case65 聖歌隊の少年の気持ち
子供たちは白いゆったりとしたローブを羽織り、前から紅色の前掛けを体に沿わせ垂らしていた。
ローブは足首まであり体に沿って流れる衣は、子供たちの体型をくっきりあらわしている。そして皆おそろいの十字架ペンダントを首からかけていた。
キクナの声に子供たちは一瞬困惑の色を浮かべたが、すぐに微笑み嬉しそうに顔を赤らめた。歳のころは十一、二からまだ十代に達していない子もいた。
「ありがとう」
この中で一番年上らしき少年が、照れながら礼を述べた。
柔らかそうな栗色のくせっけで、目は琥珀のように深くすんでいる。そんな琥珀のような目がキクナを見すえた。
「本当に素晴らしかったのよ。嘘じゃないわ」
そう前置きしてから、少年の後方で様子を伺っている子供たちに目を走らせた。
「練習してたの?」
「そうです」
少年はあごをあげて、横目に後ろを見た。
「いつも練習しているの」
「はい。毎日じゃないけど、二日に一回は」
「練習している成果ね。みんな信じられないくらい声がでるし、透き通ってる」
キクナはお世辞ではなく感じたことをそのまま言ったのだが少年は、謙遜しいらしく、「そんなことないです、まだまだですよ。だけど、ありがとうございます」と答えた。
キクナはムキになっているわけではないのだけど語調を強めて、「いえ、本当に美しい声だったわよ。謙遜することないわ。この讃美歌を十何人もの子供たちが一斉に歌うのは圧巻だし、きっと涙がでちゃうもの」
と力強く言い放つ。少年はあっけに取られたように、驚きを顔にあらわしすぐに落ち着きを取り戻した。
「ありがとうございます」
少年は天使のような柔らかい微笑みを浮かべた。
「今週の日曜日にミサがあるんですよ。そのミサで僕たちみんなで讃美歌を歌うんです。よかったら聴きに来てください」
「今週日曜日……」
キクナは申し訳ない気持ちで顔をしかめた。
少年も不思議そうに顔を曇らせた。
「ごめんなさい……強制しているわけではないので、気が向いた時に立ち寄ってください」
「そんなんじゃないのよ……。わたし遠い街から来ていて、次に来るバスで帰らないといけないの……きみ達の歌声を聴きたいのは山々なんだけどね……」
せっかく子供たちが誘ってくれたのに、断らなければならないことに、キクナは申し訳ない気持ちで胸が苦しかった。
「そうなんですか……」
「ええ……だけど誘ってもらえて嬉しかった。ありがとう」
けれど少年は申し訳なげに顔を曇らせていた。
「何時のバスで帰るんですか?」
「え?」
キクナは何時だったかな~、と記憶の引き出しを開けはじめる。
思い出せそうで思い出せない、とそのときにやっと時刻表が入った引き出しを探り当てた。
「四時過ぎだけど」
少年は真剣な面持ちで、「四時過ぎ」とつぶやいた。さっきまでの優しい少年の眼とは打って変わり、鋭い賢そうな光が瞳に灯った。
「まだ二時間以上もありますね」
「え? うん……あ、るかな?」
時計がないので今が何時だかわからないのであやふやな返答しかできなかった。
「それがどうしたの?」
少年はキクナが想像もしていなかったことをいった。
「みんなを集めてきます。おねいさんが帰る前に、歌を聴かせてあげますよ」
少年の瞳に嘘偽りがないとわかった。
キクナはどう返答しようかしばらくうなっていたが、子供たちの申し出を無下にはできないし、なにより歌を聴いてみたいから、「それじゃあ、お願いできる」と少年に頼んだ。
「はい!」
少年は元気よくいった。
「それじゃあ、一時間後に聖堂に来てください。バスの時間までには必ず間に合わせます」
なんて良い子なんだろう、とキクナは感動で胸がいっぱいになった。
もう聖歌なんか聴かなくても、この子たちの気持ちだけで涙がでそうになった。きみ達の気持ちだけでもう何もいらないよ、わ~ん……とキクナは心で泣いた。
「みんなを呼びに行こう。一時間以内に戻ってくるんだぞ」
少年は祭壇に立っている子供たちにいった。リーダー感が様になっている、普段からこの少年がみんなを仕切っているのだろう。
鶴の一声ならぬ少年の一声で子供たちは、蜘蛛の子を散らすように四方八方に消えていく。広大な聖堂には子供たちの足音がこだまし、後にはキクナだけが残された。
聖堂に一人残されたキクナは、一時間もの間待っているのも暇だな、と思い広大な面積を誇る教会敷地内を探索することにした。
祭壇の横に大きく口を開けた通路の中に顔をつっこみ、キクナは通路の先に何があるのかをみた。しかし先は暗くて何も見えない。キクナは怖いもの見たさに、闇の中を進んだ。
薄めにとびらのようなものが前方に見えた。とびらの前に立ち、押してみる。
しかしびくともしない。鍵がかかっているのかな? と思い引き返そうとしたときに(押してダメなら引いてみろ)という言葉を思い出して、一応引いてみると、とびらは開いた。
押しとびらではなく引きとびらだったようだ。開いたとびらのすき間から光が差し込んだ。気持ちの良いそよ風も流れ込んできた。
とびらを抜けると食堂のある建物の横手に出た。
聖堂の横道を抜けるとここに通じていたのか。そこでキクナは思い至る。まずは時間を確認しないと、と。
時計はどこにあるんだろう。たしか食堂の中にあったことを思い出し、キクナは食堂の横入り口から中に入った。食堂の中には影が落ち、薄暗かった。
もう誰もいないようだ。昼食の時間が終わり、子供たちは思いおもいに遊んでいるし、コックたちは食材の調達に行っているのだろう。
キクナは食堂の中を進むと、誰もいないと思われた食堂の長テーブルに一人の子供が座っていた。キクナは少年の背後から回り込み、前方に躍り出る。
キクナは少年が何をしているのか手元を覗き込んだ。
積み木のようなもので遊んでいた。いやよく見ると積み木ではなく、木に何かを彫っているようだ。よほど集中しているようで、横に立つキクナに気付いていなかった。
キクナは話しかけていいものか、しばらく考えた。
「何を彫ってるの?」
とキクナは驚かさないように低い声で訊くことにする。
しかし少年は手をとめない。キクナが横に立っていることにも気付いていないようすだ。声が小さすぎたかな? っと思ってさっきよりも大きな声で少年に語りかけた。
すると少年はびっくっと肩を弾ませ、振り向いた。
少年は切れ長の鋭い瞳をしており、アジア系の顔立ちだった。一瞬女の子と間違えてしまったほどに女性的で、綺麗な子だった――。