case64 いつも私たちにちょっかい出して、なんなの?
眼の前に突きつけられた枝先をキクナは見た。
ほぼ目と鼻の先で、ほんの少し顔を自分から近づければ、鼻を突くほどの距離間しか空いていない。
木の枝先にはチクチクした毛を全身にコーティングした、身の毛もよだつ毛虫が載っていた。まるで毛先一本いっぽんが生きているようで、でこぼこ道のようにうねっている。
キクナは悲鳴を上げそうになったのを、すんでのところで堪えた。のどにつっかえた悲鳴の残響を、吐息と共に吐き出した。
かすれたため息のような吐息は、ふるえて情けないものだった。
キクナが悲鳴を上げなかったことが不満だったらしく、少年たちは、「なんだよ。つまんないなあ~」と言葉と同じようにつまらなさそうな顔をした。
「な! なんなのよ! あんた達は!」
ユアは顔を怒らせながら、男子たちに叫んだ。
男子たちは毛虫の載った木の枝を、面白そうにのぞき込みながらいたずらっぽく笑った。
「おどろいただろ」
屈託のない笑顔でそういったのはたしかメロという少年だった。
髪は短く刈りそろえられていて、見るからに運動神経が良さそうなわんぱく小僧といういで立ちだった。
「あったりまえでしょ!」
ユアは怒りが納まらない様子で、顔をまっかに染めた。
「昨日シスターベタニアに叱られたんじゃないの! それなのにあなた達は!」
少年たちはお互いに顔を見合わせ肩をすくめる。
「あれは爬虫類だろ。それにオレたちは命をいじめてるわけじゃないぜ。一緒に遊んでいるんだ」
当然だろ、という風な顔をして、「なあ」とメロの後ろに付いているマロとツサに悪びれる様子なく訊いた。
ツサもマロも、「うん、そうだよ」と答えた。
リリーは冷たい目で少年たちを睨んだ。それにはびっくっと少年たちも怯みあがる。
キクナは微笑ましい、その様子を見ながら(この中で一番リリーが怖いんだな)と悟った。
「なんだよ……」
メロは引き腰でファイティングポーズをとる。
リリーは立ち上がった。それに合わせて少年たちは、二歩飛びのいた。リリーは一歩あゆみ出た。
(たしかに迫力あるな)
キクナはリリーがどうでるのか、興味津々に見守る。
わたしが止めた方がいいのだろうか? けれど子供たちの問題だし大人が手を出していいものではないよね……、とキクナが思案していると、リリーが行動に移した。
「あなた達」
十二、三歳の少女のものとは思えない落ち着きのある声で少年たちにいった。
「な……なんだよ」
メロはファイティングポーズをとったまま、いつでも逃げ出せるように足先を明後日の方向にかたむけている。
「いつもいつも私たちにちょっかい出して、なんなの? 私たちが好きなの?」
リリーは鋭い質問のパンチをたたき込んだ。少年たちは顔を真っ赤にした。図星なのかな? キクナは子供たちのやり取りを、おばあちゃんになったつもりで見守る。
「ち、ち、ち、ちげえし! な、なんてオレたちがおまえ達のことを好きだって話になるんだよ!」
メロは興奮しながらつっかえつっかえ、言い返す。
マロとツサは顔を赤らめて視線を落としている。
(うぶだねぇ~)
キクナはおせっかいなおばちゃんの心境になっていた。
「じゃあなんなのよ。いつも私たちにちょっかいだして?」
リリーはあくまでもドライで、段落のない平坦な声で訊く。
少年たちは顔をチラリと見合わせ、しばらく黙った。
「そ、そんな、おままごとだとか、つまんないことしてないで……オレ達と遊ぼうぜ……」
メロは照れ臭そうに女の子のようなか細い声でいった。
意外そうに少女たちは顔を見合わせた。
「だったらいけずしないで正直に言ったらよかったじゃない」
そう言ったのはファニーだった。
「そんな気を引こうとしなくても、正直に言えば遊んであげたのにね。みんな」
「ええ、そんな嫌がらせしなくても正直に言ってくれれば遊んであげるわよ」
ユアは腰に手をかざし、さっきまでの怒りが嘘だったかのように、落ち着いていた。
ユアの言葉を聞いて少年たちの顔は煌めいた。それから彼女たちは少年たちに連れられてどこかへ去ってしまった。
ファニーに、「おねえちゃんも一緒に遊ぼうよ」と誘われたけれども、「わたしはいいから遊んでいらっしゃい」と断った。
自分が一緒に行ってしまうと男の子たちに悪いと思ったし、おままごととかならともかく、子供たちと同じように走り回るだけの体力は自分にないことをキクナは自覚していたから渋々断らせてもらった。
昔は何時間でも走り回ったりできたけど、今では想像もできない。まるで自分がおばちゃんになったような感覚をキクナはおぼえた(まだ若いけど)。
まだバスまでは二時間以上もある。
それまでどうしようかな、とキクナは考えていると教会の方から小さな歌声が聴こえてきた。なんだろう? と思ってキクナは正面の教会に向かった。
教会の入り口に近づくに連れて、だんだんその声は大きくハッキリと聴こえてきはじめた。そこでキクナは思い至った。
さっきユアが教えてくれた聖歌を歌っているのだな、と。
キクナは教会のモダンな大とびらの前に立った。装飾品などはほどこされていない、木材本来の素朴味を出している。
勝手に開けてもいいのかな? ととびらの前でしばらくうじうじと思案していたが、キクナは(えい開けちゃえ)と重いとびらを開いた。
重々しいとびらの音は聖堂の中にこだました。天井は高く楕円形でドーム状に盛り上がっている。真ん中にレッドカーペットが引き詰められ、左右には木製の椅子が並べられている。
百人は座れるほどの椅子があった。そして正面には磔刑に処されたイエスの姿が堂々と掲げられていた。
そのとなりに大きなパイプオルガンが置かれている。
そしてレッドカーペットを真っすぐに進んだ先は二段の段差があり、その上に少年少女合わせて六人の子供たちが聖歌を歌っていた。
The Tudorという讃美歌が聖堂の中にこだましていた。少年少女は突然の来訪者に気を取られることなく、その美しい賛美の声を優しく張り上げ歌った。
キクナは前列から三番目の椅子に座り、少年少女の美しい歌声に聴き入る。聖堂の中は想像以上に音が反響し、六人で歌っているとは思えないほどだった、
この讃美歌を四、五十人の子供たちが同時に歌えば感動で涙があふれたことだろう。それほどまでに人の心に響く歌声だった。
キクナはおとなしく目をつむり、歌を聴いた。それから十分ほど過ぎたころに歌は終わり。少年少女のおしゃべりに変わった。
キクナはどう気持ちを表していいかしばらく考えてから、「素晴らしかったわ」という飾りはないが、正直な感想を子供たちに告げた――。