第一幕 序章「江ノ島の戦い」
序章
ごうおおおー
こうおおおおーっ
俺の名は太田 資長。
今、小田急線快速急行、片瀬江ノ島行きに乗っている。
古いモーターの唸り声、車体の軋み……これらの音は、奴の咆哮。
源義経!
神奈川県鎌倉市の観光地、江ノ島近海で発生した震度7の地震。
その中、義経の怨霊が海底の隆起とともに蘇った。
中世日本の政治闘争の輝かしい戦果の果てに裏切られ、殺された男。
源義経!
……海が見える。小さい頃に見た、あの、海だ。
父と母と、兄弟、従兄弟、皆が俺に手を振っている。遠くなった海岸線から。
海岸……俺は荒波の中、頼りない浮き輪にすがり、人の姿が小さくなっていくのを見た。
焦る。水がだんだん冷たくなっていくのが足伝いに分かる!体が硬直していく感覚!
早く戻らなきゃ!足をばたつかせ、陸に戻ろうとする。
しかし、ついに父と母、兄弟、従兄弟の姿は判別できなくなっていく。遠くなる。
後ろを見るのが怖かった。
もし、後ろの大海原を見てしまったら、俺は事象の地平線を超えてしまうに違いない!
しかし、遠くに船がいるのではないかと思い、後ろを振り返ってしまった。
船は、一隻もなかった。
俺は益々焦った。恐怖は倍加し、死の直感で頭がまっしろになる……
だがその時、うねる波の先に人が立っているのが見える。あり得ないことだが本当だ。
そこには……鎧をまとった、顔の黒い男がうねる波の上、水面に立っていた。
俺の目は、歴史の教科書で見た姿そのままの、そいつを見た。
源義経!
直感的に分かった!こいつが俺を海の向こう、事象の地平線に引きずり込もうとしていることを。
目が覚めた。4時43分。夢だったのか。
気づくと、壁や”ふすま”が音をたて軋み、揺れている事に気がついた。
揺れは徐々に大きくなっていく。地震だ!
かなり大きい。突き上げるような衝撃を感じた瞬間、スマホがけたたましく鳴る。
「神奈川県、震度7」うるさい。
反射的にスマホを投げてしまった。それで、音は止んだ。
布団を被り、じっと揺れが収まるのを待っていた……
朝日が差込み、目覚める。
地震の中、俺は恐怖を無かったことにしたかったからか、寝てしまったのだ。
スマホ、スマホ……
部屋の脇に黒い物体が落ちている。よく見るとバラバラになっている。俺は馬鹿だ。
仕方なく、滅多につけないテレビをつける。
NHKのニュースがやっていた。地震の話題でもちきりだった。
「相模湾南海沖地震と発表され……東日本大震災の余震の可能性とのことです」
自宅は損傷していない。皿が割れた。フィギュアの背中のパーツが割れてしまい、轟沈。
奴だ。源義経の仕業だ。俺の日常を、中世の将軍に奪われていくのが分かる。
だが、何のために…?ただ、何事もなく過ごしていたかった。
俺は30歳を越えた辺りから社会人(派遣社員)を相変わらず続けていた。
会社では「考えろ、勝手にやるな、いいからやれ」などと言われ続けてきた。
社会に出てから10年余。そう言われること以上のことは出来そうにない……
まあ、それでもいいやと思いながら平日を過ごす。
休日には録りためたアニメを見て、時折映画館にいそいそと行ったり、薄い本の鑑賞を続けていた。
不満はないが、喜びもない。まっ平らな感情。平時はそんな自分にすら気が付かない。
寝る前にふと、twitterを見る。そのときに気がつくのだ。自分の承認欲求に。
twitterの自称オタク野郎がつぶやく。
”自分は陰キャなんで、オタク同士で焼き肉を食ってます”
”進捗”
などと書いてある。そしてうまそうな焼き肉の写真がのっている。横にフィギュアを並べている。
よく見るとテーブルの向こうに人の手が写っている。明らかに女の子の手だ。いいね47件。
「いいねなんて、そんなについたことねぇよ。焼き肉なんて、しばらく食ってないし」
本当の陰キャはタイムラインにすら乗らないものなのだ。
陰キャ、オタクと自称しながら、いいねを狙っていく態度に腹が立つ。
完全に嫉妬だ。
わかっているのだけれど……
「オタクとは。」
と書き込んだあたりで、眠ってしまう。
朝が早いから。
第二章
弁慶との戦い
夢を見てからというもの、自分の不満はすべて源義経に向けられている。そういう習慣が出来た。
たとえば、世間で何かの事件や問題が起こると必ず出てくる隣国の名前。
これと扱いは同じだ。俺の周囲で起こる事件や、嫌な事は全て源義経に託す。
「完全に思い込みだ。」
独り言が漏れ出る。
ニュースサイトを巡っていたら、地震の影響で江ノ島が隆起したという画像が出てきた。
そこには江ノ島よりも大きい丘のような、山のようなものが江ノ島と片瀬江ノ島駅の間にそびえ立っていた。
海岸はすっかり土砂で埋め尽くされていた。湘南乃風が流れる季節には、観光客で覆われるあの風景は蘇りそうにない。
この新しい山を作った奴の正体は、弁慶だ。
弁慶が義経のいる江ノ島に敵が来ないように防いでいるに違いない。
俺は使命感に駆られたように、リュックサックにiPad、ペンとノート、カメラ、財布とピッケルを詰め込んで電車に乗りこんだ。
鶴岡八幡宮に戦勝祈念の為にお参りをした俺は、江ノ電に乗りこんだ。
震度7の地震が起きたというので、当初はたどり着くこともままならないと思っていた。
だが、江ノ電だけは奇跡的に動いていた。
津波が神奈川県の西側に集中したためだ。伊豆半島は壊滅的なダメージを受け、死火山とされた天城山が大噴火を起こした。
火山の噴煙が空を覆い、江ノ島の背後はまるでセカイノオワリ。
片瀬江ノ島駅。
駅をおりると、磯の香り、腐った海藻の臭いがする。片瀬江ノ島の駅前のこじんまりとした感じは無い。
地震で突然隆起した地形が目の前にそびえる。直感的にわかった。これは、弁慶の山!
俺は、弁慶と戦わなければならない。
人の影が山の頂上に立っている。切り立った岩の上に、腕を組んだ僧兵の姿を見た。
そう、あれは歴史の教科書で見た弁慶だ。薙刀を持った弁慶は、にやりと笑った気がした。
「あなたが弁慶ですね」
「そうだ、弁慶だ。説明はいらないな?」
「お前の主人、義経を倒しに来た。義経は俺を、事象の地平線の向こう側に連れて行こうとしている。いわば、ブラックホールだ。俺の、人生の!」
「物事には時に、理不尽というものがある。お前はなぜ、自分だけが狙われているのか?という顔をしているな。残念だが、私にはその問いに答えることはできない。だまって死ね」
弁慶の覇気が衝撃波となって俺を吹き飛ばす。
一瞬気を失いかけたが、すぐに正気を取り戻す。だが、すでに弁慶は俺の目の前にいる。どうする!?
俺は「弁慶の泣き所にピッケルを突き刺す」を選択した。ADVゲームに出てくる例の選択肢だ。
他の選択肢「詫びを入れる」は選びたい衝動に駆られたが、攻撃が目の前に迫っていたので選択しなかった。
「弁慶の泣き所に、ピッケルを突き刺すぞ!弁慶ーーーッ!!」
ザク!
「お、おおおおあああアアアAAAAッッッ!!!!」
弁慶は泣き崩れた。屈強な肉体を持つ弁慶でさえ、たった一点の弱点によって崩れ去ってしまう。
俺は、反則技をかけてしまったような気がして、ちょっと罪悪感を感じた。
しかし、鶴岡八幡宮にお参りして、罪業を少し消滅させているので、足し引きゼロということで心の中で納得させた。
弁慶は倒れた。
その時、そびえ立っていた弁慶の山は幻のように消え去った。江ノ島へ続く橋が現れた。
例えるなら、ダークソウルに出てくるような感じの演出だ。
この橋は今回の大地震が起こる前、片側の車線を増やす工事をしていた。
歩行者は右側の車線の歩道を使わなければならなかった。
おそらく義経は、この地の利を生かして、罠を仕掛けているに違いない。
江ノ島から大勢の人間が渡ってきた。
人々はしばらくの間、江ノ島に閉じ込められていたのだ。
俺が弁慶を倒し、橋を開放したことによって、人と車が江ノ島から大量に押し寄せてきたのだ。
これでは江ノ島に入ることすらままならない。
第三章
少女、海からやってきた
義経、笑ってやってきた
しばらく立ち尽くしていると、一人の少女が海から現れた。
「こちらです」
市松人形のような姿をした少女は自らを竜宮の遣いと名乗った。
だが、俺はこの少女を見たことがある。面影が、歴史の教科書に載っていた、北条政子を二次元に変換した姿だ。
”嫁から学ぶ!あたらしい日本の歴史”という本で見た。
「あ、あなたは!あの!」
北条政子は源の兄弟がみな死に絶えたあと、鎌倉幕府を裏で牛耳る、フィクサーとなった人物だ。
「どうしたんですか。早く船に乗ってください」
「あ、はい」
北条政子の漕ぐ船に乗る。船は小さな遊覧船で、地震の前は大人400円で乗ることが出来た。
青の洞窟行き、などと銘打って小銭稼ぎをしていたようだ。
俺はそんなものに乗ろうとは思わない。だが、俺の嫁化した北条政子の操る船ならば、4万円は払ってもいい。
「つきました」
「ありがとうございます。これは、お気持ちです」
俺は財布の中の4万円を北条政子に手渡した。そして、こう言った。
「これでも足りないと思うくらいなんです。何せ一大決心の戦いなんです。もしよければまた船に乗せてください。今度は、ぜひゆっくり話しましょう」
「はい。よろこんで」
俺は満面の笑みを浮かべ、江ノ島に上陸した。
その時、江ノ島の小高い岩の頂上がまばゆく光を放った。間違いない。義経だ。
江ノ島は静まり返っている。さっきまで、人がいたとはとても思えない。
この時期はシラス、アワビ、海鮮丼、アイスクリーム、雑貨などを売って繁盛している、あの江ノ島とはとても思えない静けさだ。
「はっはっはっはっは!!はっはっはっはっは!!ははは…」
甲高い笑い声を上げる、そいつが、島が聖地であることを示す鳥居の上に立っていた。
平安武将の鎧をまとったそいつの姿は、夢の中に出てきたあいつであり、教科書に出てきたあいつの姿だ。
「義経!遂に現れたな!俺は、お前を殺す!」
「はっはっはっはっは!!お前に私が倒せるかな!?みろ、この空を!」
空を見上げると、赤黒い闇の中に、一筋の光が差している。鎌倉方面から、江ノ島の岩の上に伸びる光。
「この島は、いわば天然の要塞であり、私の姿そのものなのだ。そして、この光は鎌倉の大仏、高徳院の阿弥陀如来さまの光だ。この光は、宇宙8つ分を照らすパワーを持ち、この光に当たったものは、永遠の力を得られる!!」
その瞬間、目の前から義経が消えた。
「……ど、どこ行ったんだ!?」
ゴゴゴううう……!!ドドどぉぉぉん……
「地鳴りがする……余震か……」
ドッ!!!
第四章
最後の戦い
江ノ島の中心が再び光ったかと思うと、突如、大爆発した。
俺は衝撃で中に浮いたかと思ったが、意識が薄れていった。
「選択肢のない無理ゲーを、いつまでやらせるつもりなんだ……」
暗い部屋。俺は力なく横たわっている。しかし、上と下の感覚が曖昧だ。暑くもなく、寒くもない。
小さい頃、友達から嫌われて無視され続けたことがあった。
そのとき、押し入れの中で数時間、じっとしていたことがあった。
辛い気持ちを人に悟られるのが嫌だったからだ。
ずっと押し入れにいられるなら、ずっといたと思う。
でも、お腹は空くし、トイレにも行きたくなる。生きているからだ。
でも、今はお腹もすかないし、トイレに行こうとも思わない……
もう、終わりだ。
起きてください……起きてください……
あなたは、まだ、死んではなりません……
北条政子の声だ!
俺の意識は、みるみる蘇る。
もういちど俺の嫁に会いたい!この一心が心を奮い立たせた。
「俺はっ!!死なない!!」
体に血液が回るのがわかる。頭や体が熱くなってきて、汗が出るのがわかる!
目を開けると、眩しい光が差し込んでくる。そして、大きく揺れるのは船の船体。
時折響く重い音。
北条政子が体育座りをして、俺を見ていた。かわいいじゃないか。
「起きましたか。休む暇はないわ。これを持ちなさい」
俺の持っていたピッケルだ。登山の為に買って、しばらく使わなかったピッケル。
「さあ、あれを倒しなさい」
北条政子が指を向けた先は暗い海と、赤黒い空。その中でひときわ目立つ、輝く巨人、源義経。
「お、おう……」
通常だと、ああいう図体の敵は、初見殺しとか、向かったら必ず殺される的な位置づけの敵だ。
最初は絶対に勝てないが、二周目に立ち向かったりすると勝てるような、そんな感じの奴だ。
しかし、これはゲームじゃない。リアルなゲームなんだ。
死んだら、終わり。
「はっはっはっはっは!!どうだ!これが真の姿よ!天下を取れなかった私の怒りを知るがいい!!」
「しらねぇよ……」
義経が海面を蹴り上げると、大きな津波が発生し、押し寄せてくる。
その威力は、一軒家を軽々と押し流す程の力だ。波は、目前に迫っている。こんな小舟だと、砕かれてしまう!
「船を浮かべましょう。虚空に」
政子が空に向かって手を上げる。船が手の動きに合わせて浮かび上がる。
指先が義経に向けられる。船は指先に合わせて移動する。
古代の魔法が、俺の前に現れる。これなら何とか出来る。無限の可能性を感じさせるほどの自身がついた。
「さすが……!俺の嫁」
「義経!俺の船を見ろ。俺の船は浮かんでいるぞ。お前なんかがいくら巨大になっても、この船の高さには及ばない!」
「ふっふっふ、その口、閉ざしてやる」
義経の背中から大砲が出てくる。
大砲が火を吹いた。火の玉が船のすぐ横を通り過ぎる。
「げげ!なんじゃありゃ!」
「はっはっは!私の体は江ノ島そのもの。江ノ島の構成物質を自在に操作できる!江ノ島は箱根山の火山灰で構成された島。つまり、私の体は火山の力を持っている!!」
長い解説の間に、義経の体が赤く光り出した。直視するのも辛いくらい、熱い赤外線を放っている。
「奴の熱い体を、冷やすしか無いわ」
「政子さん、俺に考えがある、船を限りなく奴に近づけてくれ!」
義経に近づく度に、頭がくらくらするほど暑くなる。俺はピッケルを奴に叩きつける。
「はっはっは!!そんなことをしても無駄だ!私の体に傷をつけても、マグマがたちどころに傷を修復するっ!」
「義経、少し頭を冷やせ!」
俺は十分に熱くなったピッケルを義経の頭に投げ入れる。ピッケルと船の間にはワイヤーが一本通っている。
「今だ政子さん!水を排出するんだ!!」
「はい」
船のバラスト水を義経の頭に浴びせる。すると、突き刺さったピッケルとともに、義経の頭が岩石に戻る。
「よし、いいぞ!政子さん!全速前進、ヨーソロー!!」
どこぞの海賊王になった気分だ。
船が全力で前へ進む。すると、ワイヤーがピンと張り、義経の頭を引っ張った。
「ぬっっ!!ぬおお!?ま、まさか…そんな!?また、私は首を取られると言うのか!!!」
「義経!お前の恨み、叩き落としてやる!海に帰れっ!」
義経の頭が胴体と引き剥がされる。
「ワイヤーを切断するんだ!」
ワイヤーが切断され、義経の頭が海上に落ちていった。
やがて、義経の胴体は冷えて固まった。こうして、戦いは終わった。
第五章
三年後
「今日はいい天気だな」
海の風が心地よい。あの地震で荒れた湘南の街は、何事もなかったかのようにきれいになった。
「政子さん。今日はドライブに行こう」
「ええ、いいわよ」
あの後、俺は政子さんと鶴岡八幡宮の近くのアパートで暮らすことになった。
彼女は義経を倒すために今の世の中に蘇ったが、義経を倒した今となっては、目的もなく、ただ放浪とするだけしかない。
そこで俺は居候兼使用人という名目で彼女を引き取り暮らすことにしたのだ。
彼女は二次元の存在なので、ご飯を食べる必要がない(食べることはできる)
なので食費はかからない上に、家の掃除を手伝ってくれるし、朝は起こしてくれるし、何から何まで完璧な存在(嫁)なのだ。
でも、最近は少しお金がかかるようになった。彼女はソシャゲにはまってしまったのだ。
「今ね、刀剣乱舞というゲームが面白くて仕方ないの。髭切がこんな姿になって…」
「よかった……楽しそうで」
でも、別に良いんだ。俺はお金を稼ぐ気になった。
そして、新しい生きがいを発見した。彼女と暮らす。それだけで、世界は明るい。




