case94 変わってしまったチャップ
なだらかな下り道を少年たちは緊張の面持ちで下ってゆく。
誰にも見つからないように、人目を忍んでいるからだ。
もし誰かに見つかってしまったら、引き止められるのが目に見えていた。それだけ、危険なことをしようとしていることは少年たちも理解していたから。
だから人目を忍んで、教会を抜け出す必要があった。
ソニールを先頭にチャップたちは丘を下り、町に出る。
それほど大きくはない町だが、この一帯では一番大きな町だった。
白とこげ茶色の家々が、立ち並びコンクリートの道が続いている。人々が行きかいを繰り返す。物珍しいものを見るような目で、チャップたちは町を見回した。
出店が立ち並び、威勢のいい声で客寄せを行っている商売人たち。
果物を売っている店、野菜を売っている店、肉を売っている店、日用品を売っている店、装飾品を売っている店。どこの町も人間がやっていることは変わらないんだな、と少年たちは思った。
縦一列に並んで、少年たちは町を見回し先に進んでゆく。
繁華街を少しそれたときソニールは立ち止まり、振り返った。
「こっちだ……」
覇気のない声でソニールは三叉に割れた、人気のない右端の道を指さして再び歩き出した。チャップたちはお互いに意をたしかめあって、コクリとうなずきあとに続く。
道は奥に進むにつれて、湿り気を帯び狭くなっていく。
そして、ソニールは三階建てほどの建物の前で立ち止まった。
「ここだよ……」
チャップたちはコンクリートの建物を見上げた。
窓ガラスはすべて割れて、寒々しい。灰色がかった壁面は、異様な雰囲気をあたりにまき散らしている。
「本当にいいのか……?」
「今さらそんなこというなって」
チャップがそう言うと、ソニールは申し訳ないというように顔を歪めてから、「それじゃあ、俺が先に入って話を説明するから、合図したら入って来てくれ」といってとびらを開けた。
彼が中に入ってから、数分後ソニールがとびらから顔を出した。それを合図に皆は中に入る。
殺伐とした空気が室内に充満しているようだった。空気は白く濁り、息を吸うだけでむせ返りそうになる。
この煙は葉っぱのそれだった。
長く吸うと、意識がおかしくなってしまう。少年たちは袖で口と鼻をおおって、階段をのぼった。コンクリートの階段は段差がバラバラで、何度も足を取られた。
三階までのぼると、割れた窓から新鮮な空気が入ってきた。
少年たちは海面から顔を出したときのように、新鮮な空気をいっぱいに吸い込んだ。
殺風景な室内には、ボロボロになった革張りのソファーが二脚置かれ、テーブルなどがある以外は、ひび割れたタイルが地面に転がる以外に何もない。
ソファーに座り、トランプで遊んでいる少年たちが三人いた。
その三人の少年たちは、物珍しい顔でチャップたちに視線を向ける。
「で、なんなの? おまえら。俺たちに何かよう?」
トランプをテーブルの上に投げ出して、薄い金髪の少年が切り出した。
金髪の少年に続き、他の少年たちもトランプを投げ出し、だらしなくテーブルの上に足を乗せる。
「ソニールをきみたちのグループから抜けさせて欲しいんだ」
チャップは皆を代表して、すさんだ目を向けてくる少年たちに説明した。予想外の話しだったらしく、少年たちはしばらくポカンとした表情をしてから、大笑いをあげた。
「俺たちに話がある奴がいるっていうから、何だと思ったらそれかよ。言っとくが俺たちが抜けさせないんじゃなくて、そいつが抜けないんだよ。べつに抜けたけりゃ、いつでも抜けてくれてかまわねえよ。なあ」
そういって、金髪の少年は他の仲間に同意を求めた。
「ああ、そいつに、聞いてみな。そいつに聞いても、抜けたくないって言うぜ」
「いや、ソニールは自分から抜けたいって言ったんだ」
チャップは少年たちを見すえたまま、強く言い放った。
ムッと少年たちの顔が一瞬険しくなったが、すぐに子馬鹿にするような涼しい笑みに戻る。
「本当かよ、ソニール?」
脅迫するようなどすの効いた声ではないが、ヒヤリとするナイフのような鋭さを帯びた声で金髪の少年はソニール訊いた。
ソニールは肩をピクリと跳ね上がらせ、体中をこわばらせる。
小刻みに震えるソニールを見ながら、チャップは続けた。
「おまえ達が脅してんじゃないのか。俺たちには、言ったんだ。おまえ達と手を切りたいって」
金髪の少年はソファーから立ち上がった。そして、肩をすくめ、ソニールに近寄る。
「それ以上ソニールに近寄るな!」
チャップはソニールに近寄ろうとしていた少年を叱咤した。少年は手のひらを肩の上まであげて、お手上げのポーズをしてみせる。
「だから、とにかく今日限りで、こいつとは関わらないで欲しい。そういうことだから」鋭い目でチャップは少年を見てから、ソニールに向き直って、「それじゃあ、帰ろうぜ」といい腕を引いた。
「おいちょっと待てって。ソニールの口から、俺たちと縁を切りたいって話をまだ聞いてないぞ。なあ、ソニール、本当に俺たちと縁を切りたいのか? 俺たちとつるむのは楽しいだろ?」
ソニールは口ごもりながら、チャップと金髪の少年を交互に見た。
「な、ハッキリ言ってやらなきゃダメだ。おまえがハッキリ告げないと、こいつらはわからない」
チャップはソニールに強く言ってやる。
「どうなんだよ? ハッキリしろって、おまえは俺たちと縁を切りたいのか?」
「俺は……俺は……」
つっかえながら、ソニールは言葉を探す。
「おまえ達といるのは楽しいけど……このままじゃ駄目になっちまう気がするんだ……。おまえ達も……ちゃんとした暮らしを送る方がいい……もし、帰る家がないんだったら、俺からタダイ神父に頼んでやるから、な、一緒に暮らそうぜ」
「何言ってんの? あんなところ大嫌いなんだよ。俺たちは今の暮らして十分満ち足りてんだよ。俺たちに同情してんの?」
金髪の少年はうつむいたまま淡々というと、「馬鹿にすんなよッ!」と突然怒号をあげた。
「おまえだけは俺たちの気持ちがわかってくれてると思ってたのに……やっぱり、そう言う目で俺たちのことを見てたのかよッ! 俺たちと付き合うのが怖かったのかよ」
うつむいていた少年はキッと顔を上げて、ソニールを睨んだ。
「わかったよ。抜けたきゃ勝手に抜けろ、その代わり金を置いて行けよ」
金髪の少年がそう言ったとき、チャップがポケットから何かを取り出した。親指で弾き、何かが宙を飛んだ。キラキラと金の輝きを放ちながら軌道に乗って、少年の方へと飛ぶ。
少年はとっさに手を開き、チャップが親指で弾いた何かをキャッチした。
「それが手切れ金だ。どれだけになるかはわからないけど、それなりの金にはなると思う。好きに使ってくれてかまわない、その代わり金輪際ソニールには関わらないでくれ」
チャップは呆然と手のひらで輝く金貨を見つめる、少年に向けていった。呆然とする少年たちを一瞥して、チャップはソニールの腕を引き、その場をあとにした。
ソニールは心残りがあるような目で、何度も振り返った。
たしかにチャップのしたことは正しかったかもしれない。けれど、あのような方法で、決着をつけて良かったのだろうか。
自分たちもつい最近まで、あの少年たちのような生活をしていたではないか……。
そして、もしそのときの自分たちのもとに、今のような横柄な態度をとって、家族の誰かをかってにつれていかれれば、どういう気持ちになっただろう……。
あのような方法では別れさせては駄目だ。
きっと、チャップ以外のカノンもミロルもそう思っただろう。
そして、チャップは変わってしまった、とも思ったはずだ――。