case79 狼男のように――
天井でファンが回っている。
窓から入り込む光で、ファンの回る影が床に映し出された。
他愛無い話で盛り上がる、若い女性たち。キビキビと仕事を続ける、女性店員。
そんな店に不釣り合いな男三人が、渋い顔でお互いをにらみ合っている。
聞き耳を立てている者がいないか細心の注意を払い、ビックは店内をすばやく見回した。
「信じてくれないと思うから、はじめに釘をさしとくが……これは本当の話だからな……」
周辺に聞こえない低音で、ビックは釘をさす。
サエモンとプヴィールはお互いに顔を見合わせ、小さくうなずいた。
「それが真実味のある話なら、疑ったりはしません」
真摯な声で、プヴィールはいった。
それでもビックの訝しみの色は消えなかった。
「本当です。信じる代わりに、嘘は言わないでくださいよ」
「ああ、今から話ことはすべて本当の話だ。神に誓ってだ」
ビックは自分の心臓を握りしめるようにして、誓った。
「それでは、話てください」
サエモンがうながすと、ビックは語りはじめた。
「あのときは、前に話たように数メートル先も見えないくらい、暗かったんだ。
孤児院に食料を届けた帰り道だった。ゆっくり、村はずれの一本道を車で走っていたんだ。そのとき、長草が生い茂る草むらで、ガサガサと何かが揺れたのが見えて、俺は車を止めた」
「そこまでは本当ですね」
サエモンが訊くと、「だから、本当だって言ってんだろ」とビックはムキになって言い返した。
「獣のような黒い影が、なにかの塊をむさぼっていた。そこまでは話したよな?」
二人はうなずいた。
「その影は獣の皮を縫い合わせて作った、きぐるみだということも聞きました」
そこでビックはさらに声を落として、首を横にふった。
「違うのですか?」
「ああ、俺もはじめはそう考えていたんだ。だってよ。獣のような影が、急に人間味を帯びて見えたんだからな……」
「獣のようなような影が急に人間味を帯びたとは、どういう意味ですか。獣のきぐるみを脱いだ、ということですか?」
気味悪そうに、ビックは顔を歪め首をふった。
「俺バカだからよ。うまいこと説明できないんだが……。獣の……そうだな狼に近い、獣のシルエットがゆっくりと人間のようなシルエットへと変わっていったんだよ」
ビックの話を聞いて、二人は怪訝に顔を歪めた。この男は何を言っているんだ? と。獣のようなシルエットが、人間のようなものに変わるなどあるはずがないだろう。
「嘘だと思われるだろうが、本当なんだよ……。四足歩行の獣が、ゆっくりと人間の姿に変わったんだ……。俺もはじめは信じられなかったさ……。
だから、嘘をついたんだ……。獣の皮を被った人間だって……」
苦虫を嚙み潰したような顔をして、ビックは続ける。
「だってよ。獣が人間になったって言っても、誰も信じてくれないだろ。信じるって言ったあんた達だって、疑ってるじゃねえか。
だから、獣の皮をかぶった人間だったって言った方が、まだ現実味があって、しんじてもらえるだろうが……。
それで獣の皮を被った人間だったんだ、って自分を納得させたんだよ……。だけど、あとからよく考えてみても、あれは見間違いなんかじゃなかったって思えてなんねえんだ」
必死にビックは訴えた。だんだん声が大きくなってゆき、店内のお客たちが、こちらに鋭い視線を送って来る。ビックはそのことに悟り、声を低めた。
ビックの話は決して信じられるものではなかったが。真剣に語るビックが嘘をついているとは思えなかった。
「あたりは薄暗かったんですよね。見間違いではないんですか」
「見間違いじゃない。本当だ……。信じてくれ」
「わかりました。現実的ではありませんが、信じましょう。では、どうして、動物のようなシルエットが人間のものになりえるのか。
一番に考えられる可能性は、ビックさんがいうように、獣の皮を被った人間だったということですが、本当に違うんですね」
「ああ、俺もはじめは、そう納得しようとしたけど、それじゃあ説明がつかないことがあるんだ」
「説明のつかないこととは?」
「人間がきぐるみを着ていれば、きぐるみを脱ぐ姿が映るじゃないか。俺は瞬きも忘れて、そいつを目視していたんだから……。
だけど、そんな人間らしいどうさをするんじゃなくて……」
そこで、ビックは言葉を探すように、黙り込んだのち納得したのか、言葉を出した。
「そうだな、あれはまるで狼男が人間に戻るときのような姿だった……」
サエモンは眉をひそめ、プヴィールを横目で見た。
プヴィールは啞然とした表情で、話に聞き入っていた。
「その狼男のような人間の特徴を少しでも見ましたか? 何でもいいのです。男か女か、身長はどれだけあっただとか、年齢はどれほどに見えたか。何でもいいのです」
ビックはあごに指をそえて、そのときの状況を思い出そうと努力した。
「あまりのことで動揺してて、すぐに逃げちまったから、ハッキリとは見えてないんだが、身長は子供のように低かった。
腰くらいまで長草に埋まっていたからな。歳までは暗くてわからなかったな。男か女かもわからなかったが……シルエット的には女だ。髪が長かった気がする」
サエモンはビックの眼の動き、瞳孔の変化、手の動かしかた、精神の変化で微妙に変化するそれらを観察していたが、嘘をついたものにあらわれる、変化はなかった。
この男がスパイか、そういう特殊な訓練を受けた者でない限りそのような芸当はできないだろう。つまり、この男がいっていることは、事実とういことだ。
見間違いの可能性は消えないが、半々の可能性で狼男のような人間がいるということになるのではないだろうか。
そこまで考えて、どうしてそのような人間が生まれたのか、という疑問をサエモンは持った。物語などで狼男がどうして生まれたのか、サエモンは思い出す。
そのとき、「他には何か気になることとか知っていることはありませんか?」と今まで呆然と話を聞いていた、プヴィールが声をだした。
腕を組んで、ビックは考える。
「そうだな、今話した以外に目新しい情報はねえな。すまねえ」
「いえ、十分過ぎるほどの情報を提供していただきましたよ」
そこでビックは腕時計を確認した。
「あ、そろそろいいか? 仕事の時間だ」
「仕事?」
「ああ、孤児院まで荷物を運ばなきゃならねぇ」
「さっき、お酒を飲んでいたじゃないですか」
プヴィールはぎくりと肩を震わせ、苦笑いを浮かべた。
「ああ……」
「飲酒運転ですか? まったく、人だけははねないように気を付けてくださいね。もし、ビックさんが人をはねたら、僕たちがあなたを捕まえることになりますから」
硬かったビックの表情が緩み、「ああ、人だけははねないように気を付けるよ。じゃあな。また何か聞きたいことがあったら、呼んでくれ」
そういって、ビックはメモに書いた自分の住所をわたした。
「はい。今日はありがとうございました。また何か思い出したことがあったら、教えてください」
元気に、「おう」と答えて、ビックは店からでた。
サエモンたちも鑑定をすませ、店から立ち去った。
現実とは思えない話を聞き過ぎて頭がおかしくなりそうだった。サエモンは痛む頭を押さえ(今日は頭を休めましょう……)と思う――。
横を歩くプヴィールはあんな非現実的な話を聞いたあとだというのに、まったくこたえた様子はなく、能天気な性格にあこがれすら覚えたのだった。