と訊こうとしたとき、キクマはポケットから二本の針金を取り出した。
「何をするつもりですか……?」
「まあ、見てなって」
裏門の鍵穴に、キクマは針金を挿入する。
しばらくカチャカチャと針金を色々な方向に動かしていると、カチャ、という子気味良い音が鳴った。
「開いたぞ」
サエモンは未確認飛行物体でも見るような目をキクマに向けた。
「あなたの本業は泥棒ですか?」
「何言ってんだよ。俺の本業は刑事に決まってんだろ」
疑わしそうに、サエモンはキクマの眼を見つめる。
「それにしては、手慣れてましたね」
「こういうことは昔から得意なんだよ」
「どうして、こんなことが得意なんですか」
「まあ、細かいことはいいだろうが。こんな門前でもたもたしてると、人目についちまうぞ」
そういって、キクマは門をゆっくり開けた。
どうしてピッキングできるのか、話を深堀したいのはやまやまだったが、今はそれどころではない。サエモンはキクマに続き屋敷内に侵入した。
庭は動物園をつくれるのではないだろうか、と思えるほど広かった。
以前までは、SPたちが庭を巡回していたがピエール議員が死んでしまったことにより、監視の目はない。心おきなく、行動することができた。
「庭に入れたのはいいですが、どこから屋敷内に入るんですか」
「まあ、俺に任せてろって。ピエール議員を見張るために、屋敷内の見取り図はすべて頭に叩き込んでんだよ。
どこに出入り口があって、どこに窓があるか知り尽している。キッチンにある勝手口が忍び込むには一番いい」
「えらく手慣れていますが、人の家に侵入した経験でもあるのですか」
「んなもんあるわけねえだろうが。黙ってついてこい」
色々質問があるのを渋々飲み込み、サエモンはキクマのあとに続く。
鬱蒼とした森を歩くような気持ちをサエモンは感じた。
「あそこだ」
キクマは屋敷の裏手に回り、正面玄関とは一回り小さい勝手口を指さして場所を告げた。
キクマは勝手口のドアに耳を当てる。
「何をしてるのですか?」
サエモンは囁くような低い声で訊いた。
「中に誰もいないか、確かめてんだよ。もし、ドアを開けて中に入ったときに、誰かと鉢合わせたら大変だろ」
サエモンは言われてみればそうですね、と納得した。
ドアから耳を離し、キクマは門の鍵を開けたときに使った針金をポケットから取り出した。どうやら人気はなかったらしい。
勝手口の鍵穴に針金の先を挿入しようとしたそのとき、キクマの手が止まった。
「どうしたました?」
「鍵穴が小さくて、針金が入らねえ」
「どうするのですか? 引き返しますか」
「まあ、慌てるな」
そういって、キクマは懐をまさぐり中から財布のようなものを取り出した。
「それは……?」
月明りの中、長方形のシルエットを指さして、サエモンは訊く。
するとキクマは財布のような何かを、巻物を広げるように広げる。
「何ですか、それ?」
キクマが取り出した財布には針金や鋭利な刃物、ドライバー、ワイヤーに至るまで、何に使うのかわからない小道具がたくさん収納されていた。
その中からさらに細長い、針金を二針抜き出した。今度の針は鍵穴に入ったらしく、カチャカチャとする音が子気味良く鳴りはじめた。
「開いたぞ」
キクマは鍵穴に寄せていた顔を起こして、サエモンを見た。
「あなたの本業は何ですか?」
「だから、刑事だって言ってんだろうが」
声を張り上げて怒鳴ってやりたいが、ここで大声を出すわけにはいかない。キクマはできるだけ、どすの効いた低い声でいい返した。
「わかりました。今は刑事だということにしておきましょう」
「だから、刑事だって言ってんだろうが。はっ倒すぞ」
キクマの鬼のような眼つきで睨まれても、サエモンはちっとも怯まなかった。
「そんなことはいいですから早く開けてください」
「たくッ」
舌打ちをしながら、キクマは勝手口をゆっくり開けた。ギーという耳障りな音が鳴ったが、周辺に誰もいないことは確認済みだ。
「ピエールさんの部屋はどこですか?」
真っ暗なキッチンを見渡してから、サエモンはキクマに向き直る。
「二階だ」
短く告げて、キクマはキッチンの出入り口に歩み出した。
「ちょっと待ってください」
「なんだよ」
「あなたこの暗さでよく歩けますね。ランプをつけなければ、一メートル先も見えないでしょ」
「だから言ってんだろうが。何日議員に貼り付いてたと思ってんだよ。屋敷にある部屋の数から、柱の数、すべて頭に入っている。目をつむってたって、目的の場所にたどり着くことができるさ」
キクマは平然と言ってのけた。
サエモンは化け物でも見るような目で、キクマを見た。
「まったく……あなたの本業はなんですか」
サエモンは呆れながらも、微笑みを浮かべいう。
キクマもニヤリと笑った。
「刑事だよ」
キクマを先頭に、サエモンはあとに続く。通路は窓から差し込む淡い月明りが、程よい照明となり幻想的な雰囲気を形作った。
女中も執事も眠っている時間で、思う存分屋敷を探索することができるほどだ。
「ここだ」
キクマは立ち止まり、ひと際豪華に装飾されたとびらの前に立ち止まった。
「ここのとびらは開錠するのに、時間がかかる。俺がピッキングを試みている間、通路を見張っていてくれ」
「わかりました」
キクマに言われるがまま、サエモンは三方に別れた通路の真ん中に立ち、見張る。視界は黒くさえぎられているが、サエモンも職業柄人の気配を感じることには長けていた。
人が近寄ってくれば、相手より早く気付くことができる自信がある。
しかし、二人の危惧したことが起こることなく、二人はピエール議員の私室に侵入することに成功した。
「さあ、宝探しのはじまりだ」
キクマは手のひらを揉みながら、悪人の笑みを浮かべた。
「本当にあなたの本職は何ですか?」
サエモンはお決まりのようにつぶやくと、キクマは敷居の上に立ったまま振り返り、「刑事だよ――」と答えた――。