case110 悪人と戦う者は自らも悪人に
「あなたにあの書類を見せてもらってから、私なりに色々と調べてみました。まずこれを見てください」
サエモンは今さっきまでまとめていた資料をキクマの前に突き出した。
キクマはサエモンの顔を一瞥してから、書類に視線を落とす。
「なんだよ……これ……?」
キクマは文面に目を通した後、サエモンの顔を見返した。
「世界中で語り継がれる、獣人の話を集めたものです」
サエモンがまとめていた資料はギリシャ神話に現れる怪物や、インド神話に現れる獣神。古代メソポタミア神話の怪物から、エジプト神話に至るまで、多くの怪物の伝説が記されていた。
「なんでこんなもんを調べてんだよ?」
するとサエモンは、「フフフ」とのどの奥から絞り出すような裏返った笑い声をもらした。
「私もおかしくてたまらないですよ。こんな非現実的なことを一つの可能性として、調べているのですから。ビックという黒人の男から話を聞いんです」
「ビック?」
「運搬の仕事をしている、黒人の男性です。あなたにあの書類を見せてもらってから、最近村の周辺で起きている、ズタズタ殺人事件の話をその男性に訊いたんです」
「あの男か」
キクマはサエモンが言っている黒人男のことを思い出した。
「獣が人間を襲っている姿を見たっていう、男だろ」
「ええ、だけど、その話には続きがあったんです」
ウイックはフラフラとキクマの横を通り、テーブルの上に置いていた書類を拾い上げた。パイプ椅子を引いてウイックは腰を下す。
「続きってなんだよ?」
「ビックさんは話を少し改変していました。獣が人間を襲っていたというところまでは同じですが、そのあとに獣が人間のようなシルエットになったというのです」
「どういうことだよ?」
「ビックさんは狼男が人間に戻るように見えたと言っています。はじめは信じられませんでしたけど、あの男が嘘を言っているようには思えませんでした。だから、私なりに色々調べてみたのです」
自嘲気味に笑みを浮かべて、「それで私はこう考えてしまいました。もし、狼人間が本当に実在するのなら、世界中で起きている獣による殺人事件の犯人が今も見つかっていないことの説明がつくのではないだろうか、と」そこまでいって、サエモンはキクマの顔を見る。
「非現実的な考えです……。頭がおかしくなったと思われても仕方ありません……」
「いや、おまえはまともだ」
昔のキクマならサエモンが語る話は信じなかっただろう。けれど、ウイックから非現実的な話を聞いたあとでは、サエモンが言っていることを笑う気持ちにはなれなかった。
「私を笑わないのですか……?」
「ウイックの話を聞く前の俺なら、きっと馬鹿にしただろうな。なにバカなこと考えてんだ、ってな。
けどよ、ウイックから俺は信じられない話を聞いたんだ。俺もウイックが語ったすべての話を信じているわけじゃない、けど、おまえがビックの話をすべて否定しなかったように、俺もウイックの話をすべて嘘だとは思えないんだ」
キクマはウイックから聞いた話を手短に伝えた。
話をすべて聞き終えてから、サエモンはしばらく思考の整理をするように黙り込んでしまった。
「UB計画……。ピエール議員が持っていたあの書類に書かれていたUB計画のことではないのですか……?」
「わからない。その話をつたえるために俺はおまえに会いに来たんだ。どう思う、おまえはそんな非現実的な研究が今も行われているかもしれないことを信じるか?」
サエモンは手の平で口元を隠し、背中をまるめ考えた。
「MKウルトラ計画……人間を洗脳して、感情をもたない兵士をつくる研究。しかし、現代では非人道的な研究との意見が多く、中止された。と言われていた実験は極秘に進められている。
その実験がUB計画という名に変わり現在も進められいるという可能性があるかもしれません」
「人間を獣に変える実験が現在進行形で進められている。問題はどこで研究されているかだ。そして、出てくるのがピエール議員が莫大な寄付をしていた、どこかの孤児院だ」
「はい。そう思い、現在調べています」
そういって、サエモンは新たな書類を引っ張り出した。
「チェックマークを入れているところは、すでに手を入れている孤児院です」
その書類にはこの国にあるすべての孤児院が載っていた。
その半数近くにチェックマークが付いている。
「この短期間でここまで調べたのか」
「当然です」
「それで、ピエールが寄付していた院は見つかったのか?」
「いえ。それはまだわかっていません……」
「なんだよ。使えねえな」
キクマがそういうと、サエモンはムッと眉を吊り上げた。
「仕方ないでしょう。寄付していた院の名前がわからないのですから」
キクマはニヤリと、悪の笑みを浮かべた。
「名前がわかれば。すぐに場所を特定できるのか?」
サエモンは訝しみながらも、「ええ……」とうなずいた。
「じゃあ、名前を探しに行くしかないよな」
「名前を探しにいく……? どこに? どうやって?」
「ピエール議員の屋敷にだよ。ピエール議員の私室には、まだこの国の闇が埋もれてるかもしれないぜ」
キクマの話を聞き一瞬サエモンは顔をしかめたが、すぐにいつもと同じ無表情に戻った。
「考えもしませんでした。たしかに言われてみれば、ピエール議員の屋敷を調べていませんでしたね。リスクは高いですが、一番効率的かもしれません」
サエモンは日陰に光が差したように顔を輝かせた。
「調べを入れてみましょう」
キクマも微笑む。
「だったら、今夜にでも忍び込むか」
「だけど、私たちが探りを入れはじめたことが知れれば、物証を処分されてしまうのではないでしょうか……?」
「ああ、そうだ。だから、忍び込むんだよ」
はじめから悪い眼つきを、さらに悪くさせ、キクマは告げた。
「犯罪じゃないですか」
「ああ、犯罪だな。だけど、悪い奴の罪をあらわにするには、こっちも綺麗なままじゃ、いられねぇーんだよ。悪人と戦う者は自らも悪人にならなきゃなんねぇーんだよ。どうする。
罪を犯さず、正々堂々と相手の罪を暴くか。こっちも罪に手を染めて、相手の罪を暴くかだ。サエモン、決めるのはおまえだ――」
キクマはサエモンに力強く問う。サエモンは苦し気に顔を引きつらせながら、己の選んだ答えを告げた――。