case63 話に花咲かす少女たち
子供たちがはしゃぎながら草の絨毯を走り回っている。木の枝が木陰をつくり風に揺れる。太陽に照らされ木陰が揺れるたびにキラキラと輝いた。
木の枝に吊るされたブランコがギシギシと音を鳴らしながら、ゆっくりと揺れる。キクナはブランコに座り子供たちが走り回る姿を、親のような気持ちで見ていた。
昨日は教会に泊めてもらったのだ。ジョンには二日ほど、家を空けると書置きを残してきたので心配はいらないと思うが、本人に直接言ってから家を出るんだったと、後悔した。
子供たちはヨハンナが責任を持って引き取ってくれるという話にまとまった。速く街に帰って子供たちを見つけ出し、そのことを知らせてあげなければならない。
しかしこの片田舎には一日に三本しかバスが来ないのだ。
朝早くと昼過ぎ、夕方の計三回だ。次にバスが来るのは昼過ぎ、それまではまだ三時間ほど時間があった。
そのときキクナの前に人影が差した。キクナはゆっくりと顔を上げ、その人影の主に視線を向ける。逆光で黒い影になり人物の顔は見えなかった。しばらくして目が慣れ、ゆっくりと色彩を取り戻してゆく。
「おねえちゃん!」
声変わりをしていない高い少女の声が聞こえた。
キクナの眼の前に立っていたのは、たしか昨日おままごとでぬいぐるみを可愛がっていたファニー、という女の子だった。ファニーはもじもじしてキクナを見ている。
「どうしたの」
キクナは小首をかしげて、シルクのような柔らかさを意識して訊いた。
ファニーはつま先で地面をほじくりながら、照れ臭そうに目をそらした。強い風が吹き、枝をザワザワと揺らしたとき、ファニーは吹っ切れたようにいう。
「あのね。ファニーたちと遊ばない……?」
ファニーは言ってから、「ない……」と語尾だけをもう一度いった。それにはキクナもくすり、と微笑んだ。
「何して遊ぶ?」
キクナがそういうとファニーの顔は夏の日差しを受けたひまわりのように輝いた。
「お話しようよ!」
ファニーはブランコに座っていたキクナの袖を引き、風呂敷を広げた一角に連れて行った。そこには昨日窓から見た少女たちが、寄り集まり遊んでいた。
少女たちは突然の闖入者に顔をしかめた。
場違いだったかな……とキクナは思ったがファニーに袖を引かれているので、引き返すことはできない。
「その女の人、誰?」
昨日からいたのだけど、顔を憶えられていなかったようでほんの少し、ほんの少しだけだが悲しくなった。
「おねえちゃんだれ?」
ファニーは振り返り、小首をかしげた。
「わたし」
とキクナは自分を指さし、「わたしはキクナって言うんだよ」と名乗った。
「キクナ?」
皆は彼女の名前をつぶやきながら、まるで糸でつながっているように首をかたむけ顔を見合わせた。
「そうキクナ」
キクナは風呂敷の上に正座した。皆は珍獣でも見るようにキクナを見た。
「あはは……」
とぎこちない笑みを浮かべて、「みんな何してたの?」と訊いた。
「見て分からない?」と言ったのはたしかユア、という気の強そうな目をした、髪は赤みがかった黒髪の綺麗な少女だった。
キクナは苦笑いを浮かべ、「そうね……」とみんなをしばらく観察して、「おままごとかしら」と正解としか思えない回答を返したのだが、「違うわよ」とユアに一蹴された。
この回答が違うとなると、ほかに考えられる遊びが思いつかなかった。
「わからないわ……」
キクナは速い段階で降参して、正解を問うた。
キクナは固唾を飲んで解答を待った。ユアが口を少し開く瞬間まで、スローモーションに見えた。
「遊んでないの」
ユアの回答にキクナはあっけに取られた。
「遊んでないの?」
「そうよ。ね、みんな」
ユアがそういうと、「ええ」だとか「うん」とみんなは答えた。
「じゃあ、何してたの?」
「お話してたの」
そういったのはリリーだった。柔らかい色の金髪を三つ編みにした十二、三歳くらいの女の子。
それを聞いてキクナは納得した。
たしかに遊びだけがすべてじゃないよね、と。
「たしかにこんな天気がよくて気持ちのいい日なら、存分にお話できるね。――なんのお話をしてたの?」
「色々、お菓子の話しをしたり、聖歌をどうしればうまく歌えるかっていう話しをしたり、聖書の話しをしたり、本の話しをしたり、シスターたちが教えてくれた教訓の話しをしたり、雲の形の話しをしたり、楽しかったときの話をしたり、馬鹿な男子の話しをしたり、将来の話しをしたり。話は尽きないわ」
ユアは話をするときに表情がコロコロ変わって、見ていて飽きなかった。この子は人を惹きつける話し方をするな、とキクナは感心した。
「へ~、色々な話をするのね。お菓子の話しって言ったら?」
「みんなで作るクッキーだとか、ケーキだとかをどうすればもっとおいしく作れるかっていうお話」
ユアが答えた。
「聖歌の話しって?」
「週に一回ここに暮らす子供たちは聖歌を歌うの、その聖歌をどうやったらうまく歌えるのかしら、っていうお話」
ユアは丁寧に教えてくれる。気の強そうな顔をしているけど、責任感が強くて優しい子なんだな、とキクナは感じた。
聖書の話は訊かずともわかるが、「聖書の話しっていうのは?」と一応順番に乗っ取って訊くことにした。
「シスターに教えてもらった聖書の一節だとか、イエス様の言葉を忘れないように繰り返し唱えてるの」
「本は何を読むの?」
「オズの魔法使いとか、不思議の国のアリス、ロミオとジュリエットをはじめシェイクスピアとか、アンデルセン童話とかグリム童話とかディケンズとか、ファウストとか色々よ」
キクナは唖然と聞いていた。
「すごいわね。その年でそんな難し本も読めるの。わたしなんて古典は苦手で、娯楽小説ばかり読んでるわ」
キクナはまるで年上の人を敬うように尊敬を込めてユアにいった。ユアは頬を薄く染め、照れ臭そうにいう。
「べつにすごくないわ……私は本を読むのが好きだから……。それにわからない表現とか単語とかはリリー、アリーテ、ムニラ達と教え合っているもの」
ユアは少し紅くなった顔で、みんなを見た。
キクナはユアを抱きしめてやりたいほど、可愛く思った。
「みんなで助け合っているのね。それは良いことよ」
キクナがそういったとき、「ファニーだって教えてるもん」とファニーが話に割り込んできた。
「ファニーは教えてるんじゃなくて、教えられてるんでしょ」
ユアは腰に手をかざして訂正してみせる。
ファニーはみんなよりもニ、三歳小さくて妹のような存在に思われた。
「ファニーも教えてるもん」
ファニーは頬を風船のようにふくらませ、すねた顔をしてみせた。
「そうね。ファニーも私たちではわからないことをいっぱい教えてくれてるわ」
リリーがいった。
リリーのその言葉を聞いてファニーの風船はしぼんだ。
「そうよ」
と満悦気に胸を張る。
「シスターたちは色々な教訓を教えてくれるの」
キクナは次の話題に話をふった。
「ええ、シスターたちは色んなことを教えてくれるわよ。勉強だけじゃなくて、人間として大切なことをいっぱい」
たしかにベタニアやヨハンナ、スザンナたちは色々なことを教えてくれそうな気がした。昨日の昼にやってきて、まだ数十時間しか経っていないけど、ベタニアやヨハンナ、スザンナには色々なことを教えてもらった。
それは明るいことばかりではなく、ここにいる子供たちの現状や孤児が増え続ける歴史の背景など多種にわたる。
キクナは暗くなってしまった自分の心を払しょくするように、話を変える。
「じゃあ、男子たちの話しって」
とキクナが訊いたとき、少女たちは甲高い悲鳴を上げた。
どうやらキクナの背後にある何かに驚いた様子だった。
キクナはいったい自分の背後に何があるのだろうかと思い、振り返ると木の枝にぶら下がった毛虫が目に飛び込んで来た――。