一章
雀の声で目が覚めた。
日の光は白く、割と昼に近い時刻である事を教えてくれる。
目を擦りながら身を起こし、
俺の体に乗っている女の子を見つけた。
…こんな時に言うのもなんだが、可愛い。
「おはよう!」
「…おはよう」
女の子は空間に手を伸ばした。
見えるはずのその手は、そこに俺の部屋の模様をしたカーテンがあるかのように、ある一点で見えなくなっていく。
しばらく何かを探すようにしていた手は、おもむろに再度俺の目に映る。
だが何かを手にしていた。
銀に光る、刃と棒。
刃は幅広で三日月形、刃が付いた棒は柄と言うのが一番相応しい。
鎌だ。
死神が持ったりするあの鎌が女の子の手にあった。
「じゃ、死んでね。
おやすみ〜♪」
そう言って女の子は鎌を振りかぶり、俺に向かって斬りつけてきた。
「うわあああ!!」
寝返りをうつように壁際に回避。
鎌が空を薙いだ。
鎌に付いていた鈴が音をたてた。
心臓が突然の事態に踊った。
バクバク言っている。
「あーぁ、逃げられた〜」
少女は野良猫に逃げられたかのように言った。
なんてヤツだ…。
「な、なんなんだお前!!
人の家に、勝手に入って来て!!」
「え?
私人間じゃないよ?」
「…じゃあ、何だお前…?」
俺はそこで彼女の手の中にある鎌を見た。
俺が導き出した結論は、
「…悪魔か…」
「失礼な!
私は天使だよ!」
「…て、天使ぃ!?」
「そう。
神様から使命を渡され、下界に降りてきた天使、『堕天使』です!
…だから」
銀色の鎌を持った自称天使の少女は、にっこり笑って言った。
「世界の平和のために、一回死んで下さい♪」
* * *
「なんで俺が死ななきゃならないんだよ!?
意味分かんねーよ!!」
「えと、ちょっと神様が失敗して、君にありえないぐらいの生命力を注いじゃったの。
例えば、車に轢かれて助かったみたいな事、君にはない?」
確かにある。
五才の時、公園から道路に転がったボールを追いかけて、トラックに轢かれて無傷で済んだ事がある。
さらに九才の時、友達の家のマンションから身を乗り出し過ぎて八階から落ちたがやはり無傷だった。
等々、そんな「九死に一生」な出来事は、数え上げたらキリがない程たくさんある。
「君のせいで助かるべき人間が助かっていないんだ。
だから一度リセットして、普通の人間並の生命力に戻ってもらうの。
人生もリセットされちゃうけど」
「嫌だからな、そんなの。
俺は絶対そんな理由で死なないからな!」
「ダメだよ、わがまま言っちゃ。
人間死ぬ時は死ぬんだから!」
「明るく言うな!
ていうか、死んだらどうなるんだ?」
「大丈夫!その辺りの配慮はしてあるよ。」
天使は笑って言った。
「いなかった事になるだけだから。」
その目は笑っていなかった。
「………」
俺は黙る事しか出来なかった。
「…という事だよ!
人間・堤 衛多くん♪」
「え!?
なんで俺の名前知ってんだ!?」
「神様は何でも知ってるんだよ♪」
鎌をどこかにしまい、天使は浮き上がる。
「それじゃ、死にたくなったらいつでも言ってね♪」
笑って、彼女は窓から外へ出た。
「え!?
すぐ殺すんじゃないのか?」
「死にたいの?」
「そんな訳ないだろ。
…その、どこ行くのかと、思って…」
言葉の最後は、言った自分でも聞き取れない程小さかった。
「神様に報告だよ。
それが済んだら死んでもらうからね♪」
にっこり笑って天使は姿を消した。
「…なんなんだ、マジで…」
* * *
衛多くんの家の屋根の上、私はいた。
神様に報告は本当だけど、すぐには連れていかない事にした。
何でなのかは分からないけど、その方が良い気がした。
「…という事です、神様。
目標は発見、直ちに神様の元へ彼を届けます。」
―頑張って下さい。
あなたの鎌『ヴァルキリー』の力は【強制送還】。
今回の使命には最高の代物です。―
「はい!頑張ります。」
一息置いて、私は神様との『交信』を切った。
『交信』は『地球』で言うテレパシーみたいなものだ。
街を見下ろした。
人間は皆地上を歩き、ある者は怒り、ある者は泣き、ある者は笑っている。
空を飛ぶものは鳥みたいな飛行機とか、本物の鳥とかで、人間だけで飛んでるものは一人もなかった。
羽衣を纏っている人もいなければ、鎌なんて誰も持っていない。
神様の声も聞こえず、信じられるのは自分だけ。
(あの頃は、不確かだったんだな…)
薄膜が一枚かかったような水色の空を見て、私は膝を抱えて俯いた。
(あの時は、)
「何が、確かなものだったっけ…?」
思いは吐息と混じって、消えた。
* * *
天使に気付かれないように家を出た。
今俺は出来るだけ遠くへ逃げる為に走っていた。
やるだけの事はやっておかないと後で絶対後悔するし、天使だから気付かれてるかもしれないが、家で殺されるのを待っているよりは良いと思ったからだ。
だが、彼女は速かった。
少し遠くで叫び声が聞こえた。
直後、俺の体に紐が巻き付いた。
「!?」
桜の色に光るそれは俺の体を後方に引っ張っていく。
「えっ えっ ちょっ、うわあぁっ!!」
バランスを崩し、半ば振り回されるように俺は元来た道を引き返すハメになる。
「もう、なんで逃げるかな!?」
「逃げるに決まってんだろ!!殺されるんだから!!」
「まだ殺さな
ドン!!
天使が何かを言い終える前に、俺達の前方で爆発が起きた。
煙が晴天を煤の色に染めていく。
煙の色の中に、橙色を見た。
「火事か!?」
立ち上がって、俺は走り出した。
光る紐は既に消えていた。
好奇心と、天使から逃げる為、俺は走った。
* * *
『まだ殺さないから安心して。』
私はそう言おうとしたのに、彼には届かなかった。
今彼は火事が起きた現場に向かっている。
私も彼の後について飛んでいる。
私は彼の背中を見ながら思い出す。
彼の所に向かう前、彼についての情報を神様から教えてもらっていた事だ。
流れ込むように頭の中に入っていった情報の一つ。
彼の癖。
災難に自ら飛び込む。
その生命力に助けられてはいるが、彼は気付かず、そう、
『墓穴を掘っている』のだ。
(私は、逃げてた…。)
彼は、『向かう』ために墓穴を掘っている。
私は、『逃げる』ために墓穴を掘っていた。
あの日、小さな私はボールを拾ってもらいに行こうとして自転車に当たってしまった。
あの日、生きていた私は逃げて逃げて、落ちて死んだ。
向かって、死にに行き、神様の力で死なない人間。
恐れて、目を背け、世界に見限られた元人間。
(私は…見たいんだ。)
向かった先の、不幸と幸福を知ってる人間を。
逃げた先で零れ落ちて、束の間の幸せを得た天使は。
* * *
炎は建物を完全に包んでいた。
火が建物を炙り、嘗め、覆っては押し潰していく。
野次馬の壁に阻まれても、熱気は伝わってきた。
「すごいな…」
「見に来ても何もならないでしょ?
話を聞い「誰か!!」
叫んだのは結構若く見えるおばさんだった。
涙で化粧がかなり落ちている。
「助けて下さい!!うちの子が、うちの子がぁ!!」
咽びながら叫ぶ女の人は自分の部屋らしい建物の一角を指差す。
まだ火の手はそこまで来ていないようだが、燃えてしまうのはやはり時間の問題だ。
俺は考えるより先に走り出していた。
燃え盛る住居に。
「あ!…もうっ!」
どうやら天使もついてきたようだ。
燃える建物は喉に痛い煙と、何もかもを灰に帰す炎に満ちていた。
ただ燃焼の音が耳を打つ。
「あの部屋は…三階だったな…」
咳き込みながら俺は階段を駆け上る。
「まず火を消した方が良いんじゃない!?」
天使の少女が問う。
「出来るのか!?」
「出来るよ!少し時間はかかるけど…」
「出来るならやれ!!」
「命令しないでよ!」
そう言いながら彼女は宙に浮き、空に指を這わせた。
光が指先に宿り、模様を作っていく。
俺は天使を置いて、子供がいる部屋へ向かった。
だが、火が行く手を阻む。
「くそっ!」
怯んだが退かなかった。
走るまま炎の壁を越える。
火が服に付くが、焦げる程度で消えた。
金属のドアは熱を持っていたが、手を服で包んでなんとか開けた。
中は未だ燃えていなかったが、暑かった。
部屋を見ていく。
寝室、台所、居間、全て見ていったが、どこにもいない。
ベランダの外も見たが、やはりいない。
「どういう事だ…?」
カチャ。
物音がした。
「…!」
俺は振り向いた。
それは、いた。
五才ぐらいの女の子だ。長い髪を三つ編みにしている。
不安げに俺を見る目には恐怖が宿っていた。
先程見た寝室のドアから、左半身だけを出している。
「ぁ…」
女の子は小さく声を漏らした。
恐怖が表情にも浮かぶ。
顔が歪み、目が潤み、
「待った!!泣かないで!
俺はドロボウとかじゃなくて、君を助けに来たの!」
「…ほんと?」
女の子は高い声で喋った。
涙声だがはっきりと聞き取れた。
「本当。君のお母さんに頼まれたんだ。
早く逃げよう」
「うん…」
俺は女の子の手を取った。
その時、炎が部屋の中に入ってきた。
「きゃっ…」
女の子が声をあげた。
残る退路はベランダ…
そう思い、振り返ったが遅かった。
窓の向こうで火が手を振っていた。
もう逃げ道はない。
「いやあぁ…お母さぁん…」
女の子が泣きじゃくる。
俺は女の子の手を取り、言った。
「大丈夫。
俺達は死なない。」
「…なんで?」
「天使さまが、助けてくれるから。」
(早くしろ、天使なんだろ!)
その思いが通じたかのように、それは来た。
窓の向こうの光が翳った。
見ると、そこには大量の水が流れ落ちていた。
玄関を見ると、火がなくなっていた。
熱気も急速に落ちている。
「おにいちゃん、みーちゃんたちたすかったね!」
「そうだな。お母さんの所、行こうか。」
「うん!
…あ、おにいちゃん?」
「何?」
自分の事を『みーちゃん』と呼ぶ少女は、泣いた後とは思えない程綺麗に笑って言った。
「てんしさま、ほんとにたすけてくれたね!」
「あぁ。」
(本当に、やってくれたな…)
冷えたドアノブを掴み、俺達は歩き出した。
* * *
「全く、今日は散々だったよ…」
自室のベッドに倒れ、俺は呟く。
あの後、俺は無事『みーちゃん』を母親の所に連れていく事が出来た。
母親は嬉し泣きでまた頬を濡らしていたが、みーちゃんはそんな母親を慰めていた。
随分としっかりした子だと感心してしまった。
そしてみーちゃんは天使によくなついて、なかなか帰ろうとしなかった。
彼女も自分になつくみーちゃんが可愛かったのだろう。
長くみーちゃんと一緒にいた。
結局、家に着いたのは、日も暮れて星も出てきた頃だった。
「けどみーちゃん可愛かった♪
なんだかお姉さんになったみたいで楽しかったなあ」
「そうか。…あ。」
「どうしたの?」
「いや…別に…」
だが天使は勘が良かった。
「あ、そっか。君を死なせなきゃ、だっけ」
そういって彼女は、
鎌を取り出さなかった。
代わりに彼女は俺を指差す。
「な、何を」
(まさか…さっきの水とか、魔法で俺を?)
動けなかった。
疲労と恐怖で。
やはり天使は魔法陣を描き、呪文を囁く。
「コントラクト」
そして光は、指に来た。
幾重にも光は左の中指に巻き付き、やがて一つの形を成した。
銀色の、指輪だ。すごくシンプルな。
…これでどうやって俺を殺すのだろうか。
「殺さないよ。」
小さく、天使はそう言った。
「なんだか、まだ君は殺しちゃいけない気がするんだ。
…全部、個人的な事情だけど…、もうちょっと、君を生かしておこうかなって。」
「それと、この指輪はどんな関係が?」
「手錠代わり。
君がどこに逃げても、私には分かる仕組みになってるから。」
「じゃあ、しばらく殺さず、監視って事か」
「そうだね。」
天使は俺に向かって手を差し出す。
「これからよろしくね、衛多くん♪」
「あぁ。
…えっと…?」
「あ、ごめん。名前言ってなかったね。
紗良・セイクル。よろしく!」
「あぁ。よろしくな、紗良!」
俺は天使―紗良の手を取った。
堅くその手を握る。
気が付けば、俺達は笑い合っていた。
これからどんどん魔法や人物、武器などが出てきます。
頭の中がごちゃごちゃになるかもしれませんが、ついてきていただけたら嬉しいです。
閲覧ありがとうございました。