case108 天使のような悪魔の微笑み
ここまで心を伴わない、笑顔があるのだろうか。
キクナは心底この男が“怖い„と思った――。
だけど、どこか懐かしい感じもした。どうしてだろう……?
どこかで、この笑顔を見たことがある……。
自分は昔この男に会ったことがあるような……そんな感覚だった。
「あなたは……誰ですか……?」
キクナは黄金色の髪の男を睨むように見つめ返し、ローリを背後に隠した。この子はこれほど人見知りだったのか? けれど、キクナには心を開いてくれた。
そう思うと、母性愛のような感情がキクナの心を取り巻いた。“この子を守らないと„と。
「あれ? ごめんごめん。そりゃあ、突然こんなこと言えば警戒されるよね。僕は通りすがりの紳士だよ」
紳士が自分から紳士というだろうか。
怪しさ全開ではないか。と、突っ込みを入れたかったがキクナもそこまで無神経ではない。
「はぁ~……て、どうして、わたしたちが困っていることをしってるんですか……?」
「こんな道端で話すのもなんだから、そこに見えるカフェに入らないか?」
男はそういって、背後に見える白い外壁が目を引くカフェを指さした。
「話しをそらさないでください!」
「いや、話をそらしてるんじゃないさ」
男は眉尻を下げて、同情を誘う目をした。
「まあ、いいさ。で、困っているんだろ。ぶつかったお詫びとして、僕にできることなら、してあげるけど」
「いえ、結構です」
キクナは迷うことなく、拒んだ。
「なんで?」
「ぶつかったのはわたしですし、あなた一人にどうにかできることではありませんから」
「心外だな。僕はこう見えても、それなりの男なんだぜ」
黄金色の髪した男は自分の胸を手の平でポンポン叩きながら、いった。
そのときだった、男の背後に人影が立った。
「あなたの連れじゃないですか?」
キクナは男の背広を引っ張る少女を軽く指さして、いうと「はぁ~」と肩をすくめて「わかったよ。少しくらい話を楽しませてくれてもいいじゃないか」と背後の少女にいった。
「あなたの子供ですか?」
「こんな大きな子がいる年齢に見えるかな?」
男の見てくれは三十代前半ほどに見えた。精神年齢は、それよりも幼く思えるが時折みせる、熟練された初老のように鋭い視線は、とても三十代の人間が出せるものには思えなかった。
「いえ、見えませんね。じゃあ妹さんですか?」
「僕とこの子は似ていないと思うけど」
そう言われて、背後にいる少女と男を交互に見比べた。
男の髪は黄金色なのに対し、少女は銀色だった。
「たしかに、似ていませんね。じゃあ――」
どういうご関係なんですか? と訊こうとしたけど、今はじめて出会った人に、そこまで踏み込んで訊くのは失礼だと思いやめた。
「行きましょ――。そろそろ、時間よ」
男の後ろにいた銀髪銀眼の少女は見た目以上に大人びた声で、男の袖を引っ張った。男は責めるような目で、少女をチラリと見た後に、肩をすくめる。
「わかったよ……。それじゃあ、ぶつかって悪かったね」
男は少女のあとに続き、最後に振り返り、「きみの悩みは僕が解決してあげるから」と言い残し、男はキクナの前から去った。
いったい、何を言ってるんだ……? あの男は何だったんだ? キクナは困惑と薄気味悪さを感じ、両二の腕を抱いた。そこで、自分がびくびくしてしまえば、ローリが余計に不安がることに気付き首を振る。
「もう大丈夫よ」
キクナは振り返り、背後に隠れていたローリを見てみると、少女は子ウサギのように震えていた。キクナは不審に思い、ローリに訊いた。
「どうしたの……? もうあのおかしな男はいなくなったわよ」
恐るおそる顔を上げ、ローリは辺りを見渡した。
「ね、いないでしょ。――本当におかしな男だったわよね。――まったく。それじゃあ、行きましょ――」
キクナはローリを見つけた路地に向かうべく再び歩みはじめた。
*
長身の優男の名はラッキーといった。
「で、あの女性は何を求めていたのかな?」
ラッキーはとなりを歩く、銀髪銀眼の少女に話しかける。
少女は腰まで届くほどの長い髪をして、歩くたびにサラサラと髪がなびく。その髪はまるで、風を具現化して流れているかのように感じられた。
「どうして、あの女にそこまで気にかけるのよ」
となりを歩く少女はくだらなそうな表情のまま、訊き返す。
「別に聞かなくたって、きみはわかってるんだろ。だって、きみは人の心が読めるんだから」
「人の心なんて読めたら、死にたくなってしまうわよ」
「じゃあ、人の心が読めないのかい?」
「いえ」
「じゃあ、読めるのかい?」
「いえ」
またこのやり取りか、とラッキーはマンネリした気分になった。
「きっと、あの女性と一緒にいた子供はノッソンくんとこにいた、子だろうね」
銀髪の少女はラッキーの話を聞いていなかった。
けれど、ラッキーは構わず話し続ける。
「どうして、あの子があの女性と一緒にいたと思う?」
少女は話を聞いていない。
「僕が思うに、逃げ出してきたんだと思うね。たしか、以前ノッソンくんのところにお邪魔したときに、一人不機嫌な子がいたから、話を聞いてみたんだ。
『きみはどうしてそんな不機嫌そうな顔をしてるんだい?』って。その子は何て答えたと思う?」
ラッキーは横目に少女を見た。
少女はまるでラッキーなど存在していないように、見向きもしなければ、視線の端にも入っていない様子だった。
「その子は、ここから逃げ出したいって、いう目をしてたんだよ。で、その子の妹があの子だったんだよ。つまり逃げ出してきたってことだね。
だけど、おねえちゃんがいないってことは、逃げるのに失敗して、あの子一人だけ逃がすことにしたってところじゃないかな」
「あなたは名探偵なのね」
少女はフフ、と笑ってやっと返事を返した。
「そうだね。僕は名探偵の素質があるのかもしれないな」
「これから、どうするつもり。まさか、あの子供のおねえちゃんを助けてあげるつもり?」
「そうするつもりだけど」
「どうして」
「ぶつかってしまったからそのお詫びにね」
「ぶつかってしまったって、あそこでずっと待ち伏せしていたんじゃない」
「どうして、そのことがわかるんだい? やっぱり人の心が読めるのか」
ラッキーは真面目にからかいながら訊いた。
「もし、人の心が読めるといったら」
少女も真面目にからかいながら訊いた。
「きみが読めるというのなら、本当に読めるんだと思うな。この世には、不思議なことがたくさんあるのだから」
「人の心なんて読むものじゃないわ。人の心なんて読めると、この世界に絶望してしまうものよ――」
少女は無表情に、けれど悲しみを内に含んだ声でいった。
ラッキーはそんな少女を横目に見て、「それじゃあ、人助けでもしようじゃないか。マルコーネくんに頼んで、あの子のおねえちゃんを迎えに行ってもらおう」といった。
「悪魔でも人助けをするのね」
少女は喜劇に突っ込みを入れるかの如く、ラッキーに突っ込みを入れた。
「何を言ってるんだい? 神は“試練„と言う名の厄祭を人間に与え、悪魔は“堕落„と言う名の僥倖を与えるものさ。
だから、悪魔が人助けをすることは決して珍しいことじゃないんだよ。知ってるかい? 悪魔が人間を殺した数より、神様が人間を殺した数の方が多いということをね。
神は人間に苦しみと言う名の試練を与えるけど、幸せは与えてくれない。悪魔は安らぎと言う名の堕落を与えるけど、幸せを与えてくれる生き物なんだよ――」
ラッキーは天使のような悪魔の微笑みを浮かべた――。