case66 協力者
空気は汚く灰色に曇っている。タバコの煙が壁や天井に染みつき、濁っている。部屋で唯一の窓から差し込む光で、埃やら微小の粒子が見えた。
天井で回っているファンが空気をかき混ぜ、影を落とした。小さな部屋の隅には、枝を幾重にも伸ばしたポールが置かれ帽子やコートが乱雑にかけられている。
部屋に唯一ある書棚には捜査書類のほかに、アダルト雑誌や服のカタログが半数を占めていた。どれもウイックのものだ。
アルミ製の机が部屋の真ん中に鎮座しており、窓際に何十年も使い古し、アンティーク調に味の出た皮張りのソファーがテーブルを挟むようにして二脚置かれていた。
一脚はキクマ専用で、もう一脚はウイック専用だ。窓から入ってくる光に影が落ち、室内は一段と薄暗くなった。
ウイックはいつものようにかったるそうに、ソファーにもたれかかりうだうだうだうだ、言っている。
「これでまた振り出しに戻るってことだよなあ~」
キクマはここ数日同じセリフを少なくとも、百回は聞き耳にタコができた。
「振り出しに戻ってねえぇ、ちゃんと真実に着々と近づいているんだよ」
キクマは机に向き合い調査書類をまとめていた。
ジョン・ドゥ事件の調査開始から数か月、少しずつではあるが確実に事件に近づいていることはたしかなのだ。
「カエル顔の議員を殺されて、ジョン・ドゥに続く手がかりを失ってか?」
ウイックはだらしなくもたれかかったソファーから、首をかたむけだるんとした目でキクマを見た。
「議員は死んじまったが、議員が関わっていたと思われる怪しい実験の手がかりは手に入れた。それだけで大きな進歩だ」
キクマはウイックと目を合わせずに、ペンを動かす。ウイックにはそう言ったものの、たしかに手がかりを失ったのはたしかだ。
「また、犯罪歴のある奴に張り込むのか?」
「それなんだ」
「何がだよ?」
テーブルに足を投げ出し、ウイックは腕枕を作った。
「ジョン・ドゥはどうやって評判の悪い奴を選んでるんだってことだよ」
キクマは、はじめて顔を上げだらしなく就眠に入る直前のウイックにいった。
ウイックは大きなあくびをして、目に涙を浮かべた。
「評判のよくないって奴は、噂が広まるもんだろ」
わかりきったことを訊くなよ、という風にウイックはいった。
「たしかに評判のよくないやつは噂がたつが、それだけじゃ説明できないだろうが。ジョン・ドゥが殺している奴に誤りはない。たしかに犯罪は犯してないが悪い奴や、犯罪歴がある奴もいる」
「それのどこが引っかかるんだよ?」
ウイックは薄目を開け、横目に見た。
「犯罪歴があるかないかなんて、普通はわかんねえじゃねえか」
ウイックはまた目をつむって、しばらくしてだらしなく寝転んでいた体制を立て直した。
「たしかにそうだな。噂は広がるだろうが、今から殺そうとしている奴に犯罪歴があるかどうかなんか、わかんねえよな」
「だろ、犯罪歴があるかどうかなんてえのは、はたから見るだけじゃわかんねえんだ。そんな本人の人生に関わるような情報は、並大抵じゃあ手に入らないんだよ」
ウイックは腕を組み遠くを見るような目でしばらく黙り込んだ。三十秒ほど経ってから、声をあげた。
「つまりどういうことだよ?」
キクマは回る椅子を、ウイックの方にむけ向き合う。
天井のファンが空を切る音が聞こえ、翼の影が床に落ちる。
「つまりだ」
キクマは低い声でいう。
「ジョン・ドゥには協力者がいるってことになるんだよ。それもそういう情報に精通している、協力者がな」
ウイックの表情が引き結ばれ、真顔になった。
「つまり、ジョン・ドゥの協力者っていうのは、そういう犯罪歴なんかを調べられる人物っていうことか?」
「そういうことだ。例えば――」
キクマは声を潜めた。
べつに聞かれて困るような話ではないが、重要な話をするときは低い声で、というキクマの癖でだ。
「ジョン・ドゥの協力者は役所の人間か警察関係者、とかな――」
ウイックの眼の色が変わった。
「面白れぇー話になったな。え」
と不敵な笑みを浮かべる。
「たしかに犯罪歴を調べられる人間っていえば、検察か役所の人間か、警察関係者しかいねえな」
キクマは低い声で続けた。
「ああ、そうなるんだよ。それか、もう一つの可能性として、ジョン・ドゥ本人が役所関係の仕事をしているか警察関係の人間だということだな」
「それが本当ならどうするよ」
「どうするもこうするも、俺たちは足で稼ぐしかやることはないだろうが」
「ジョン・ドゥはこの中にいる! って役所を回って指さしまくるか? それとも、捨てるほどいる警察官に犯人はおまえだな、ってカマかけまくるってえのか?」
ウイックは現実味を帯びない呆れ口調で、いった。
キクマもそこまで愚かではない。ウイック以上に現実的な考えを持っている。そんな可能性を突き止めたとしても、一人ひとり聞き回ることはできない。
しかしだ、ジョン・ドゥには協力者か本人自身が、そういう情報を仕入れられる役職についている可能性が見えてきたのだ。それだけでも、確実に刻一刻と真実に(ジョン・ドゥに)近づいているということだ。
何年かかろうと、必ずおまえを捕まえる。ブタ箱にぶち込んでやる。悪い奴をブタ箱にぶち込む、それがキクマの正義だ――。