case106 消えたソニール
しんみりと湿った室内に、突如闖入者が舞い込んだ。
「どうしたんだよ……? 急に……」
闖入者とはチャップだった。
チャップは血相を変えた顔で、肩で息をしている。
「ソニールが……ソニールが……」
上がった息で上手く言葉にならない。
「ソニールがどうしたんだよ……?」
チャップは一度息を整えて、改めていう。
「ソニールが朝からいないんだ……おまえらどこ行ったか、知らないか……?」
「オレらが知るわけないだろ……。心配し過ぎだぜ……昨日の今日だからって、そこまで心配することはねえよ……」
「ああ……それはわかったるんだが、心配でしょうがねえんだよ……」
「いったい……何をそんなに心配してるんだよ……」
「あんな奴らに……ソニールの人生が狂わされるかもしれないんだぞ……」
「もう大丈夫だって……。あいつらとは縁を切らせたじゃないか……。きっとどこかで油を売ってるんだって。オレ達も一緒に捜してやるから心配するなって……な」
「ああ……」
ニックとカノンもソニール捜しを手伝うことになった。
聖堂、中庭、花園、院内、庭、捜せるところは捜したつもりだ。けれど、ソニールの姿は見えなかった。
どこにもいないように、ソニールの姿を見つけることができなかった。
「心配することないって、きっとどこかぶらぶらしてんだよ。夕食の時間になったらひょっこりあらわれるさ……な。そう気にすることないって……」
カノンは懸命にチャップに言い聞かす。
「ああ、そうだよな……俺の考えすぎだよな」
チャップはそう言ったものの納得していない様子だった。
それから、夕食の時間になってもソニールの姿は見えなかった。
翌日になっても、ソニールがあらわれることはなかった。
「やっぱり……。あいつらのところに戻ったんだ……」
チャップは顔を険しくしていった。
「そんなことないって……。せっかく縁を切れたのに……そんなことするわけないだろ……」
カノンは諭すようにチャップに言う。
「どういうことよ……?」
となりで話を聞いていた、セレナはわけがわからない、という風に訊いた。セレナは何も知らないのだ。
セレナに隠し立てしたところで、すぐに勘繰られてしまうことは目に見えているので、ニックはすべてを説明した。
「どうして、そんなことがあったのに、あたしに何も言ってくれないのよ……?」
「言ったら反対されるだろ」
「当たり前じゃない! それじゃあ、ソニールはまたその子たちのところに戻っちゃったんじゃないの?」
ニックは言い渋りながらも、「そうかもしれない」と応じた。
「じゃあ、連れ戻さなきゃダメじゃない……」
「まだあいつらのところに戻ったって決まった訳じゃないだろ……」
「だけど、昨日から姿を見ないんでしょ。一度タダイ神父に報告した方がいいんじゃないの……?」
「そんなことしたら、あいつ懲罰房にいれられちまうだろ」
チャップはぼそりといった。
「懲罰房? 何よそれ……? そんなところこの院にあるの?」
「ああ、オレも詳しくは知らないけど、聞いた話では地下室があるみたいだぜ。悪いことをした子供は数日間そこに入れられるって話を聞いた」
チャップの代わりにカノンが答えた。
「じゃあ、どうするのよ……?」
「そんなの決まってるじゃないか。タダイ神父にバレていない内に連れ戻しに行くしかないだろ」
「何言ってるのよ……そんな危ないところにまた行くっていうの……ばっかじゃないの」
「おまえについて来てくれって言ってないだろうが。すぐに戻ってくるから、部屋で待っててくれ」
「そんな意味で言ってるんじゃないわよ……。もし、連れ戻しに行って返り討ちにされたらどうするつもりよ。あなた達反感を買ってるんでしょ……」
「大丈夫だ。相手は三人ほどだった。三人だけなら、俺たちは負けない」
「だからそんな問題じゃないっていってるでしょ」
チャップはセレナの話に耳をかそうとしなかった。
「わかったわよ……あたしもついて行く……」
「おまえはここにいろよ」
チャップがいうと、「あなた達がいるなら、あたしもいるわよ。あなた達がバカなことをしようとしてるから、あたしも付き合わなきゃならないんじゃない」とセレナはまくしたてた。
「わかった……付いて来るのは良いけど、おまえは外で待ってろよ」
チャップは渋々了承すると、「わかってるわよ」とセレナは微笑んだ。
カノン、チャップ、ミロル、ニック、セレナと五人で院を抜け出し、町に出る。セレナは目が見えるようになった赤ちゃんのように、すべてを珍しがった。
「おい、いくぞ」
「あ、ごめんなさい。めずらしくて」
一足遅れてセレナはチャップのあとに続く。
人気の消えた、路地に入ると風通しの悪いじめっとした臭いが鼻にまとわりついた。
「どこの町でも、こういう場所はあるのね」
セレナは路地を隅々まで、観察する。
そうして、路地をしばらく進むと、窓ガラスがすべて割れた廃墟に行きついた。
「おまえはそこに隠れてろよ」
チャップは建物と建物の、細いすき間を指さしていった。
「そこから、動くなよ。確認したら、すぐに出てくるから」
「わかってるわよ」
後ろ手に手を振ってセレナは建物のすき間に姿を消した。
完全にすき間に入ってしまうと、深い影がすべてを覆いつくし、光もささない。セレナが姿を隠したことを確認すると、チャップはいった。
「それじゃあ、入るぞ。俺たちは喧嘩をしに来たんじゃないからな。ソニールを連れ戻しに来ただけだ」
「ああ、わかっているよ」
皆はうなずいて、ひんやりと肌を差す空気が広がる廃墟の中に入った。足音をできるだけ立てないようにしたが、トンネルの中のように廃墟内を反響する。
階段を一段上がるたびに、踵を鳴らす音が鳴った。
三階につくと、ボロボロの革ソファーが真っ先に目に入り、続けてソファーに腰を下した、人影に向けられた。
「おまえらかよ。何だよ、これ以上関わるなっていったのはおまえたちの方だろうが」
「それは、こっちのセリフだ。おまえ達がまた、ソニールに何か吹き込んだんだろ。ソニールを出せ」
「は? 何言ってんだよ?」
金髪の少年はソファーに倒れていた上半身を起こして、呆れたようにいった。
「とぼけるんじゃねえッー! ソニールはどこなんだよ!」
「だから、何言ってんだよ! 頭おかしんじゃねえの。ソニールなんてもう知らねえよ。俺たちは縁を切っただろうが」
チャップは昂っていた感情が急激に消息して、低い声で続けた。
「本当に知らないのかよ……?」
「だから言ってんじゃねえか。おまえが縁を切れって言ったんじゃねえか。その手切れ金として、金貨ももらった。悪いことは数えきれないほどしたが、嘘だけはついたことねえ」
金髪の少年はぼそりといった。
「じゃあ……ソニールはどこ行ったってんだよ?」
金髪の少年は鼻を鳴らした。
「だから言ったんだ」
「何がだよ……?」
「だから、院なんかに戻らないで、俺たちと面白おかしく暮らしてりゃあよかったんだ。やっぱり、物心つく前から、あそこで暮らしている奴は抜けられねえんだな」
「何を言ってんだよ……?」
金髪の少年はニヤリと笑い、「おまえたち本当に知らないのか?」とおかしそうにいった。
「だから、何がだよ……?」
少年は膝を叩きながら、高笑いを上げた。
「こいつは面白れぇ! おまえらよそ者かよ。珍しいな」
「だから、何がって訊いてんだろうが!」
「しゃあーねえから教えてやるよ。――あの院にいる子供たちは、ある日を境に突然消えちまうんだよ――」