九章-end-
永訣の温顔
紗良は、あの後、小さなたくさんの光になって、『天国』である上に行った。
人は死んだら星になる、という言葉を、衛多はふと思い出した。
失意とたとえようもない悲しみの中、皆はようやく立ち上がった。
まず、静歌が目覚めたメシアの前に歩み寄り、彼女と目線を合わせて言った。
「…御免なさい」
「………」
メシアは目を逸らした。
そして、小さく言う。
「夢で言われた、綺麗な髪の天使さまに。笑ってるのが一番だって……、メシアの、上での名前って、何?」
「…!」
静歌は、その言葉に驚く。
決して聞かれる事はないと思っていたからだ。
「…済世。済世・クリストです。」
静歌の代わりに、シンがメシアの真の名を告げる。
「世を治める、世を救う、神の子の名前ですよ、メシア。」
「…改名できないのかしら。だって…済世は、天使の子だもの」
白金の髪を揺らし、メシアはそう言い、笑う。
涙を流し、静歌はメシアを抱き締めた。そして、メシアもつられて、泣きだす。
優しく、二人を包むシンがいた。
* * *
チャコールは、泣きじゃくる萌と蒼良を見ていた。
自らは泣かず、本を読むように、事実を淡々と受け止めていた。
だが、ふいに腰を上げ、地獄の闇に消えようとした。
部屋に帰ろう、彼女はぼんやりとそう思っていた。
その時。
「…チャコ!」
「…」
彼女を呼ぶのは、ディムだ。
彼しか、彼女の事を渾名で呼ぶ者はいない。
「…何?」
どこか冷たく聞こえる声色で、チャコールは聞く。
「いや…その…なんていうか…」
やはり。
彼はその声をそのまま受けた。
どこかに落胆を感じながら、チャコールは口を開く。
「用が無いなら、…話しかけな「やっぱりな」
「…何がよ」
「お前、なんか…無理してるよ」
「…何、言ってるのよ」
チャコールは、黒縁眼鏡の奥の壁を横にずらした。
それは、彼女の、嘘の癖。
「ほら、目逸らした。…お前、嘘つくと目逸らすの、知ってるか?」
「え」
「知らなかった、みたいだな」
してやったり、というような、悪戯が上手くいった子供のように、ディムは笑う。
「…そんなの、偶然よ!」
顔を真っ赤にさせ、チャコールは声を荒げた。
「偶然じゃない。…俺は、ずっと見てたから」
急にディムは真顔になり、そう言った。
彼は一歩、足を前に進めた。
彼女は一歩、足を後ろに進めた。
彼は進み、彼女は退いた。
「どうして逃げるんだよ。…どうして、嘘つくんだよ」
「…逃げてない。…嘘なんか」
「そうか」
素早く、ディムは『烙印』を撫でる。
そこから伸びる、黒い糸。
見ようによっては髪のようなそれは、すぐにチャコールを捕える。
ディムの仮名、『弦技』の力だ。
「…ディム、離しなさい。ワタシはこれを燃やせるのよ」
「…離さない。」
糸がチャコールを捕えたままディムの手に戻る。
そして、二人は向かい合った。一人は糸に捕らわれたままで。
ディムは手を伸ばした。
チャコールの頬に。
「ちょっと…何するのよ」
チャコールは静かに怒る。首を振って手を避ける。
だが、その手の力は強く、チャコールの頬を無理矢理ディムの方に向かせる。
「こっちを、向け」
「向いてるわよ」
「向いてない!目が逃げてる!」
言われて、また気付く。
「…どうしていつも、ちゃんと見てくれないんだよ…」
「…教えてあげましょうか?」
「…?」
ディムの手に、液体が当たった。
チャコールの頬に、涙が落ちていた。
「ちょっ、チャコ「恐いからよ!」
「…え?」
ディムは言葉を失くした。
「深く関わりたくないからよ!皆消えてしまうから!」
「……」
「何もかも!人も世界も…、未来も愛も「なくならない!」
勢いをなくしたチャコールは、小声で反論する。
「…嘘よ。今も、そうだったじゃない…」
「…お前は本当に何も見てないな。…諦めると思うか?あいつ等が」
そこで初めてチャコールは、初めてディムの顔を見た。
彼の顔は真っ直ぐ、チャコールを見ていた。
「どんな事をしてでも、あいつ等はまた会おうとすると、俺は思う。…多分、俺も」
「?」
「…本当に、見てなかったんだな…。…好きなんだよ。チャコの事が。」
息を飲む彼女に、ディムは寂しそうに笑って言った。
「…ごめん。…忘れて」
そう言って、ディムは糸を解き、どこかへ行った。
「…ディム…」
答えは言えず、少女は一人残される。
* * *
背を支えていた、双子の姉が消えた。
萌は支えがなくなった事で倒れ、横になったまま、ただ涙を垂れ流していた。
さっきまで隣に倒れていた筈の、あの子がいない。
笑顔が素敵な、桜色の少女が。
それを改めて認識し、また萌は泣く。
(…だから、ずっと一人でいたのよ…)
人間でいる時は、その性格のお陰で、人があまり寄り付かなかった。
ネメシスの姓になったのは、偶然だがとても良い姓だった。
ずっと使命一筋に生き、人と群れず、関わらない。
そうして来たのは、この時が恐かったからだ。
(あの…バカ…)
口が悪く、性格も顔もきつく、天の邪鬼な自分。
争いを好まず、美人で人柄も良く、とても素直に感情を出していた少女。
(死ぬのは、あたしの方でしょう…?)
未だ、萌は親友の死を受け入れられずにいた。
だが、彼女は聞いた。
「ふえっ…ひっ、お、ね゛ぇ、ぢゃん…」
少女の、義妹の泣く声を。
(…そうだ。あたしが、このあたしが、泣いている場合じゃない…)
ゆっくり、萌は手を付いて起き上がり、涙を拭く。
(あたしは誰かと一緒に泣くより、誰かの手を引っ張ってやるようなヤツよね)
そして、少女のいた場所を見る。
(そうよね?紗良…)
その瞳に、いつもの強気な光が戻った。
* * *
涙が止まらない。
拭いても拭いても、また零れ落ちる。
やっと止まったと思っても、義姉を思い出すと、また流れる。
ずっと、蒼良はその繰り返しだった。
(また…一人だ…)
長く天使をやって来て彼女に、これ程の悲しみを感じた事はなかった。
少女がやって来て半年、「家族」だったサンデルの者が蒼良以外全員死んだ。
その際、今のように泣きじゃくる蒼良を、少女は引き取ってくれた。
サンデルの者にも、兄弟はいた。下界にも、双子の、彼女を知らない兄妹がいる。
けれど、こんなにも絆を感じた事は、蒼良は初めてだった。
「…蒼良っ」
ぶっきらぼうに、呼ぶ声がした。
「も゛え…」
「あーあーヒドイ顔。こすりまくるからよ、まったく」
「そう゛いう、萌も゛、ひどい゛顔…」
「アンタよりマシよ」
そう言い、蒼良の顔を拭った。
「…さて。神様に頼みに行くわよ」
「…神様でも「出来るコトはあるの」
蒼良の言葉を遮り、萌は言う。
「孤児のアンタを、あたし達ネメシスの一族が引き取ってあげるわよ。
他のヤツに反対されても、あたしは一人になっても、アンタをずっと妹にしてやるわ。喜びなさい」
「萌…」
「…姉妹になっても、あたしは呼び捨てなワケ?」
目元を赤く、そして頬もほんの少し赤くして、萌は言った。
蒼良は笑って、萌の隣に蒼良は立つ。
「そんなわけないよ!萌お義姉ちゃん☆」
(ありがとう、紗良お義姉ちゃん…)
その顔に、曇りはない。
* * *
衛多は未だ立ち上がれずにいた。
初恋だった。
いつだって、初恋というものは、心に残る。
それはきっと、叶わないものだからだろう。
稀に叶うケースはあるが、その場合も、初めての恋人、という形で心に残る。
だが、彼のは明らかに叶わないものであり、心に残る要因も、ただの別れではない。
死だ。
衝撃は、強過ぎる。
「………さ、ら……」
心をも、壊す程に。
胸に去来するのは、彼女との思い出。
春休み、自分を狙いにやって来た。
初夏、義姉妹ゲンカに巻き込まれた。
夏休み、日々を楽しみ、
秋、騒動を共にやり過ごした。
初冬、自分の為に戦った。
年の終わりを共に過ごし、
年の初めに離れた。
そして、一ヶ月程前、恋を知った。
たった一ヶ月で、ここまで気持ちが大きくなるものなのか、と衛多は思った。
だが、と彼は考え直す。
(…大体、一年だな…)
一年越しの想いと気付き、また彼は項垂れた。
もっと早く、気付いていれば。
もっと速く、伝えていれば。
(…こんな事、には…)
嗚咽も漏らさず、彼は泣いた。
「…衛多・バンクス。」
「…はい」
呼ぶ声に、涙声で返した。
呼んだのは、天使の青年。
「こんな時に聞くのは、心苦しいのですが…。」
「…何ですか?」
俯きながら、彼は問う。
滲んだ焦点は、今も変わらない。
「貴方が悪魔の力を使った際、貴方は【計測】の中に入っていたのを覚えていますか?」
「…はい」
天使達の世界はとても自由だ。
自らの能力を超える事をしなければ、基本的に何でも出来る。
本来一人しか入れない【計測】の中に、人が二人程入れるのもそれのお陰だ。
「其の時、蒼良・サンデルは貴方の情報も見たそうです。…其の時に…。」
「…?」
「衛多・バンクス、いや、堤 衛多。貴方の生命力が減っていたそうです。」
衛多の涙が止まった。
シンはそれを見て笑いながら言う。
「貴方が力を注ぐのを止めた時には、普通の人間と同程度の量だったそうです。」
「…それ、って…」
「はい。貴方は転生出来ます。記憶等は当然魔法で消すので引き継げませんが…。」
その情報は、嬉しくもあり、悲しくもあった。
転生すれば、もしかしたら、転生した紗良に会えるかもしれなかった。
だが、転生すれば、紗良や他の全ての人と過ごした衛多の記憶は失われる。
衛多は、揺れた。
「………」
「私は此れから、永い時間をかけて天使と悪魔が共生出来るように努めます。悪魔の転生も、容易にしていきたいと思っています。
私は、一人目の悪魔の転生者を、貴方にしたいのです。私達天使と、済世達悪魔の架け橋となった、貴方に。」
返事のない衛多に、シンは続ける。
「…良い事を、教えましょうか?」
「…?」
「私は『ブロードビルド・ローラー』…『天賜器』の力で、世界、いや、宇宙全ての事柄を知る事が出来ます。どんなに些細な事でもです。」
「…それが、何ですか」
訊ねた衛多に、思いがけない情報が舞い込む。
「紗良・セイクルの魂の行き先が、十六年前と、判明しました。」
「…!?」
「魂は自由。何者にも、時でさえも縛る事は出来ません。そして、彼女の向かった先は、彼女の生まれた家でした。」
更に、神を名乗っていた男は続けた。
「補足ですが、…十六年前の彼女の家の住所は、貴方の街です。」
「え…!?」
思わず声をあげた衛多に、シンは微笑んだ。
「彼女の家庭の事情は先程聞いた通り複雑ですから、きっと紗良・セイクルはやり直しに行ったのでしょう。
…どうします、追いかけますか、堤 衛多?」
「…そうします。…また、紗良に会えるなら…」
(それに…)
覚悟を決めた理由は、シンの話だけではなかった。
衛多の腰のポケットに手を当てた。
渡せなかった指輪が、まだそこにあるのだ。
「分かりました。では、上へ行きましょうか。」
「はい」
シンは指を鳴らした。尾の長い光の鳥が傍らに現れる。
「ブッダ。…お願いします。」
了解、とでも言うように、シンの周りをくるりと一周し、ブッダは飛んだ。
光を散らしながら、シンを起点として円を黒い地に描く。
ある地点で舞い、不可思議な紋様を書き込んだ。
そうして巨大な魔法陣をブッダは作り、主の元へ帰る。
「御苦労様です、ブッダ。皆様、行きましょう、堤 衛多の見送りに。…トランスフェアレンス!」
彼の髪と同じ黄金色の光を発して、魔法陣は衛多達を『天界』に運んだ。
* * *
辿り着いたそこは、シンが座していた場所だった。
「ここから、転生が行えます。…やはり少し前に、魂が此処を通っていますね。」
「……」
俺は固唾を飲んだ。
「…と、父様。転生する時に危険はないわよね?」
ステノで影を作り、それでも眩しいのか、目を細くしているメシアが言った。
「大丈夫です。今までそのような事は一度もありませんよ。…天使に限っては。」
「それじゃ、保証もなんて出来ないじゃない!」
萌が逆上する。
「きっと、大丈夫です。転生を行うのはシンの魔法ですから。
魔法に失敗は、今までありません。其れは私達の誇りの一つですから」
マリアは皆を安堵するように穏やかに言った。
その言葉に、皆の顔から緊張の色が消えた。
俺も、その一人だ。
「では、そろそろ行きますか。…貴方は本当に、たくさんの事をしてくれましたね。」
シンが、しみじみと語る。
いつもの金の髪に、輝きがないような気がした。
「有難う御座いました、衛多さん。…それから、御免なさい」
マリア、いや、静歌が申し訳なさそうに述べる。
紅い瞳にも覇気が無かった。
「ありがとうナイト。…済世、ナイトに会えて良かった」
メシアが寂しそうに話す。
ステノを触りながら、彼女は必死で涙をこらえていた。
「別れは寂しいですが…、いつかまた会えるでしょう。その時は、妾の夫を紹介しますね」
イリスさんが瞳に涙を溜めて言葉を紡ぐ。
言った後、すぐに口元を押さえ、俯いた。
「澄花…チャコールの分も言っておくわ。アンタの事、嫌いじゃなかった。むしろ…会いたくなかったぐらいよ!」
萌は、後半泣きながら言った。
目頭を必死で押さえながら、萌は俺をじっと見ていた。
「衛兄ちゃん…、いなくなっちゃ、やだよ…」
蒼良は既に止められなくなった涙を拭きながら、弱々しく叫んだ。
俺は、その素直な思いに応えた。
「蒼良…大丈夫、すぐに帰ってくるよ。紗良を連れて、な」
「本当…?」
「ああ。それより早く、蒼良がどこかへ行っちゃうかもしれないのが俺は心配だな」
蒼良は首を大きく横に振ってそれを否定した。
「行かない。どこにも行かないよ。」
「本当か?」
「うん。だってボクは、紗良お義姉ちゃんと、萌お義姉ちゃんと、衛兄ちゃんがいる所が家なんだもん!」
涙でぐしゃぐしゃの顔で、蒼良は笑った。
細い金髪の頭を撫で、俺も笑った。
「そうか。…じゃあ、萌と二人で留守番、よろしくな!」
「うん☆」
俺は蒼良と合わせていた目線を高くし、言った。
「…お願いします、シンさん」
「…はい。」
そして、黄金の光を指に灯し、彼は魔法陣を描く。
「向かう場所は?」
「俺の街、俺の生まれ育った家に。」
円が描かれた。
「何をする為に?」
「大好きな人に会い、共にいる為に。」
曲線が空に浮かぶ。
「向かう時は?」
「十六年前、最初からやり直しに。」
直線が、陣を作った。
「宜しい。それでは、頑張って下さい。」
金の魔法陣が、シンの胸の前に浮かんだ。
俺は皆を見て、告げる。
「また、会おう。」
皆が頷き、俺はそれを見て目を瞑る。
「待っています、皆で。此の輪廻の途中で、貴方達を…。」
そして、来た。
「トランスミグレーション」
金色の光が、体を包んだ。
意識がどこかへと引っ張られる。
(…どこへ、行くんだろう…)
果てしないどこかを彷徨う感覚。
目を瞑っているので、それが何かは分からない。
ただ、とても暗く、とても明るい場所にいるようだった。
(早く、会いたい…な…)
思考が曖昧になってきた。
出口が、近いのだろうか。
(それに、し、ても…長…いな……)
霞み始めた意識の中、自覚を持たずに俺は縮こまる。
その様は、無垢な赤子。
知覚もなくなってきた。
最後に感じられたのは、温かさ。
(…ね…よ……―――――)
そして、おれはねむりについた。
かのじょに、あう、た、
* * *
「…あ。」
「どうしたの、シン?」
「…記憶を消すのを、忘れていました。」
「ふふ。…わざと、でしょう?」
「…さあ。まあ、大丈夫でしょう。…私は、信じていますから。」
それが、奇跡を生むのだ、と…。
お待たせ致しました、九章終了です。
長々とすいませんでした…。
次は終章、最終回となります。
二人はどうなるのか、ご期待下さい。
閲覧、ありがとうございました。