file11 『夫人のお・も・て・な・し』
犯す、犯すとは犯罪を犯すということだろうか、と当時の私は本気で思っていた。
私はそのことを獣に訊く。
「罪を犯して、ぼくが生まれたの?」
獣は何がおかしいのか、薄汚い歯を歯茎までむきだして、「そうだ、お前は罪によって生まれた、生まれながらの罪人だ」と、酒臭い息を吐きながらいった。
獣の言った言葉はその後、幼い私の記憶に、深く刻み込まれ忘れることはなかった。
バートンとキクマはキスカから教えてもらった、村長の家に向かっていた。大通りを歩いて行くと、一軒のひと際立派な家が見えるとのことだ。
村の道は三叉に分かれているわけでも、入り組んでいるわけでもないから迷うことなく目的地に着くことができた。
一目見るだけで、権力者の家だと分かる外見をしていて、村長をしているだけで、金が入ってくるのだろうか、と思えるほどに立派な豪邸だ。
オレンジの瓦が使われ、屋敷全体を通して他の家より明るく見えた。二階建ての窓からはレースのカーテンが風に揺れて、家の中が見え隠れしている。
見え隠れする、二階には大きな本棚が壁一面に置かれていた。
一階の窓も開け放たれており、レースカーテンは風でそよいで、留守ではないことがわかった。
玄関のとびらの前に立つには二段だけの階段を登らないとならない。アンティーク調のとびらに金メッキを施された、ライオンのノッカーが付いていた。
いかついライオンの目がキクマとバートンを睨む。
明らかに魔よけの効果がありそうな、いかつい顔。金持ちはノッカーまで純金を使っているのだろうか。そんな純金かもしれない、ライオンのノッカーをつかみ、バートンは三回ノックする。木のとびらはコツコツ、と気持ちのいいほど響き渡った。
家の人が出てくるまで少し待っていると、中から人が駆け寄ってくる足音が聞こえた。
「はいはいはい、今行きますよ」と、とびらの向こうから声がした。
外開きのとびらがゆっくり開き、住人がとびらから顔を出した。中から現れたのは中年を少し超えたくらいの、おばさんだった。
化粧をほどこし、高そうな服を着て上品そうに見える。正に夫人、といういで立ち。
「どなた?」
とびらに両手を置いたまま、夫人は見知らぬ二人を見て警戒の色を強めた。慌ててバートンは懐から刑事手帳を取り出して、夫人に見せる。
婦人は一瞬顔をこわばらせたあと、手帳に付いている写真とバートンを見比べて、別人が変装している、とでも疑っているのだろうか、と思えるほど細部まで確認するありさまだ。
「あらー、本物!」
と、警戒の色はどこへやら、少女のような眼差しでバートンとキクマを見た。
「ここはこの村の村長さんの家ですよね」
すると夫人は両手を合わせて、首を上下にブンブン振った。
「そうですよ、まー、事情聴取ってやつかしら! 私事情聴取を受けるの初めてよ!」
おばさんという年齢だが、心はまるでうら若き乙女のような受け答えだ。
「そうです。お話を聞かせてもらってもよろしいでしょうか?」
乙女のように瞳を輝かせたままでいる、夫人にバートンは訊ねる。
「ええ、ええ、良いですよ! まるで映画みたい! 胸躍るわ」
そういって、二人は家の中に通された。家に入ってまず目に飛び込んできたのは通路一面に敷かれた、真っ赤な絨毯だ。
まるでトルコ絨毯のように、鮮やかな刺繍の絵柄が印象的で高そうに見えた。
リビングに通されると、座り心地の良さそうな大きなソファーが四脚、テーブルを囲うように置かれている。
このソファーも高そうだ。真っ黒な革は鼈甲のように光沢を放っている。基本、この家にある物はすべて高価そうに見える。
「今すぐ、お茶を入れますからね! そのソファーに座って待っていてください」
夫人は浮足立っていた。なんてお茶目な人なのだろうと、バートンは思う。
ソファーに座って数分後、夫人はトレイにティーカップを三人分乗せて帰ってきた。
そして、鳥や花が刺繍された、テーブルクロスの上にティーカップを置いた。ティーカップの中身は紅茶。何も入っていない、ストレートティーは本当に紅色に染まり、白い蒸気を立てている。
紅茶の香りが室内に広がり、鼻を抜ける爽やかな香りが鼻腔いっぱいに広がった。バートンはコーヒー派だが、この香りも悪くない、と紅茶派の考えも分かる気がした。続けてケーキがふるまわれる。
リンゴがつややかなアップルケーキだった。表面の光沢を見るだけで、唾液がとめどなく湧いて来る。
イスカの家で昼食をごちそうになったが、やはりあれだけでは、大の大人でるので物足りなかった、おやつが欲しいと思っていたころなのでグッドタイミング。
「さあ! 召し上がれ!」と、夫人は自分のアップルケーキと紅茶をテーブルに置き、ソファーに着席する。
「ご主人はいらっしゃいますか?」
キクマは着席したばかりの、夫人に問う。キクマは気が短い、もたもたしている夫人にしびれを切らせていたのかもしれない。
「主人は二階にいますよ」夫人は二階を指さして、いった。
「呼んできてもらえますか」
「だったら、主人の分もケーキを用意しないといけませんね」
夫人は間の抜けたような素っとん狂な声音で言った。いわゆる、天然という部類に入る人なのだろう、と二人は悟った。
「先に食べていてください、主人を呼んできますから」
夫人はソファからガバっと立ち上がり、廊下に消えた。
夫人が消えた、リビングには紅茶とアップルケーキの香ばしく、甘い香りが漂っている。先に食べていていいと言われたが、待つのが礼儀だと思い、バートン手を付けたい気持ちを必死に抑えた。
砂漠で遭難した人間が、水を見つけたものの飲んではいけない、と言われているほど酷な仕打ちだと思った。
数分して、夫人は降りてきてきた。リスのようにてけてけと、「主人の分も用意しなきゃ」と再びキッチンに消える。
夫人と村長が席に着いたのはそれから、五分以上が過ぎたあとだ。バートンとキクマのために入れてもらった、紅茶は遠に冷めてしまっていた。
夫人は入れなおしましょうかと、気を利かせてくれたがキクマはそれを一蹴して、村長という男を見た。
黒色に灰色が混じりだした、毛髪を眉にかかるほどに伸ばし、眉は太く力強い。その下に見える、瞳からは見るからに聡明さが伝わってくる。
細い糸のように引き締められた、唇は薄く簡単に口を開きそうにない印象を受けた。余程のヘビースモーカーなのか、タバコ。いや、タバコとは違うもっと、洗礼された臭い。葉巻のような臭いがきつかった。
しばらくキクマとバートンを観察してから、村長はいった。
「私に何かご用ですか?」
「ええ、今朝死体で見つかったラッセルさんのことを訊きに参りました」
予期していた言葉だったのかもしれない、それほど驚くでもなく、「ラッセルさんは良い人でした。この世の中は良い人ほど先に死ぬ」と湿り気のある声でつぶやいた。
「おっしゃる通りだと思います」
「知っていることで答えられることなら、何でもお話します。――何でも聞いてください」と言い村長は蒸気がでなくなった、紅茶を人差し指と親指でつまんですすった。
この男は何をするにも、不思議な落ち着きがある。まさに村長だ、という威厳や貫禄という言葉がピッタリな人だと思った。足を組み変え、姿勢を正し、村長は耳を傾ける――。