九章 その4
紫の目はマリアを見つめたまま動かず、メシアは口だけを笑わせて喋る。
「イリスさまを探して来てみたら、ケンカする声が聞こえるじゃない。それもイリスさまが責められてるみたいな、ね。…思った通りで良かったわ」
言って、冷たくマリアを見る。
「あのさ、メシア。何でステノが動いてるんだ?」
「ナイトは分かってるはずよ?ステノの秘密。あの時ステノを見たナイトなら」
考え、俺は一つの推測を導く。
ルリさんの作った『エトワール』のように、ステノは瞳である石の力で動いているのではないかと。
「…そうか」
「分かったみたいね」
にっこりと彼女は笑い、値踏みするように、ゆっくりマリアの周囲を歩き始めた。
「…オバサン、なんでイリスさまをいじめてるの?」
「…おばさんではないのですが」
「オバサンよ。イリスさまより長く、上の世界にいるらしいじゃない」
ステノとマリアから、ぎちぎちと嫌な音がした。
助けを訴えるようにステノがメシアを見る。
ピッと指を鳴らし、メシアはステノを傍らに置いた。
「…メシアのステノをいじめないで」
「私の邪魔をするものは、たとえ畜生でも子供でも、容赦は致しません」
「そう…けどメシアはただの子供じゃない!!」
言って、少女は女と距離を取る。
二歩目のバックステップで、メシアはそのまま後方に、ステノは前方へと駆けた。
「ステノ!『エウリュアレ』!!」
走る銀の大蛇は大きく口を開く。
先程は全く見えなかった、無数の牙のような毒針が口全体に展開されていた。
針は飛び、マリアを刺そうとする。
「子供に倒されるような私ではありません」
【金糸雀】の力で即座に展開された薄青の盾がマリアを守る。
「なめないでよ!『メドゥーサ』だよ、ステノ!!」
口を閉じた蛇は、その背を丸めた。
「何をするつもりか分かりませんが、排除させてもらいます」
魔法の剣が、ステノを狙う。
「だから言ったじゃない、なめないでって」
剣が疾る。
しかし、ステノは鱗一枚切れていない。
蛇の身を守ったのは、一対の翼。
その鱗と同色の、美しい翼がその背にあった。
「……」
「とどめよオバサン。ステノ、『ゴーゴン』!!」
素早く身を起こした銀蛇は、その翼を広げ口を大きく開く。
銀に輝く光弾が、マリアを捕えていた。
「オバサン、そろそろ諦めなさいよ。大体なんでイリスさまをいじめてるのよ」
それに、マリアは答えない。
「もう、答えなさいよ、早…く…」
突然、メシアの言葉が止まった。
紫の瞳が、マリアの顔を映している。
「銀に、赤…」
呟いた時、
「…静歌・キャロル!大丈夫ですか!?」
ようやくシンが姿を現した。
メシアは彼を見て、やはり言葉を失う。
「金に、青……嘘よね…?」
「…メシア?」
「嘘よ…ウソ、ウソ…うそだぁっ!!」
俺はメシアに駆け寄りその肩を抱く。紗良も歩いてついてきた。
「どうしたんだよ、あの二人「一緒なの!!!あの二人、一緒なの…!!」
「…落ち着いて、ゆっくり話してくれる?」
静かに、紗良は語りかける。
一瞬、メシアは身を震わせたが、小声で、早口で話した。
「昔、まだメシアは赤ちゃんの頃、誰かに捨てられたんだって。それを見た人が言ってたの。
一人は白…つまり銀の髪に、らんらんと光る赤い目をしてて、もう一人は、きれいな金髪に…冷たい青い目をしてたって…」
「それって…」
「…そう。もしかしたら、メシアの…メシアの…」
「…親…」
メシアはそれを聞く前に、目を閉じ、耳を塞いだ。
「…ステノ…」
小さな声で、メシアは銀の蛇を呼ぶ。
メシアは蛇に抱き付き、蛇もメシアを優しく包んだ。
今、メシアは世界を拒絶していた。
冷えた目で、それを見つめるマリアとシンに、俺は問う。
「…なあ、…そうなのか?…お前達はメシアを「そうです。」
問いに即答したマリアは続ける。
「…仮にも私は大天使。それが子を成した。おかしいでしょう?大天使に限らず天使は、種の保存など有り得ない。
なのに、この私が、過ちを犯してしまった。…この事実は消したかったのです」
「…だから、ここにメシアを…」
「転生の可能性は考えましたが、転生は意志有る者しか出来ません。ある程度の年齢に達しないと行えないので…」
「その後どうするつもりだったんですか」
マリアに代わって、シンが口を開く。
「…自我が芽生えたら、転生させようと思っていました。しかし、子供は私達の顔をしらないのです。だから、もうこのままで良いと思い、今日まで何もしなかったのです。」
「…、勝手ですね」
「何か言ったかしら」
「ええ…、言いました」
折角話が終わりそうだったのに、またイリスさんとマリアの目から火花が散った。
その時、マリアの目が唐突に動き、紗良に留まった。
「え…」
紗良の目から正気が消える。
「命令です、紗良さん。あの女を殺しなさい。」
「……分かりました…」
「マリア・ブレス…、貴女、なんて事を…」
嘆くイリスさんに嫌な笑いを向け、彼女は言う。
「戦いましょう。それなら話に決着がつくでしょう?」
「……」
俺には、どうする事も出来なかった。
(非力だ…)
刺青が彫られた左手を、強く握り締めた。
* * *
光弾が飛ぶ。光縄が唸りをあげる。
それら全てを黒衣の女は避ける。
俺はそれがイリスさんの名字の能力「踊飛」だと分かった。
イリスさんは回避のプロなのだ。
(…名前と、真名は何だろう?)
ぼうっと、ただ黙って立って成り行きを見ていた。
何もせずに。
俺は今、する事があるはずだ。
怯えるメシアの側にいてやる事。
魔法にかかった紗良の目を覚ます事。
マリアとイリスさんの戦いを止める事。
たくさんあるのに、それら全てを俺はやろうとしない。
(なんでだ…?)
疑問に思うが、行動には移さない。
「…昔の君は、何処に行ったのですか?堤 衛多…。」
「…あなたは」
「こうして君と話すのは、初めてですね。」
メシアの父、神と名乗っていた天使は、傷ついたような表情で話す。
「…私達は、彼女を殺す事も出来ました。」
「…!!」
「けれど、やはり自分達の子なのです。情があります。それに人殺しは罪。出来る訳がありません。」
天使とはいえ、もとは人。
人としての感情が彼にある事に、俺は少し安心を得る。
「メシアは初めて俺に会った時、俺のにおいが嫌だと言いました。まだ少し残っていた、上の世界のにおいが付いていたんだと思います。けど…」
「けれど?」
「普通、赤ん坊の頃に嗅いだにおいなんて覚えていませんよね。…物心ついて、そのにおいを嗅いだ事があるなら嫌だと言えるでしょうけど…」
シンさんは俺の仮説に、目を閉じて答えた。
「…鋭いのですね。…確かに私達は姿を偽って会っていましたよ。声をかけて、少し遊んでやる程度のものでしたが。」
「…シンさん…」
「メシア、下界で「救世主」という意味でしたね。…此処での名字は?」
「…『巳女』、です」
反芻したシンさんは、美しい青の目をメシアに向けた。
「上での彼女の名前は、『済世・クリスト』です。名字は「神の子」、名前は「世を救う」という意味です。
此処でも彼女は救世主の名を持っていたんですね…。」
「…シンさん、仲直りしましょう、メシアと。それから、これは俺個人の意見ですが…上の、『天界』の人達に自分が神でない事を言った方が良いです」
「…何故でしょうか?」
メシアでなく俺の方を向いたシンさんと目を合わせ、俺ははっきりと言った。
「神がいなければ彼等が天使ではないと、誰が決めましたか?」
「………。」
シンさんは一度黙ったが、言った。
「…分かりました。それならば少しマリアとも話した方が良さそうですね。…堤 衛多、彼女達を止めましょう。」
彼の言葉には力があった。
俺はそれに勇気づけられたような気がして。
「はい!」
ようやく、動き出せる事が出来た。
* * *
私の意識の上に、大きくて重いものがある。
自分が壺の中身だとするなら、壺の上に大きな石が載せられた感じだ。
表に出られない、のだ。
ただ傍観するだけ。
戦う自分を。
静歌さまが何も無い空間から、白い炎を喚び出した。
イリスさんがギリギリまで引きつけて、横に回避する。
そこに、私が鎌を振るいに行った。
イリスさんは横に倒れるように避けた。
そこに静歌さまの光縄が飛んで来る。
イリスさんはある程度転がり、立ち上がる。
後退りながら走る方向は、私。
当然操られている私は鎌を振った。
一瞬の隙を突いて、イリスさんは私の懐に入り込んだ。
鎌は光縄を断った。能力が、光縄を光に還す。
その間に、イリスさんは私の元を離れ、距離を置いていた。
「随分と、お疲れのようですねキチガイさん」
確かに、イリスさんは肩で息をしていた。
だが、イリスさんは柔らかく笑い、言い返す。
「…それは、此れを着ているからです。重いのですよ、此れ」
自分の服を指差すイリスさんに、静歌さまは冷たく笑う。
「なら脱ぎなさいな。大して変わりなどしないのでしょうけど!」
その言葉にイリスさんは応じ、漆黒色のワンピースを脱ぐ。
服の中央を走るファスナーを下まで降ろし、服を放る。
数瞬ワンピースは宙に浮き、重力に引かれ、
耳を聾する落下音を立てた。
「……」
静歌さまが呆気に取られる。
私も意識の底で驚いた。
(…何、あの音…)
その思いが聞こえたかのように、イリスさんは語る。
「夫が…、肌を見せるなと言うものですから。風が吹いても見えないように、結構な重さのワンピースを特注で作ってくれたんです」
ほんの少し頬を染め、肩を解す。
ワンピースが落ちた地点の床には、ヒビが入っていた。
軽装になったイリスさんは言う。
「さぁ…、続きを始めましょうか」
* * *
どれ程の重さだったのだろう。
重いワンピースを脱いだイリスさんはとても軽々と回避をしてのけた。
時に空に浮く程の軽さは鳥のようで、重いワンピースは鳥籠のように感じた。
静歌さまの自慢の光の触手が追い付かない。
操られている私の足も、追い付いていなかった。
「こっ…のぉ!ちょこまかと蛆虫がぁぁっ!!!」
「蛆虫…、妾は好きです」
「知るかぁ!!!!」
叫びと同時、静歌さまの触手から、光の棘が放たれた。
イリスさんは後退し、重いワンピースを自分の目の前に持った。
棘はイリスさんに向かって行く。大半はワンピースに当たり、頭上や足元に来た棘は全て避けた。
「…ふふふふフフフ。私の魔法を嘗めていらっしゃるのかしら?」
攻撃はそれで全て終わった訳ではなかったのだ。
漆黒の大地から、闇色のドレスから、
蒼白の蔓が伸びて来た。
「…!!」
蔓はイリスさんが避ける間もなく成長し、あっという間に彼女を絡め取った。
「…、くっ」
「うフフフフ。私の縄と絡めた『ブライア』はどうかしら?」
(…静歌さま…おかしいよ、ここに来てから…)
何も言えない今の自分が嫌でたまらない。
あの時の私とは違うのに。
止めたい。静歌さまを。
助けたい。イリスさんを。
破りたい。この呪縛を。
「紗良!!」
(…!!)
呼んでる。
喚んでる、衛多くんが。
(…行かなきゃ、行かなきゃ!)
何かが、ひび割れる音がした。
「…!魔法が…」
今、私のすべき事は、イリスさんを助けて、静歌さまを止めて、
衛多くんに告げる、ただそれだけ。
気付けば、私は叫んでいた。
(…うわぁぁあぁああぁああぁぁああ「…―ぁぁあぁあああ!!!!」
私は頭の片隅で、瓦解の音を聞きながら、走った。
温かい視線が当たっているのが分かって、私は少し、微笑んだ。
まだもう少し、話が続きそうです。
紗良や衛多と一緒に、最後まで追いかけてくれると嬉しいです。
閲覧、ありがとうございました。