case103 黄金色の髪を持つ男
感情に任せて大きな口を叩いてしまったが、自分に何ができるというのだろう……。結局誰かに頼らなければ、何もできない……。
ローリの骨ばった小さな手のひらを握って、となりにいてあげることしかできない自分が不甲斐ない……。
「おねえちゃんはどうなっちゃうの……?」
泣きはらした顔は猿のように真っ赤にそまり、涙で固まった長いまつ毛をパチパチさせながら、ローリはいった。
キクナはどう答えればいいのか、どう答えるべきなのかわからず、曖昧に言葉を濁すしかなかった。
「大丈夫……ローリのおねえちゃんはきっと無事よ……。今までだって何とかやってこれたんでしょ? だったら、大丈夫」
そう言ってしまってから、自分がどうしようもなく無責任な励ましでもなんでもない、軽い言葉を吐いていることに嫌気が差した。
自分がこの子の何を知っているというのだろう……。
自分がこの子のおねえちゃんの何を知っているというのだろう……。
何も知らないのだ……。
「本当に大丈夫……?」
キクナはそれ以上無責任な言葉を吐くことができなかった。
果物屋の店主には、〈これ以上関わっちゃダメだ……〉と釘を刺されたが、このまま何もしなければきっと自分は一生後悔することになるだろう……。後で後悔することがわかっていて、何もしないなんて我慢できなかった。
「ローリ」
キクナの肩に頭を預けている、ローリを呼んだ。
少女はゆっくりと肩から顔を上げて、猫のように潤んだ目でキクナを見上げる。
「おねえちゃんは好き?」
「うん……」
一瞬の迷いもなく、少女はうなずいた。
「おねえちゃんはどんな人?」
「とってもやさしくて、怖いの……。悲しいこととか、辛いことがあるといつもそばに寄り添ってくれるの……。ローリがいじめられてるとき、いつも守ってくれる大好きなおねえちゃん……」
今にも泣きだしそうに、ローリは顔を歪ませながらいった。
「わたしにも、お兄ちゃんがいるんだよ。昔はローリのおねえちゃんみたいに、わたしを守ってくれた。わたしがいじめられてるとき、自分の身もかえりみずわたしを守ってくれるやさしいお兄ちゃんだったのよ。
だから、子供のときはお兄ちゃんがいないと何もできなくて、一人だけでいると不安で不安でしょうがなかった」
キクナはこういう状況なら兄はどうするか、考えてみた。
正義感の強い兄のことだ、困っている人がいればほっておかないだろう。そう考えると、ローリは昔の自分のように見えた。今は自分がローリよりも、年上のおねえちゃんなのだ。
今度は守られる立場ではなく、少女を守ってやる、暗闇から救い出してやる立場なのだ。
「ローリのおねえちゃんを助けに行こっか。だから、ローリが住んでいた、家を教えてもらえる?」
キクナは立ち上がり、ローリを見下ろした。
少女は小さくて、何の力も持たなくて、けれどこの世界で一生懸命に生きている。どうして、この世には恵まれない子供たちがいるのだろう……。この少女が何をしたというのだろうか。
大人の勝手な都合で産み落とされて、どうしてこうも苦難を背負わなければならないのだろう……?
「おねえちゃんは必ず、助けてみせるから。おねえちゃんは絶対に無事だから。だから、おねえちゃんを助けに行こ」
闇の中にうずくまる少女に手を差し伸べてやならければならない。闇の中にうずくまる少女に光を与えてやらなければならない。人間の些細な優しさが、人の心を救うことはきっとあるのだから。
キクナはまず、警察に駆けこんだ。
ノッソンファミリーの話を持ち出しただけで、渋い顔をされた。予想はついていた。
前と同じだ。昔自分が強姦に遭ったとき、相手がファミリーの人間だとわかると何もしてくれなかったのと同じ状況だ。
それならまだ我慢できた。キクナが一番ムカついたのは、〈忘れた方がいい〉と言われたことだ。庶民を守る警察が絶対に言ってはいけない言葉だった。
「お願いします。今こうしているときも、酷い目に遭わされてるかもしれないんです!」
「上に問い合わせてみるから、数日後にまた来てよ」
「だからッ! 数日後じゃ遅いんですよ! 今じゃないとッ!」
キクナは自分が思っている以上に大きな声をあげた。
「他の人の迷惑になるから、大きな声は差し控えてください」
そういって、唇に人差し指を当てて窓口の男性は顔をしかめた。
「わかりましたッ!」
そう言い残して、キクナは外に出た。
外に出ると、ローリは柱に背を預け不安げにキクナを待っていた。
「どうだった……?」
署から出てきたキクナを見つけると、ローリは安心に顔をほころばせて訊いた。キクナは顔を曇らせて、首を二回ふった。
「だけど、心配しないで。おねえちゃんは必ず助けるから」
ローリを安心させようと、微笑みを浮かべながら言ったがどうしても表情のこわばりはとれなかったようで、ぎこちない。
頼れる人は誰もいない……こうなったら、自分一人でも行くしかない。そう思いながら、ローリの手を引き街道を歩いていると、前方に突っ立っていた人にぶつかった。
「あ、ごめんなさい……。考え事をしてて……」
そういって、キクナはその人に視線を向けた。
「こちらこそごめん。目に付かなかったよ」
よく通る俳優のような声で、その男はいった。
男は普通の女性なら見惚れるほど、整った顔をしておりサラサラと流れる綺麗な黄金色の髪をしていた。前髪からのぞく瞳は深い青のようで、まるで海面をのぞいているかのように吸い込まれそうだ。
「いえ。こちらこそごめんなさい」
そういって、「それじゃあ」とその場を立ち去ろうとしたとき、男はキクナを呼び止めた。
「ちょっと待って、お詫びに何か奢ろう」
「あ、いえ。ぶつかったのはわたしの方ですから……」
「よけなかったのは僕の方だよ」
「いえ……お気持ちだけ受け取ります。ありがとうございました」
「遠慮することはない。すぐ近くにカフェがある、そこで何でも奢るよ」
キクナは苦笑いを浮かべた。
何なんだこの人は、ちょっと顔がいいからって誘えば女がひょいひょいついて来ると思っているのだろうか?
「いえ……本当に結構です。ちょっと今取り込んでることがあって」
「それは、そのお嬢さんと関係してることかな?」
男は感情の読み取れないブルーの眼で、ローリを見下ろした。
キクナは男の視線につられローリを見下ろすと、少女は生まれたての小鹿のように震えていた。
「どうしたの? ぶつかったとき、どっか捻っちゃった……?」
キクナは少女の足下にしゃがんで、捻ったところがないか見てみたが、異常は見当たらない。
「その考え事というのは、そのお嬢さんに関係があることだね。ならぶつかったお詫びとして、僕が解決してあげるよ」
そういって、男は冷たい笑顔を浮かべた――。