七章 後編
時は少し戻り。
私は神様の元へ向かっていた。
両脇には蒼良と萌。
立場が上になってしまった中、以前と変わらず私に接してくれる義妹と親友。
二人は顔を俯かせて歩く。
私はどうすれば良いのか考えながら歩を進めていた。
「…、お義姉ちゃん」
蒼良がようやく喋った。
「なに?蒼良」
安堵した私が馬鹿だった。
「衛兄ちゃん、なんで『堕落』しちゃったの?」
「……………」
答えられなかった。
理由が分からないのもあったが、『堕落』の仕方と静歌さまが言った事が頭を回っているからだ。
この世界にいたくなかったから。
自分を無かった事にしたいから。
後者は無い、と私は思う。無かった事にしたいなら、体自体が消滅して、『遣い』は来ず、私達の目に触れる事もなかっただろうから。
けれど前者は否定が出来ない。
彼は私の知らない何かを知ってしまったんだろうと思う。
だから逃げたいと願い、あんな形になった、そう考えられる。
答えは彼しか知らない。
だから私達は知りたかった。
「…衛多に会ったら分かる事よ。その質問はアイツ自身にぶつけなさい」
「…もうつくよ…」
葬儀の参列のように押し黙って、私達は神様の元へと辿り着く。
「神様、お話が」
―何でしょう?―
いつも、神様はこうやって私達の話を聞く。
神様だから全て知っているのに。
きっと、私達の口から聞きたいのだろう。
真実はいつだって、自分自身しか知る事が出来ないのだから。
「地獄へ行きたいのですが、よろしいでしょうか?」
―何の用があっての事ですか?―
やはり理由を聞かれた。
事前に考えておいた理由を口にする。
「『堕落』した衛多・バンクスの様子を見に行きたいのです。
彼が完全に悪の心に染まり、我々天使の情報を流さないように、彼を牽制しにも行きたいと思いました」
―そうですか。萌・ネメシス、蒼良・サンデル、貴女達は?―
「あたしも同じです、神様」
「ボクもです」
神様は黙り込む。
そして、判断が下される。
―…紗良・セイクル。貴女だけで行ってきなさい。―
「…二人は、何故いけないのですか?」
私は神様に反論する。
神様の判断は絶対なのに。
だが萌も蒼良もそれに異議を唱えない。
―貴女は大天使、悪魔の力に対抗する術があります。
しかし萌・ネメシスと蒼良・サンデルの二人は自分の身を守れるかは分からない。だからです。―
「そんな…」
そう呟いた蒼良は今にも泣きそうだった。
萌も、何も言わないがその表情からは怒りが滲み出ている。
「なら神様、地獄を少し探索してもよろしいでしょうか?
彼等の戦闘方法等、学べられたらですが、学んできます」
衛多くんの監視、並びに偵察。
これなら、神様も納得し、安全が保障されたら蒼良達も次に地獄に行く時同行できるだろう。
―それならば、次回二人を連れて行っても良しとしましょう。
くれぐれも、彼等の行動には気をつけるのですよ。―
「有難う御座います、神様」
思った通りだった。
私達は神様の元を離れ、一旦私の部屋に向かった。
部屋は天使の頃と全く変わらない。
安らぎを感じられるその場所で、私は二人に詫びる。
「ごめんね、二人共…」
「気にしなくていいわ。その代わり衛多をひっぱたいてきて頂戴」
「少し待てば会えるもんね。…待ってるよ…」
だが、そう語る二人の表情はやはり曇っていた。
「…それじゃ、行ってくるね」
自分を情けなく思いながら、私は魔法陣を描き、魔法を発動し、地獄へ飛んだ。
地獄は『天国』のように清らかなイメージはなく、陰鬱な感じがした。
光で包まれていたあの場所と違い、ここは闇が全てを覆っていた。
(衛多くん、大丈夫かな…)
魔法で火を灯し、私は衛多くんを探す。
数分もせず、黒いドアが乱立する場所へ来た。
(なんだか、反対だけど似てるなぁ)
と、ぼんやり思いながら歩いていたら、人だかりに気付く。
話しかけたいが、相手がこちらに対しどう動くか分からない。
友好的に接してくれるのか、それとも攻撃してくるだろうか。
考えあぐねていた時、悪魔の中の一人が私に気付いた。
「…!また天使だ!」
人の群れが一斉にこちらを向いた。
敵意を宿した視線が私に刺さる。
その中の一人が言った。
「皆、待って。さっきの天使と関係があるかもしれない。だとしたらイリス様に報告しなくちゃいけない」
黒縁眼鏡に一つだけの三つ編みをした悪魔は私に向かって言った。
「イリス様に用ですか?」
さっきの話を聞いたところ、その「イリス」さんに会わなければ衛多くんにも会えないらしかった。
私は迷わず頷くと、彼女は悪魔達を説得し、ドアの向こうに籠もらせた。
真っ黒な家具が並ぶその中で数分待たされ、やがて扉が開かれる。
眼鏡の少女が顔を覗かせて言う。
「付いてきて下さい」
彼女は私の前を歩いた。言われた通りに彼女に付いて行った。
なんだか、淡々とした物言いや振る舞いが、人間の姿になっている時の萌に似ていた。
深い闇の中の一室に案内され、私はまた数分待たされた。
そして、やはり真っ黒い女性が部屋を訪れる。
彼女が「イリス」さんだろう。静歌さまとどこか似ていて、けれど正反対な人だと思った。
「今日はお客様が多い日ですね…、先程来た元天使に、用があると見えますが」
「はい。その人に会わせて下さい」
「分かりました…、チャコール、彼を呼んできて下さい」
私を案内した悪魔、チャコールさんは私達に一礼をして去った。
しばらくして、彼女は連れて来た。
あの時と何も変わっていない、悪魔になった天使を。
* * *
彼女の姿を見て、まず俺は、
(良かった)
と思っていた。
俺のせいで彼女は『堕落』しそうになっていたから、俺が『堕落』した事で彼女はそれを免れたのだろう。
応接間らしいその場所で、俺と紗良は何時間かぶりの再会を果たした。
「紗良…」
俺は嬉しさで思わず声をあげた。
だが、
「衛多くん、…本当に『堕落』しちゃったんだね…」
彼女が俺を見る目は、哀れみと蔑みに満ちていた。
「………」
「ねぇ、衛多くん、教えて?どうして自殺なんかしちゃったの?」
そう問う彼女は完全に俺を昔の同志とかとは見ていなくて。
悲しくなった。俺が悪魔になっても彼女は俺を対等の目線で見てくれると思っていたのに。
これじゃ、静歌さんとかシンさんとか、神様に近い人と全く一緒だ。
そういえば彼女の服装は、少し変わっている。
白く長い上着。それだけがある違い。
しかしそれは彼女の言い方がおかしいのと合致する所があった。
彼女は、大天使になったのだ。きっと。
俺が天使でいた二ヶ月ぐらいの間で、上の世界の事情は少しは学んでいたから分かる。
そこから思考は急速に最悪の方向へ展開されていく。
彼女はきっと嘘を付いたのだ。
いや、きっとじゃない。絶対だ。
自分が大天使になりたいから、俺に『堕落』してしまうと嘘を付いて自分を探させた。
戦って、暴れさせて、共犯の静歌さんと俺を取り押さえて、監禁していたのだ。
彼女はきっと自分の部屋で、何も知らない蒼良と萌を一緒にいさせて俺を暴れないようにしたのだ。
そうなると俺は逃げるしかない。そこを脱走したという名目で静歌さんに捕まえてもらえば後はおしまい。
あんなに都合よく『エトワール』と出会うものか。全て彼女達が仕組んだものだったのだ。
全部、全部が嘘。
俺はそれを知って無性に悲しくなった。
それと同時に、猛烈な怒りが俺を支配した。
「…衛多くん、どうしたの?怖い顔して「………かよ」
「え?」
「教えるかよ!むしろ、全部分かってるんだろ、自分で仕組んだ事なんだからよ!!」
俺の足は外に続くドアに向かった。
俺を陥れた天使と同じ空気なんか吸いたくない。
「衛多くん!」
天使は立ち上がり、俺に駆け寄る。
だが、そこまで。
引き留めるものが何もなかった。
白い手袋に包まれている腕でさえ、俺をこの場に留めようとしない。
悪魔に成り下がった奴なんて触れたくもない、そういう事だろう。
俺はそれで確信した。
彼女はやはり、自分の出世の為に俺を利用したのだ。
最低だ。紗良・セイクルというこの女は。
俺は騙されたのだ。
この性根の腐った偽善者に。
「まっ「だったら腕でも掴んで止めてみせろよ」
「え…えいた、くん…?」
何だ、その後に続く言葉は?
俺は予想が出来た。
そんな事私には出来ない、だろう?
「出来る訳ないよな、悪魔になんて触れたくもないんだからな。
…大体何しに来た、監視か?悪魔になった俺の!!」
「違うよ、…表向きはそうだけど、衛多くんが『堕落』した訳を聞こうと…」
「表向き、かよ。嘘だ。それが本当なんだろう!?
『堕落』した訳なんかお前は聞かなくても良いだろう!!お前が俺をそういう風に仕向けて、自分の出世を狙ったんだろうが!!」
怒りは怒声を発しただけではおさまらない。
大きくため息をつき、憶測ではない自分の考えを呟いた。
「…まあ、あんな所から抜け出したいなんて思ってたかもしれないな。…ここの方がずっと『天国』らしいよ」
「…衛多くん」
そして俺は、最悪な言葉を紗良に言った。
「もう、ここに二度と来るな。
…いつまでも、昔のままじゃいられないんだからな」
扉を開け、閉め、扉のすぐ脇にいたチャコールに自室の場所を聞いた。
天使が来る前その話もしていて、ちょうどその話をしようとした時呼び出されたのだ。
そしてその場所に向かう時、チャコールから声がかけられる。
「…あの言い方はありません。あれでは反論の余地もありませんし、貴方の言った事は大半が自分の邪推かと」
「…けど、あいつは大天使になった。それは事実だ。だから俺を陥れたとしか思えないんだよ。
…俺は邪魔者だったからな」
言い捨て、俺は自室に向かった。
必要最低限の家具が置いてある部屋、その中の一つ、ベッドにもたれて座り、
俺は声を殺して泣いた。
(なんでだよ…なんで俺は、あんな言い方しかできないんだよ!!)
自分を苛みながら黒い床に涙を零す。
(…確かに、最低だ。…この俺自身が!!)
チャコールの言う通り、酷い邪推だ。
あんなに疑心暗鬼になった己を恥じた。
彼女は、自分に正直なやつだ。
だから下界で中々俺を殺せなかった。
『天界』で、怖いと言って泣きじゃくった。
雪の降る中、殺したくないと泣き喚いたじゃないか。
なぜそれを忘れていたのだろうか。
俺は、彼女との再会を思い返した。
思い出し、馬鹿だとしか思えなかった。
彼女が俺を見て瞳に映したのは悲哀。
そして、全ての言葉に悲しみが混じっていたじゃないか。
腕さえ掴まなかったのは、掴めない雰囲気を作っていたからじゃないか、この俺が。
ただただ俺は、浅はかな自分を責めていた。
謝るにももう、俺は彼女に言ってしまった。二度と会うなと。
だから、
(ごめん…、ごめん、紗良…!)
胸の内で謝罪を述べ、大声で泣く事しか、今の俺には出来なかった。
七章終了です。
衛多の素晴らしい被害妄想、いかがでしたでしょうか?(笑)
閲覧、ありがとうございました。