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人に焦がれた獣のソナタ……  作者: 物部がたり
第二章 過去編 名前のない獣たちは……
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case91 ウイックの過去①

 キクマはオリヴァーという初老の男から、今まで知らなかったウイックの過去を聞いた。このオリヴァーがいう話がすべて、誠とは思わないが、すべて嘘とも思えないのだ。


 キクマはオリヴァーと別れ、ウイックのあとを追った。

 アレックの店からそう離れていないベンチに、ウイックは座っていた。虚ろな目で、キクマを見るウイック。


「あの男のいうことを信じてるんじゃないだろうな? あいつは昔から、ほらふきオリヴァーって呼ばれてた男だぜ。もし、真に受けてるんだったら、言っとくがあいつのいうことはすべて嘘だ」


 ウイックは前のめりに体をかたむけ、膝の上に肘を乗せた態勢でいった。キクマはウイックが嘘をついていると長年の付き合いでわかった。理由などない、刑事の勘というやつだ。


「いや。あの男のいうことがすべて本当とはいわねえ。多少は話を盛っているかもしれん。けどな、すべて嘘だとも思えないんだよ」


「どうして、そう思うんだよ?」


「刑事の勘だ」


 キクマがそういうと、ウイックは膝を叩きながら笑った。


「おまえはすぐそれだな。まあ、嫌いじゃないがな――。勘ってえのは動物が生き残るために、あるもんだ。俺も勘って奴に、何度も命を救われたことがある。極限の選択をしなきゃならないことがあったら、迷わず勘を選べ」


 目に涙まで浮かべて、ウイックは笑いながらいった。

 そこまで笑われるとさすがのキクマもムッとした。


「そうか、勘かよ。勘がいうなら、嘘じゃないだろうな。まったく、しょうがねえな。聞かせてやるよ。オリヴァーから聞いた話の真相をな」


 そういって、ウイックは自分のとなりを指さした。

 どうやら座れと言っているらしい。

 キクマは一席分離れて、おとなしく座った。


「まあ、おまえにだけは本当のことを話ておくべきなのかもしれねえな」


 ウイックは遠い昔を思い出すように、青空を見上げた。


「俺はな、そうだな、五、六歳のときだったかな。母親に捨てられてよ。それから数年間は物乞いをして過ごしてたんだよ。

 不思議なことによ。小さい子が物乞いをしてたら、食べ物なり着るもんなりを恵んでくれる人っていうのがいるんだよな」


 ウイックは他人事のように淡々と語る。


「どうして、母親に捨てられたんだよ?」


「どうしてだと思うよ?」


 ウイックは質問を質問で返した。


「まあ、そりゃあ、そんな口が悪けりゃあ、母親も愛想をつかすよな」


 キクマがそう答えると、ウイックは苦笑した。


「おまえにだけは言われたくないな……。俺も昔からこんな口が悪かったわけじゃねえよ」


「だったら、どうしてなんだよ?」


「俺も母親のことは全然覚えてねえけど、知らない男がひっきりなしに家に来てたってことは憶えている。男と暮らすのに、子ずれじゃ大変だったんだろう」


「そんなことで捨てられて腹は立たなかったのかよ……?」


 ウイックは悲しそうに微笑みを浮かべて答えた。


「はじめは憎んださ。道端で丸くなりながら、憎んで、憎んで、憎んで、だけど憎んだってどうすることもできないだろ」


 問いかけるようにウイックが言うと、「そうだろうけどよ……」とキクマは歯がゆい思いを強烈に感じた。


「まあ、お袋も、お袋で、大変だったんだろうな、って思うようになったんだよ。たぶん遊び半分でやったのがきっかけで俺が生まれてよ。それから、お袋も苦労したんだろうなって。

 今も未亡人の子ずれは大変なのに、もう六十年以上前だからな。もっと、差別されてたと思うしよ。

 だから、体を売って生計を立ててたかもしれねえし。そんな、生活を続けてたら、俺が疎ましくなった気持ちもわからねえではないんだよな」


「だけどよ……だからって、捨てていいことにはならないだろうが……」


「たしかに、そんなことで子供を捨てていいことにはならねえよ。だけどな、今思い返してみると、俺を道端に置いて行ったときのお袋は泣いていたような気もするんだよな。

 ただ、俺がそう思いたくて、ありもしない記憶を作り出したのかもしれねえけど、そう思っちまうと、あのときのお袋は泣いていたようにしか思えないんだ……」


 ウイックはそう思うことで、心の傷を緩和してきたのだろう。

 実際にはただ無慈悲に捨てられただけだとしても、自分を捨てた母親を美化することで少しでも心に受けた傷をやわらげたかったのだ。


「どうやって、食ってたんだよ?」


「小さいときは物乞いをすれば、恵んでくれる奴らがいたんだが、十歳を過ぎるとダメだな。で、仕方なくスリやひったくりで、食いつないでいた。そんな生活を数年続けたな」


「数年? どういうことだよ」


「十六、七歳になった年に俺は自分でできる仕事を探したんだ」


「見つかったのか?」


「けっこう見つかったぞ。ペンキ塗りだとか、卸売りだとか、店の掃除仕事だとかな。そんな日雇いの仕事ばかりやってて、このままじゃいけねえな、っと思ったんだ」


 キクマは眉をしかめた。


「それでよ。俺は兵士になったんだ。そのころ国は兵士を大々的に募集してたからな。学がない俺でも、簡単に入ることができたんだよ。だから俺は迷うことなく、兵士になった

 喧嘩だけはめっぽう強かったから陸軍に配属されて、朝から晩まで対人戦の稽古をして過ごしたな。

 食うもんにも、眠るところにも、着るもんにも困らなかったから、稽古に打ち込んだ」


 そう語るウイックの口調は楽し気だった。

 しかし、急に口調をこわばらせ、重みのある声で続ける。


「そんなある日、俺は上から呼ばれた。それでこう言われたんだ。『もっと強くなりたいとは思わないか』ってよ」


「強くなる……? 十分強かったんじゃないのかよ?」


「ああ、俺は軍の中でも一、二を争うほど強かったさ。だけどな、いくら対人戦が強くても、人間なんて銃の前では無力なんだぜ。いくら体を鍛えても、刃物で刺されれば仕舞だ。いくら体を鍛えても、銃で撃たれれば仕舞だ」


「当たり前だろうが」


 キクマがそういうと、ウイックはフッと笑って、「ああ、当たり前だ」といった。


「俺は強くなりたいって、当然答えた」


「あんたらしいな」


「俺らしいだろ」


 ニヤリと笑って、ウイックはキクマを見る。


「そう答えた、その日に俺は身体検査を受けた。隅々までいじくりまわされたな。女にされるならまだ我慢できるが、むさくるしい男たちに体をいじくりまわされるのは、吐き気がするほど気分が悪いもんだ」


 思い出すだけで気分が悪くなったのか、ウイックはオエ~っと嗚咽をもらす。


「検査が終わり、『きみは合格だ』って言われてよ。その日から、毎日なんかわけのわかんねえ液体が入った注射を打たれるようになったんだ。注射なんか打たれたことなかったから、はじめのうちは怖くて、怖くてよ。大暴れしたもんよ」


「あんたにもそういう可愛げがあるんだな」


 ウイックはムッとした眼でキクマをみた。


「俺はおまえと違って、可愛げがあるし、人に好かれるタイプなんだぜ」


「そうかよ」


 鼻で笑いながら、キクマは適当に答える。


「で、一週間に一回ほど、その男たちが俺のところにやってきて、簡単な身体検査と薬、あと注射を打って帰っていくって、日々が半年くらい続いた」


「強くなるのと、身体検査や注射には何か関係があるのか?」


「まあ、まて、ゆっくり話してやるから。半年くらいしたころだったな、体に妙な違和感を感じ出したんだ」


 そういって、ウイックは自分の胸を握るようにして、服をつかんだ。


「どんな違和感を感じたんだ?」


「体中が熱くなって、熱をもちはじめるは、頭がかったるいは。心臓の鼓動はとてつもなく早いは、体の感覚がなくなるは、上げれば切りがないな」


「その症状と、あんたが受けていた検査と何か関係あるんだな」


「ああ、大ありだろうな。俺は実験台にされたんだから――」


 ウイックは虚ろな目で、ポツリと答えた――。

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