case104 ウイックの過去⑤
ウイックは自分の内側(心の中)に意識を集中させた。
心の奥深く、今まで自分でも到達したことのない、深淵へ意識が踏み込んだ。深海を漂っているようなフワフワとした感覚を感じながら、ウイックは見つけた。自分の深淵に住みついた怪物を――。
黒い影がゆらゆらと燃え上がる炎のように舞い上がり、深い赤色の眼が口を開けている。
(こいつは……俺の中に住みついている……)
心の奥底からウイックは這い上がり、現実世界に意識を戻す。
「わかっただろ。きみの中には獣が住んでいる。きみはそいつを飼いならさなければならない。でないと、仲間まできみは手にかけてしまうことになるだろう」
「い……いったい、あんたは俺に……なにをしたんだよッ! どうしてこんなことになってんだよッ!」
「きみが自分で望んだことではなかったか? きみは力を欲した。だから、私たちはきみに力を与えた」
男は感情のこもらない目で、ウイックを見すえて答えた。“自業自得„だという目をしていた。ウイックは返す言葉がなかった。たしかに、俺は力を欲した……けれど、まさかこんなことになるとは思わなかったのだ……。
「そして、きみはめでたく適合したんだ」
「さっきから、適合、適合っていってるが、何なんだよ。俺バカだからよ、かみ砕いて離乳食くらいにしてくれないとわかんねえんだよ……」
男は肩をすくめた。
「一世紀ほど昔、一人の男がある薬を開発した」
男は語りはじめる。
ウイックははじまって早々、話に口をはさんだ。
「おい、ちょっとまってくれよ。俺は簡単に説明してくれって言ったんだぜ……。どうして一世紀も時間が遡るんだよ……?」
「話を理解するには、はじまりが肝心なのだよ。小説でも、はじまりを読まずして、終わりが理解できるかね」
「そんなの知るかよ……俺は本なんて読んだことないからな」
男は呆れた顔をした。
「まあとにかく、話を理解するにははじまりが肝心だということだ。――私たちが行っている研究は、一人の男がはじめたものだった。いまでは、極秘に数多の大国が研究を進めているがな。ここまでは、理解できるな?」
「あ……まあ、なんとかな……」
「その男は人間の限界を超えることのできる、技術を研究していたんだ。生きているすべての生き物は、体を気遣いながら生きている。俗にいうところのリミッター、というものだ。
動物は無意識のうちに体を気遣い、リミッターをかけているのだよ。そして、その男は人間のリミッターを解除する技術の開発に成功した」
男の話を聞きながら、ウイックは自覚した。
たしかに、あのとき自分は人間を超えていた。あの動きは人間が出せる力を超えていた。
「しかし、リミッターを解除すると体にはとんでもない負荷がかかる。そのことはきみが身をもって体験しているだろう」
男はウイックの体を足先から順に見渡した。
「急激な変化に体がついて行かなかったんだろう。その証拠に複雑骨折だ。通常なら複雑骨折した時点で人間は動くことができない。しかし、きみの中に住みついた、怪物が体を支配することで体を人間にはたどり着けない、領域に押し上げるんだ」
ウイックに心の準備をさせるように、そこで、男は一度言葉を区切った。
「しかし、実験を受けた人間がすべて、限界を超えられるわけではなかったんだ。メリットが大きいほど、それ以上のデメリットもつきまとう。適合しなかった人間は、心を失い地をかける獣になってしまうんだ。
それも、きみは経験したね。心の中の獣に体を乗っ取られ、感情の赴くままに殺人を楽しんだ。
あれは第三段階だ。第五段階までいくと、人間は獣になってしまうんだよ」
ウイックはあのときの恍惚感を思い出した。
感情の赴くままに体を任せ、荒野を駆け抜けたあのときの爽快感を――。あのまま、あの爽快感に身を任せていれば、自分はどうなってしまったのだろうか……。恐怖が自分の体の内側から、ヘドロのように湧きあがる気持ち悪さを覚えた。
「第五段階まで行ってしまうと、人間は正真正銘の獣になってしまうんだ。18世紀に各地で起きた獣事件の犯人は、なりそこなった人間なんだよ」
「なりそこなった人間……?」
「適合しなかった人間は、狼に似た獣になってしまうんだ。昔から世界各地にある、狼人間の話は、なりそこないを目撃した人間が広めた話だ」
「おい、ちょっと待てよ……研究をはじめたのは一世紀前からだって言ってたじゃないか……?」
男はうなずき、答えた。
「そうだ。研究をはじめたのは一世紀前だ。だけど、研究をはじめるきっかけがあったんだよ。その研究をはじめた男は、太古の昔から語り継がれてきた、半獣、半人の怪物に強い興味を惹かれた。
半獣、半人の怪物はおとぎ話だけの話ではなく、実際に存在したのではないか、と。
そして、男は人間を襲うという怪物の話を聞きつけ、その怪物を捕獲したんだ。何を捕獲したと思う?」
「わかるわけねえだろう」
「当然だな。その捕獲した化け物とは狼人間だ」
ウイックは絶句した。
「信じられなくて、当然だが、実際に研究は成功して、きみの体に変化が起きているのだから、信じないわけにはいなかいだろう」
信じられない。信じたくない、が自分の体にたしかに変化が起きてしまっているのだから、信じる以外に選択肢はなかった。
「狼人間と言っても、普通の狼と見分けはつかなかっただろう。二足歩行で歩いているわけでも、言葉を聞くわけでもないからな。
今さっき言ったように、なりそこないだ。“なりそこない„になってしまえば、ほとんど識別はできない。
特徴として、なりそこないには人狼だったころの名残が残るくらいだ」
「名残って……なんだよ……?」
「通常の狼の個体よりも巨大な体。銀色になびく体毛だ。きみも覚醒したとき、体毛が銀色に輝き、巨大になっただろう」
男にそう言われて、ウイックは思い当たる節をいくつも思い出した。たしかに、体の内側からあふれ出る力と共に、筋肉が盛り上がり、視界が高くなった気がするのだ。
「男はその巨大な怪物の研究をはじめた。研究をはじめること十年余り、やっと男は怪物が人間であることを突き止めた。
男はどうして、人間が怪物になるのかを研究し、今につながるというわけだよ。その研究のことを私たちはUltraBeast計画。縮めて“UB計画„と呼んでいる――」