case88 噂の真相のほどは……
「おい! おいって……!」
どこからか、怒鳴る声が聞こえた。
海の中を伝い聞こえるエコーのように、どこからともなく聞こえる。
「おい! 起きろって!」
まただ……また声が聞こえる。
ゆっくりと、意識が覚醒していくほどに大きく聞こえる。
ゆっくりと、目を開けた。
ベッドの横で、心配そうに自分を見る顔が三つあった。眉間にしわを寄せて、みんな誰かを心配している。
そこで、心配されているのが自分だと気づいた。
べっとりとした、脂汗を体中にかいている。心なしか、呼吸も荒かった。けれど心は凪の水面のように落ち付いていた。
「大丈夫か……? たま、うなされてたぞ……」
ボーっとする頭で、見ていた夢のことを断片的に思い出した。
怪物が……怪物が、自分を殺したのだ。ニックは、自分の左胸を汗ばんだ右手で触る。心臓がドキを打っていた。
「あ……ああ、大丈夫……大丈夫だよ……」
ニックがそう言ってからも、みんなの心配そうな表情は和むことはなかった。
「また、いつもと同じ夢か……?」
チャップが訊くと、ニックは首をふった。
「いや、ハッキリとは憶えてないけど、今回はまったく違ったよ……。なんか、化け物がおれを殺そうとして……」
「化け物? どんな化け物だったんだよ」
ニックはモヤモヤと抽象的にしか思い出せない、怪物の姿を思い出す。あの姿は、どう表現すれば伝わるだろうか……?
「わからない……わからないけど、恐怖だけが脳に焼き付いているんだ……」
「夢で、そういうわけのわかんねえ、化け物を見るときがあるよな。――もう大丈夫なのかよ?」
チャップと話をしている内に、大分ドキも収まってきた。
ため込んだ、古い空気をニックは吐き出した。
よどんだ空気をすべて吐き出してから、ニックは答える。
「ああ、もう大丈夫……。いま何時だ?」
「六時三十分だよ」
「もう起きようか」
そういってニックは床に足をつけ、立ち上がる。
ゆったりとした、ワンピースのような寝間着を脱いで私服に着替えた。
悪夢のせいで、眠ったというスッキリ感はなかったが、頭は透き通るように澄み渡っていた。
みんなで食堂に出向き、朝食の手伝いをする。
子供たち、百食分ほどの朝食をつくり、朝食をとった。
そのあとは、シスターカリーラに勉強を教えてもらう。
昼食を食べ終えたあと、チャップは切り出した。
「ソニールに話を訊きに行くぞ。いいな、みんな――」
部屋に戻ってから、男子四人は円陣を組みチャップの話を聞いた。
セレナは誘っていない。ソニールの噂が本当なら色々とややこしくなるかもしれないから、みんなで相談した末、誘わないことにした。
「ああ、心の準備はできてるさ」
カノンが陽気にいうと、ミロルもうなずきながらいった。
「同じく」
「おれもいいよ」
ニックも強くいった。
みんなの顔を見まわしながら、チャップもうなずく。
「よし、それじゃあ、ソニールを捜そう」
そして三十分後に部屋に集まることを決めて、四人は別れた。
固まって捜すよりも、バラバラに捜した方が効率がいいからだ。
ニックはソニールの部屋に向かう。
誰の部屋も似たようなもので、二段ベッドが部屋の両脇にあり、あとは簡単なテーブルが置いてあるだけの、シンプルな部屋ばかりだ。
捜せるのは男子寮だけで、女子寮には入ることができない。
アノンはセレナと別れたくない、というので特別に個室をゆずられている。その個室をセレナとアノンの二人で使っている。
ニックがソニールの部屋をのぞいていると、部屋の中からルームメイトが躍り出てきた。
「どうしたんだ、何か用か?」
ニックよりも年長に見える少年だった。十三歳ほどだろうか、いや、十四歳ほどにみえなくもない。
「あ、いや……ソニールの部屋はここだよね?」
「そうだけど。それがどうしたんだ?」
「ソニールを捜してるんだ、どこいったか知らないか?」
少年はふり返り、部屋の中にいた別のルームメイトに訊いた。
「おまえ、ソニールを知っているか?」
すると、とびらの奥から見える、二段ベッドの毛布がもぞもぞと動いたと思うと、もう一人の少年が上半身を起こした。
「知らないな。どこか、遊びに行ったんじゃないか」
「遊びにって、この教会内から出られるのか?」
ニックが訊くと、少年たちは呆けた顔を見合わせて、笑った。
「勝手に抜け出してんだよ、あいつ。よくここから抜け出して、悪さしてるからな」
「悪さって……?」
二人の少年は困ったな~、というように顔をしかめて、「こっちに入って来いよ」と手招きした。
ニックは一瞬たじろいだ。
この中に入っても大丈夫だろうか、と。
しかし入ってみると、ニックの心配は無下に終わった。
「誰にもいうなよ」
とはじめにニックを出迎えた少年が釘を刺す。
ブンブン、とニックはうなずく。
「実はな。あいつ、町で悪い奴らとつるんでんだよ」
誰も聞いていないけど、少年は声を潜めていった。
「悪い奴らとつるんでるって……タダイ神父やシスターカリーラに知らせた方がいいんじゃないか……?」
すると、また少年たちは困り顔をして、ニックに向き直った。
「きみはまだここに来たばかりだから、知らないだろうけど、けっこう、タダイ神父とシスターカリーラは怖いんだぜ。もし、そんなことを知らせようものなら、ここから追い出されちまうだろうな。
いや、追い出されはしなくても、懲罰房にしばらくは閉じ込められるぜ」
いつもやさしいタダイ神父と、シスターカリーラが怖いなど想像もできない。この少年たちが言っていることは本当なのだろうか?
「じゃあ、どうするんだよ……?」
「オレたちがどうすることもできないさ。ソニールが自分で蒔いた種だ。自分でどうにかするしかない」
そんな薄情な、と声に出しそうになったが、この少年たちがいうよに子供の非力な力でどうもすることもできない。少年たちは薄情なのではなく、現実的なだけだ。
「いつから、そんな奴らと付き合ってるんだよ……?」
「知らねえよ。オレ達も噂に聞くくらいだからな。でも、噂を聞きだしたのは、もう半年くらい前だから、半年前じゃないかな」
半年……すでに半年も経ってしまっているのか。
長く付き合えば、付き合うほど、縁を切るのは難しくなるだろう……。
しかしまだ噂の範疇だ、それが本当かどうかはまだわからない。嘘か誠かたしかめるためにも、ソニールに話を聞かなければ。
「ありがとう」
そういって、ニックは立ち上がった。
少年二人は彼を見上げながら、「どうにかしようなんて、バカなこと考えるなよ」と釘を刺すようにいった。
しかし、彼は返事を返すことなく、微笑んだ。
部屋へと戻る廊下で、彼は考える。
スカラたちは、ソニールを止めようとしていたのではないだろうか、と。だとしたら、おれ達はスカラたちのことを誤解していたのではないだろうか……。
部屋に戻ると、カノン、ミロル、チャップはすでに戻って来ていて、とびらから入ってきたニックを見上げた。
「ソニールの居場所がわかったぞ」
とチャップは短く告げた。ニックはうなずき、「噂の真相をたしかめにいこう。もし、噂が本当なら、とめなきゃだめだ」と答えた――。