二章
真っ白い空間、話し声がこだまする。
不思議な声は、今日も頭に響く。
必ず自らの声を、目の前の配下に聞かせるように。
無邪気な声は、今は待つ。
主の声を、一言一句聞き逃さぬように。
―『彼』は、今まで幾度も私が与え過ぎた生命力を使い、死なずにいます。
それでも生命力はいずれ尽きてしまいます。
人間の「死」は生命力が尽きてしまう事でなるのです。ですが…―
「『彼』は尽きない、ですか?」
―はい。調べてみると、殆ど減っていないのです。―
響く声は僅かに疲弊を含む。
相手の心をこちらに向かせたいかのように。
高い声は小鳥のさえずりのように問いを投げる。
その前方には、誰もいないというのに。
「では、ボクを呼んだのは、それを調べる為、ですか?」
―そうです、蒼良・サンデル。
あなたに『彼』の生命力を測ってもらいたいのです。―
「分かりました、神様。早速行ってきます!」
彼か、彼女か分からないその者は、小さく笑う。
その顔を、見せぬまま。
少年か、少女か分からないその者は、大きく笑う。
たとえその顔を、見られていなかったとしても。
* * *
七月。
蒸し暑い梅雨を越え、風が熱を運ぶ月。
もうすぐ学生達誰もが待ち望む夏季長期休暇―平たく言えば夏休み―が始まる。
「もうすぐだね!」
喜ぶのは人間だけではない。天使もだ。
人間名「聖 紗良」。
本名「紗良・セイクル」。
栗色の髪と碧い瞳を持つ、俺を殺しに来た天使。
いきなり俺の所に来て、「君は生命力があり過ぎる」と言って鎌を振るってきた。
けれど、いきなり「殺しちゃいけない気がする」と真逆の事を言ってきて、銀色の「手錠」をつけてきた。
今それは俺と彼女の左手の中指に、「指輪」として嵌まっている。
閑話休題。
今俺達は木漏れ日を浴びながら、学校へと向かっていた。
「そうだな、夏休み…楽しみだな」
「秋には君は神様の元だけどね♪」
彼女の相変わらずの仕事の熱心さに、多少の感心は抱くが、
「俺は死なねえ!!」
俺はやはり、それを拒否した。
「あははっ、あ、八時二十五分だよ?」
楽しげに笑う彼女は、少し遠めの時計を見て言う。
場所にして50メートル。天使の目は良いらしい。
俺は慌てて携帯の時刻表示を見た。
「えっ、嘘!?
…嘘じゃねえ!!」
その情報は確かだった。
「頑張れ衛多くん♪
私は飛んででも行けるから♪」
気楽に彼女はそう言った。
「天使めぇ…っ!!」
俺は悪態をつき、自分の足を速めた。
* * *
ギリギリで教室に到着、鞄を置く。
直後、友達が俺の元に寄って来た。
「なあなあ衛多!知ってるか!?
ヒッシーが怪我でしばらく学校休むってさ!!」
「ヒッシーが!?」
挨拶もそこそこに友人が伝える情報は、このクラスの中ではかなり重要なものだった。
ヒッシーとは、俺達のクラスの担任の、菱垣先生の事だ。
体育担当、浅黒い肌がよく似合う三十五歳独身男性。
体力には絶対の自信があるらしいが…
「なんでも重いものをメチャクチャに乗せられた感じなんだってよ。けど、かなり小さいものらしい。」
「…なんだろな…」
俺は少し眉をしかめた。
仮にもヒッシーは男だ。それをつけ狙い、襲い、何の意味があるのだ。
友達が言うには金品は取られていないらしい。
疑問はそれのお陰でさらに膨れ上がってしまった。
「まぁ、ヒッシーはどうでもいいや。
それで、ヒッシーの代わりの先生が女なんだってよ!」
「へぇー。けどおばさんじゃないのか?」
「いや、すごい若くてキレイらしいぜ」
と、そこでチャイムが鳴った。友人は自分の席へ戻っていった。
それにしても、ヒッシー、哀れ。
チャイムが鳴り終わり、しばらくして先生が入って来た。教頭先生だ。
「皆さん、おはようございます。
えー、皆さんはもう知っていると思いますが、担任の菱垣先生はしばらく学校に来れません。
なので、代わりの先生をご紹介します」
そして、その先生が入って来た。
先生の姿を見た瞬間、俺の中の疑問はどこかへ行ってしまった。
それほど、彼女は美人だったのだ。
* * *
「三出 蒼良です。
分からない事ばかりで皆さんにご迷惑をおかけすると思いますが、よろしくお願いします」
焦げ茶で、下方で一つに結び横に流した髪。
優しげに生徒を見つめる茶色の目には眼鏡がかかっている。
両耳に光るピアスには金のリングが付いている。
私は教室の後ろ側から蒼良『先生』を見ていた。
睨むように。念を送るように。
彼女は、何をしに来たんだろう。
(聞かなきゃ…)
思っていたらチャイムが鳴った。
私は席を立ち、『先生』に言う。
「三出先生。少し話があるんですけど、良いですか?」
「…はい、良いですよ。聖さん。」
* * *
場所を人気のない廊下に移し、開口一番私は問うた。
「蒼良。何しに来たの?」
「…私は、ただ教師がしたくて…」
私はその弁解にため息をついた。
眉間に皺を寄せ、私は言う。
「嘘。理由になってない。前から嘘が下手なんだから。
人もいないからその姿も解いたら?」
そう言うと、三出 蒼良、いや、
蒼良・サンデルはピアスを外し、頭上に放り投げた。
ピアスは重なり、大きくなり、頭に浮かんだ。
そう、天使の輪だ。
指を私に向けて差し、丸を描き、線を描き、図形を、文字を描く。
浅緑の魔法陣が出来上がり、それを発動する為の呪文を唱える。
「レリーズ」
淡い光が蒼良を包み、それが消えた頃には、蒼良の姿は変わっていた。
髪は金に、高く一つに結わかれている。
瞳は深い緑で眼鏡をしておらず、羽衣は腰にリボンとして結ばれていた。
そして、その背は縮まっていた。
その姿こそが蒼良・サンデル。
私の義妹。
「うん、やっぱりボクはこの姿が良いや☆」
「それで蒼良、何しに来たの?」
私は先程と変わらない態度で問う。
「神様に頼まれたの。『彼』の生命力を測って来いって。
なんでも、『彼』の生命力は殆ど減ってないんだって。だからその原因を調べろって。」
確かに、蒼良の武器『ゾディアック』には【計測】という能力がある。
他にも【変装】という能力でさっきのように変化をしていた。
なかなか多種類の能力を持つ武器を扱う者はいないから、神様は蒼良に依頼をしたんだろう。
「けど連れて来いとは言われてないよ。それはお義姉ちゃんに任せるね!」
そこまで言った時点で、一時間目の予鈴のチャイムが鳴る。
「ボクの担当の教科は体育だから…、二時間目からだね。」
そう言ってまた蒼良は魔法陣を描いた。
「チェンジ」
元というのはおかしいが、大人の姿に変わって、蒼良は歩き始める。
「早く教室に戻らないと、遅刻しますよ。聖さん。」
三出先生はそう言って階段を上っていった。
* * *
昼休み。
俺は弁当を食べている最中、紗良に呼び出された。
自分の席から数歩、廊下に出される。
「三出先生には気を付けて!!」
単刀直入にそう言われた。
「…は?」
「は?
じゃない!
三出先生…、三出蒼良は天使なの!!」
「は!?」
いきなりそう言われても、理解が追い付かない。
「ちょっと待て。その根拠は何だ」
「私達天使は皆、天使の輪をどこかに付けてるの。
私だったら髪飾りなんだけど、蒼良はピアスになってる。
後は同族のにおいというか…そんな感じなんだけど。」
そう言って紗良は髪飾りを触る。
楕円形の針金を二つに折ったような、金色に輝くそれを、彼女は髪から外す。
結んだ髪が一房ほどけた。
「あの子は私の義妹なの。
あなたの生命力を測りに来たんだって。
それだけらしいけど、あの子は何するかちょっと分からないから…」
その時だった。
「堤くん、ちょうど良かった。ちょっと手伝ってくれる?」
ある意味ではタイミング良く、三出先生がやって来た。
紗良が柳眉を逆立てる。
「先生、私が行きます。」
「いえ、聖さん、あなたより堤くんの方が適任なの、力があるから。だから…」
俺はそれを、
「…分かりました、行きます」
快諾した。
「衛多くん!」
俺は紗良に小声で言う。
「大丈夫。それに、どこにいても分かるんだろ?」
そう言って左手の指輪を見せた。
そして俺は三出先生の後に…
いや、蒼良という天使についていった。
* * *
普段立ち入ってはいけない屋上に、俺と蒼良は向かった。
「先生、何でこんな所に…」
「レリーズ」
蒼良は俺の問いに答えず、呪文を唱えた。
淡い光が彼女の本来の姿へと戻す。
十二歳ぐらいの幼い少女がそこにはいた。
「…この姿では初めてだね。
ボクは蒼良・サンデル。…ちょっと手伝ってくれるかな?」
「なんだよ。死ねって事なら断るぞ」
「違うよ。」
蒼良はそう言って空間に手を伸ばす。
別の空間へと繋がっているそこから、宝石を連ねたような数珠が出て来た。
「ちょっとキミの生命力を測りたいんだ。
痛くも何ともないから…」
そう言うと、数珠の一つ、黄色が光り、紐から離れる。
そして…―。
* * *
衛多くんは屋上に行った。
(やっぱり何かするんだ、蒼良…!)
私は長い階段を全速力で駆け登る。
扉を…
開けようとして、開かない。
(やっぱり閉めてる!)
人の目なんか気にしていられなかった。
髪飾りを外し、二つとも上に放り投げる。
瞬時に髪飾りは天使の輪へと戻る。
同時に制服から普段の服装へと戻る。
一部を除いた全ての魔法は、人間になっている時は使えない。
不便な世界だと思いながら、素早く魔法陣を描く。
「レリーズ」
扉の鍵を開け、中に飛び込むとそこに、
蒼良と、黄色い球体に取り込まれた衛多くんがいた。
「衛多くん!
…蒼良、あなた私の使命を奪うつもり?」
《紗良、それは違う!》
「衛多くん!大丈夫なの?」
その質問には蒼良が答えた。
「これが【計測】の力だよ。
標的を取り込んで測りたいものを測るの。
人体には無害だよ。」
「そう…」
その時だった。蒼良の目の色が変わった。
驚愕の色に。
「…神様、どうすれば良いですか…?」
蒼良が神様と話し始めた。
内容は神様と、神様と話している天使しか聞こえないので、人間である衛多くんはもちろん、天使である私にも聞こえない。
天使の輪は金に淡く光って、神様の言葉を蒼良に伝えている。
それを聞く彼女の顔は、不安げで、青ざめて、やがて覚悟を決めた顔になった。
(まずい…)
私は異空間に手を伸ばした。
取り出したのは私の武器『ヴァルキリー』。
能力は【強制送還】。
あらゆるものを在るべき場所へ戻す能力。
私は球体に包まれた衛多くんに近寄り、
斬った。
球体を。
それは衛多くんを吐き出し、小さくなって、蒼良の持つカラフルな数珠へ帰っていく。
「もう使命は済んだのでしょう?帰りなさい、蒼良。」
鎌を元に戻しながら告げる。
だが蒼良は首を横に振る。
「ダメ…。
『彼』は、生命力があり過ぎる。今すぐ神様の元へ連れて行かないと…」
「それは私の使命よ!
他人の使命を奪うなんて、天使の風上にも置けない!」
私の中で情けは既に消えていた。
だがそれは蒼良も同じだったようだ。
「さっさと神様の所にこの人を連れて行けば済む事じゃない!!」
激昂した蒼良は、『ゾディアック』のオレンジの球体を掴んだ。
* * *
義姉妹ゲンカが始まった。
元々の狙いは俺なのに、その扱いの事で意見が食い違ったらしい。
そして今、二人はかなりの高速で戦いを繰り広げていた。
蒼良はオレンジの球体の力で、どうやら体を強化したようだった。
すさまじい速度で紗良を追い詰めていく。
だが紗良も負けてはいない。
鎌で蒼良を斬らないようにしながら攻撃を受け流している。
蒼良は距離を取り、茶色い数珠玉を握り締める。
茶色い光の矢が飛んだ。
だが紗良はそれを鎌で斬る。
光は散り、数珠に戻る。
蒼良は次に赤い数珠玉を握りながら紗良に向かって走った。
蒼良の手に赤く光る短刀が二振り握られる。
鎌と短刀が当たる。
高い音が響く。
二人は退き、蒼良は赤い短刀を捨て、白い数珠玉を握った。
数珠を持った右手が白い光に包まれる。
光が収まった時、蒼良の右手には眸子があった。
黄色く、黒く、楕円形のそれは、山羊の目に似ていた。
「!
…蒼良、あなた『堕落』するつもり!?」
「分からず屋のお義姉ちゃんを黙らせる為だよ。」
そう言って蒼良は眸子を紗良に向ける。
山羊の眸子は妖しく、蒼く光った。
そして、眸子は炎を噴き出した。
真っ青な。
それは高熱を撒き散らしながら一直線に紗良に向かった。
一度紗良は横に回避したが、炎は追いかけてきた。
「ボクの『ゾディアック』最大の能力、【業火】。
火より熱い炎が標的を燃やすまでずっと追いかけてくるよ。」
「蒼良!!そんなに『堕落』したいの!?
今すぐこれを止めなさい!!」
紗良は必死に避けながら蒼良に叫ぶ。
だが蒼良はそれを無視した。
「煩いな!!もう燃えちゃえー!!」
炎は蛇のように鎌首をもたげ、
浴びせるように降りかかった。
数秒、蒼い炎は紗良を焼いていた。
しばらくしてから蒼良は手を下げる。
炎はやがて消え、そこにあったのは、
紗良だった。
無傷の。
「…!!」
「絶対の熱気には絶対の冷気。
私なら【分身】で惑わせてやったな」
そういう彼女の髪には霜が付いていた。
「まさか…あの魔法を…」
「えぇ。
『アブソリュート・ゼロ』。それを自分にかけたの。」
「死ぬ気だったの!?」
「あなただって殺す気だったじゃない。
…さて」
そう言って、紗良はゆっくり、且つ確実に蒼良に近付いた。
鎌を振り上げた。
鈴が鳴った。
「一回…頭冷やしてきなさい!!」
俺は…―
* * *
斬ってしまえば良かったのに、私は手を止めてしまった。
目の前には怯える蒼良と、鎌の柄を掴む衛多くん。
「落ち着けよ、二人共。
何で始まったか分からないケンカで何ムキになって蒼良を殺そうとしてるんだよ?」
「殺さないもん。
神様の所に返すだけで「一緒だよ、そんなの。」
衛多くんはため息を吐いて、言った。
「俺にとっては、天使も人間も、悪魔だって同じだ。
変わらないよ。」
「衛「きゃー!!」
蒼良が、突然衛多くんに抱きついた。
「すごいすごい!
あんな恐いお義姉ちゃんを止められるなんて!かぁっこいぃ〜!」
「…はぁ、そうなのか?」
「そうだよ!
ねぇねぇ、これからキミの事、衛兄ちゃんって言っても良い?」
目を輝かせ、小さな天使は俺に問う。
「…別に良いけど…」
「やった!
よろしくね衛兄ちゃん☆」
「あ、あぁ。
それより…」
俺は見た。
蒼良の炎で焼け焦げ、紗良の鎌で原料と化した屋上を。
「これをどうにかしてくれ…」
蒼良の武器は今作中最も能力の数が多いです。
これからもどんどん出していきます。
閲覧ありがとうございました。