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人に焦がれた獣のソナタ……  作者: 物部がたり
第二章 過去編 名前のない獣たちは……
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case86 一騎当千の兵

 今までごちゃごちゃ聴こえていた、雑音が急に静まり返ったように感じられた。アレックは困惑の表情で、ウイックと客の男を見ている。


 アレックだけではない、キクマもわけがわからず、しばらく呆然と状況を見守っていたが、このまま待っていても、進展がないと思い訊く。


「あんたは誰だよ?」


 キクマは五、六十代ほどに見える男に訊いた。

 男はウイックにつられていた、視線をキクマに戻した。


「僕はオリヴァーだ。陸軍ドロント隊一等兵、オリヴァー・ヴィッツ」


「陸軍ドロント隊?」


 キクマはそれでもわけがわからず、しばらく思考を巡らせた。

 ドロントとは、ウイックのセカンドネームではなかったか。

 ドロント隊……? 

 ウイックが第一次世界大戦に参加していたということはキクマも聞いたことがあったが、隊長を担っていたとは知らなかった。


 このいい加減な男が、隊長などつとまるのだろうか。いささか、疑わしい。思っていることがすぐに口に出る性分らしく、キクマは訊いていた。


「このいい加減な男に隊長がつとまるのかよ?」


 人差し指で、ウイックを指さしながらいう。

 すると、オリヴァーは声を張り上げた。


「あなたはウイック隊長に何をやっているのですか! 隊長に指を指すなんて!」


 オリヴァーの声は店中に響き渡り、客がいっせいに鋭い視線を向けた。


「悪かった。まあ、とにかく、座ってくれ」


 客の視線に耐えられなくなり、キクマは自分のとなりをすすめた。

 オリヴァーが席に座ったそのとき、ウイックは立ち上がった。


「どうしたんだよ、急に?」


「仕事に戻るぞ」


 ウイックは懐から貨幣を握りしめ、テーブルの上に置く。


「ちょっと、待てよ……。昔の知り合いなんだろ? ちょっとくらい話をしたらいいじゃねえか」


 キクマが止めるのも聞かずに、一人店から出ていってしまうウイック。


「たく……」


 キクマは口を歪めて、毒づいた。


「あなたは、ウイック隊長の部下ですか?」


 キクマはとなりに座る、男を観察した。

 背筋が悪いと思ったのは、足に怪我をしているからだ。足の怪我が原因で、歩き方がぎこちなくなっている。離れていたせいで、わからなかったが、このオリヴァーという男の片目は義眼だ。


 キクマは立ち上がり、ウイックが座っていた席に移った。

 これで向かい合う形になった。


「あんたは、ウイックの部下だったのか?」


「そうだ。僕はウイック隊長に命を助けられたんだよ」


 キクマは眉をピクリと動かす。

 あの男が人の命を助けたことなど、あったのか。天と地がひっくり返ってもありえないことだと思った。


「本当なのか?」


 するとオリヴァーは義眼の右目を人差し指で触れて、ゆっくりと右足に指を持っていった。


「第一次世界大戦のとき、僕は戦火の激しい、戦場に派遣されたんだ。そのときに、ドロント隊に入った」


「そのときから、ウイックは隊長だったのか」


 ウイックと呼び捨てにしていることが気に食わないのか、オリヴァーは顔をしかめた。


「ああ、あの人は一人で軍隊並みの戦闘能力があるんだよ」


 オリヴァーのその言葉を聞いて、キクマは以前ウイックが言っていたことを思い出した。


 ――数人の人間が軍隊並みの戦闘力を有しているっていう、おとぎ話みたいな話が本当にあるんだよ――。


 という言葉を、たしかにウイックは言っていた。

 あの話は自分のことを言っていたのだろうか。


「嘘だろ」


 それでもまだキクマは信じることができなかった。

 キクマは自分の眼で見たものしか、信じない性格なのだ。


「信じないなら、それでもいい。僕はあの人の姿を目の当たりにしたから、わかるんだ。僕もあの光景を目撃していなければ、信じなかっただろう」


 オリヴァーの眼に嘘は読み取れなかった。


「僕が敵陣内に取り残されたときだった。仲間のほとんどが殺されて、僕も足を打たれて動くことはできなくなった。この右足は、義足なんだ。あのとき、足を撃たれたことがきっかけで壊死してしまって、やむなく切り落とした」


 小動物をかわいがるように、オリヴァーは右足の義足をなでた。


「あのときは、本当に死を覚悟したよ。絶対的な戦力差、不条理な力。飛び交う弾丸。舞い上がる血しぶき。世界は灰色になっていた」


 オリヴァーはそのときの記憶を鮮明に憶えているのか、目をつむり天井をあおいだ。


「このまま待っていても、犬死するだけだ、と思った僕は最後に一泡吹かせてやろうと、動かない足を引きずって敵陣に特攻をかけようとした。そのときだ」


 オリヴァーは目を見開いた。


「何かが敵兵を殺していくのが見えたんだ。僕もはじめは信じられなかった。一人の人間が、弾丸や手榴弾(しゅりゅうだん)の飛び交う戦地を、鬼神のように駆け抜けていくんだ」


 オリヴァーは興奮から頬を高揚させ、唾を飛ばしながら話し続けた。子供が、大好きなヒーロを語るときのように、瞳は輝いている。


「ウイック隊長は髪の毛を銀色になびかせて、獣のように牙を剥きだし、敵陣に突っ込んでいく」


 キクマはオリヴァーの話に引っかかるものを覚えた。


「待ってくれ、ウイックは銀色の髪をしていたのか?」


 今では灰色がかり、もとの毛色がどのようなものだったかは知らない。


「いや、ウイック隊長の毛は黒色だった。ちょうど、あんたのような、黒色な髪だった」


 キクマは自分の髪の毛を触った。


「じゃあ、どうして髪の毛が銀色になってるんだよ? おかしいじゃないか?」


「どうして髪が銀色になったのかは僕も知らない。しかし、戦闘時だけ、ウイック隊長の髪の毛は銀色になるんだ。

 そして、顔の形状も少しだけ変わる。まるで、狼のように牙を剥きだし、獣のように闘志をむき出しにするんだ。

 そして、付けられた通り名が千頭狩りのウイックだ」


「千の頭を狩るってことか?」


「そうだな、意味は似たようなものだ。あの人一人いれば、軍隊並みの戦闘力があるんだ」


「嘘みたいな話だな。黒色だった髪が銀に変わって、獣のように暴れまわるなんて。今のあの体じゃ想像もできん」


 キクマはウイックの中年太りした、腹を思い浮かべながらいった。


「いまでこそ、ああなってしまわれたが、昔はすらっとしていて二枚目だったんだ」


「ホントかよ! 本当に信じられない話ばかりだな」


 キクマはそう言いながら、ウイックにその話を聞かなければならない、いや、嫌と言おうと聞きださなければならない、と思った。


 そんな物語のようなことがあってたまるものか。

 一人の人間が軍隊並みの戦闘力を有するなど、あってたまるものか。キクマは冷や汗を浮かべた――。

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