六章 前編
紗良は静歌に呼ばれ、神の元に来た。
「何でしょう、神様?」
―少し忘れていましたが…、あなたの処罰を決めます。―
「…!!」
紗良は、その事について全く考えを巡らせていなかった。
―私の予想からかなり遅れてではありますが、貴女は使命をやり遂げました。それに関しては評価しましょう。
ですが、二度も同志と戦い、しかも人前で天使の力を見せてしまいました。
…総合的に見て、あなたの処罰は…。―
「……………」
重苦しい沈黙。
その先の言葉は、
―『堕落』、です。―
あまりにも、暗かった。
「そんな!!『堕落』は天使を殺し、悪魔に力を貸す程、大罪を犯した者の罰のはずです!」
「…それ程、あなたの罪は重いの」
紗良の反論に、静歌は辛い言葉を吐く。
紗良は何も言えず、ただ俯く。
―…ですが、それを回避する方法が、一つだけあります。―
「なんですか!?」
その時、静歌はそっと、神は確かに微笑んだ。
―それは…。―
聞いた紗良は、またも反論しようとするが、口を閉じた。
分かりましたとただ一言、ゆっくりと踵を返す。
歩き去り、彼女が点程にしか見えなくなった時、静歌が言葉を紡ぐ。
「神様も、悪い人。ただ衛多・バンクスを早く転生したいだけでしょう?」
―当然です。彼のせいで世界はバランスを崩したのですから。
未だ、そのバランスは崩れたまま。待っていたら、世界は滅びます。―
クスクスと小さく笑う静歌は、何かを思いついたのか、表情を真顔に戻す。
「そうでした、神様。この前の生命力の吸引の際、印を付けておきました」
―印…何でしょう?―
静歌はまたもそこで笑う。
笑いで潤んだ赤い目を空間に確かに向け、伝えた。
「どこにいても、何をしていても、彼の居場所が分かる印、です。
たとえ下界へ、異世界へ逃げても…、私達には分かってしまう、そんな印ですわ」
* * *
手に付いた傷が癒えない。
自然に治るかと思ったが、一月程経っても消えず、蒼良の『ゾディアック』を使っても傷は殆ど治らなかった。
初めに気付いた時、静歌さんに聞いてみようと思ったが、どこを探しても彼女は見つからなかった。
だから今度こそ、俺は聞こうと思っていた。
「…さて、行く「衛兄ちゃん!!」
気合いを入れてベッドから起き上がろうとした瞬間、蒼良が『ゾディアック』で扉を壊して入って来た。
勢いを殺せなかった珠が俺のすぐ横を通過した。
…数秒前の体勢だったら危なかった。
「…何だよ、危ねーな「お義姉ちゃんが!『堕落』しちゃう!」
「…は?」
いきなり過ぎて意味が分からなかった。
「…何だ?『堕落』って?」
そう、まず『堕落』の意味だ。
今まで何かと聞いてきた言葉だが、意味は全く知らなかった。
「『堕落』って言うのはね、文字通り、悪魔に堕ちる事なんだよ。天使の最大の罰なの。
…お義姉ちゃんはその最大の罰を受けちゃったんだよ!」
「なんでだ?」
理由も気になる。
蒼良は言い辛そうな顔しながら、教えてくれた。
「…多分、衛兄ちゃんの事だよ。連れてくるのが遅かったから…」
俺の、せい。
「…納得いかないな。紗良に話を聞きに行くぞ」
本来しようとした事と関係がない事だったが、罰などの事なら、神様や静歌さんも出てくるはずだ。
「うん!」
と頷く蒼良。
だがその前に、壊れた扉を直してもらった。
* * *
蒼良と二人で、手分けして紗良を探す。
萌にも協力を仰いだが、彼女は使命の遂行に向かっていた。
指輪の力も使ったが、なぜか反応がなかった。外しているのだろうか。
俺の靴音だけが今、だだっ広い空間に広がる。
「紗良!どこだよ!」
だが、広すぎるそこの前に、音は無力だった。
発しては響き、やがて消えていく。
幾度それを確かめただろうか。
広がる白の先に、点を見つけた。
近付くと、それは色を付けた。
茶と、桃と。
「紗良…」
俺は足を動かした。さっきより速く。
彼女まで、あと三十メートル、二十、十、九、八…
紗良はそこで、
鎌を取り出した。
「…え?」
あと五メートルの地点。
一歩で二メートルを詰め、彼女は鎌を俺に振った。
空を薙ぐ銀。
冷たい音を鈴は鳴らす。
ギリギリ、鎌は俺を斬らなかった。
「おい!どうしたんだよいきなり!」
「…みんなと一緒にいる為だよ!」
苦しそうな、そんな表情を浮かべながら紗良は答える。
「それでなんで鎌を振る!?」
「私の力ではこれが唯一の手段だからだよ!」
尚も紗良は鎌を振るう。
ただもう、がむしゃらに。
(どうすれば、どうすれば良い!?)
必死で考えを巡らすが、まるで思いつかない。
ただ、鎌を避けるしかなかった。
逃げ惑う俺の進路を断つように、鎌は容赦なく銀の弧を描く。
(描く…?
!
そうだ、魔法…)
何も出来ないと勘違いしていた。
不思議な力に対抗する術を、今の俺は持っている。
紗良のように素早くは描けないが、出来るだけ早く描いた。
彼女の鎌を止める力を、言葉に込めた。
「ストレイン!」
いつか、逃げる俺を捕まえた光の縄。
俺が初めて目の当たりにした、天使の力。
青い光が鎌に走る。
紗良はもちろんそれを斬りに出た。
俺は逃げながら、縄に力を込めた。
縄が刃を避け、柄の上を走る。
やがて、光は刃の色を変えた。
銀から、青に。
「…よしっ、これで話を聞いてくれるな…」
「…ごめん、衛多くん…」
「え?」
俺が疑問を口に出すのとほぼ同じ。
「吸いなさい」
それは、もう一つの力。
聖女の名を冠する、鎌と同色の鈴。
その能力は、まさに神からの託宣。
縄を掴む手は、開く事を拒まれた。
体の奥から、力が消えていく。
「カンヴァージ」
吸われた力は、魔法で出現したガラスのような球の中に、液体として満ちていた。
体が寒過ぎて、動かない。
膝から、崩れ落ちた。
ただ手だけが離れない。
段々意識がぼやけてきた。
それでも力の吸引は止まらない。
紗良がもう一度呪文を唱えた。
だがその声はなぜか震えていた。
球がまた一つ増え、呟きが聞こえた。
「…どうして…どうして止まらないの?」
「…?」
「どうして力の吸引が終わらないの!?」
その時。
「衛兄ちゃん!!…お義姉ちゃん?」
一緒に紗良を探していた蒼良が来た。
俺に駆け寄った蒼良を見た瞬間、紗良は義妹に叫ぶ。
「蒼良、お願い!
今すぐ【計測】を使って!!」
「なんで?そもそもお義姉ちゃんは「良いから!早く!!」
紗良の剣幕に圧された蒼良は、渋々【計測】を使った。
瞬間、天使達は息を飲んだ。
* * *
【計測】が示した情報に、ただ驚くしかなかった。
私の予想では、生命力は今人並みぐらいに近付いていると思われた。
全く、減っていない。
吸引しても、すぐ元の数値に戻っているのだ。
「なん…で…」
訳が分からなかった。
「自分で生命力を、製造しているのでしょう」
「「静歌さま!」」
音が響きやすいこの空間を、全く気配を分からせずに、大天使がやって来た。
そしてこの空間全てに響き渡るかのような、爽やかな声を発する。
「彼の生命力が底無しなのは、そういう訳でしたか。
ありがとうございます、紗良さん」
「…お義姉ちゃん、なんで衛兄ちゃんの生命力を吸い取ってるの?
…静歌さまもありがとうって、どういう事ですか?」
「………」
私は口を噤む。
「お義姉ちゃん!!」
だがそれに、静歌さまが答えた。
「私が話します。
知っての通り、紗良さんは『堕落』の道を歩む事になってしまいました。
けれど、神様はそれを逃れる条件を出したのです。
…衛多さんの生命力を、人並みになるまで奪えと…」
「何ですかそれ!
こんな目に合わせる必要はどこにもないはずです!」
やはり蒼良は反発した。
だがそれに制止をかける声が響く。
「蒼良…、良い。」
「衛兄ちゃん!」
衛多くんは、生命力の吸引が行われている中、フラフラと立ち上がった。
「紗良…大丈夫だから。
そんな事で、お前が堕ちないなら…、続けてくれ。」
たったそれだけを言う為に、彼は無理をして、倒れた。
蒼良が駆け寄り、『ゾディアック』を使って衛多くんを持ち上げた。
「蒼良さん、彼を降ろして下さい。」
だがそれを許さない静歌さまが命令する。
しかし、今日の蒼良はそれに従わなかった。
「…すいません。今回だけは、その命令は聞けません…」
蒼良は、オレンジの珠を握り締めた。
あれは、【強化】。
「逃がしません」
静歌さまはそう言ったが、動かなかった。
いや、見えなかった。
気が付くと、静歌さまの前には魔法陣があり、そこから無数の縄が伸びていた。
青白い光が、蒼良をがんじがらめにしていた。
私は慄然とした。
いつ呪文を言ったのかも分からない。
いや、いつ手を動かしたのかも知らない。
早過ぎて、理解の域を超えていた。
「…蒼良さん、衛多さんを降ろして下さい。
…早くしないと貴女を、この光で引き千切ってしまうかもしれません」
蒼良は何も言わず、『ゾディアック』を動かして、衛多くんを床に降ろした。
蒼良を縛っていた縄は、今度は衛多くんに巻き付いて、彼をこちらに運んで来た。
「お帰りなさい、蒼良さん。今日は萌さんを見張りに付けておきます。
貴女がいつ衛多さんを奪うか分かりませんので」
静歌さまはそう言い残して歩き始めた。縄を絡ませた衛多くんを引き連れて。
蒼良は、緊張が解けた場に一人、泣きたいのを必死で堪えて、じっとそこに立ちすくんでいた。
気が付くと生命力が入った球は、四つに増えていた。
* * *
たくさん時間が経って、ようやく私は自室に帰った。
眠くて仕方がない。
だが我慢をしなければならない.
なぜなら、魔法で衛多くんを捕えているからだ。
彼は今眠っているが、いつ暴れるか分からないとの事で、私が監視する事になったのだ。
無垢な顔で眠る彼が恨めしい。
そう思いながら、眠気と必死に戦っている時だった。
小さく、扉を叩く音。
「…どうぞ」
控え目に顔を覗かせて、蒼良が部屋に入って来た。
「……お義姉ちゃん、…ごめん」
「…いいよ。訳を説明しなかった私が悪い…」
蒼良は私の背後に目を向けた。
「…衛兄ちゃん、寝てるね…」
「監視してろって言われた。寝れないや」
あはは、と笑った時、蒼良とは対照的なノック音が響き、了承も得ずに彼女は入って来た。
「…ったく、やっぱりいた。いきなり人を拘束して、あたしが静歌さま達に言ったらアンタしばらくここに帰って来れないわよ?」
「萌…、あ、そっか。蒼良の見張りだっけ」
はあ、と大きなため息を付いて、萌は愚痴をこぼす。
「そうよ。全く、アンタ達何かやらかした訳?
あたしは使命が終わったばっかりなのにこんな事しなきゃいけないなんて。
…そこで寝てる堤 衛多も関係あるの?」
「…うん」
私は萌に、事の次第を説明した。
「…何やってんだか、アンタ達。自分の身が可愛くない訳?」
「けど、お義姉ちゃんを見つけて話を聞こうと思ったんだもん!」
「話がしたければすぐに言うわよ。そうでしょう紗良?」
萌は私に話を振る。
「…そうだね。…話すつもりはなかったよ…」
「ほらね。
けど、静歌さまがそこまですごいだなんて…」
私に関しての話は終わり、今度は静歌さまの話に切り替わる。
蒼良が相槌を打った。
「けど今までの行動でも分かるよ。
いつも足音はしないし、隙なんてどこにもないし」
「アンタが言うとすごくないわよ蒼良。
…発動の言葉も聞こえないなんて、ありえないわよ。そう思わない?紗…」
「…寝てる…」
そう、私は萌に初めに問いかけられた後から、眠りに落ちていた。
浅い眠りなので聞こえていたが、全く頭に入っていなかった。
天使は意識を失くすと、魔法を維持できなくなる。
当然、衛多くんを留めていた縄達も、消える。
このまま放っておけば、衛多くんに逃げられるだろう。
だが、それはなかった。
「…、しょうがないわね。
…ストレイン」
萌が代わりを引き継いでくれた。
浅黄の紐が衛多くんにまとわりついた。
それを知るのは、数時間後だった。
* * *
私が眠ってしまい、数時間。
いつもと同じ、新雪の色で目が覚めた。
しばらく呆けていたが、衛多くんを見た。
(…良かった、逃げてない…)
浅黄色の光はその途端、霧散した。
萌も眠りに落ちたのだろう。
気を引き締めて、魔法陣を描いた。
「ストレイン」
桜色の縄が、衛多くんを縛る。
だがもう、する事がない。
私は寝こけている衛多くんを見た。
本当に、安らかな顔で寝ているのが腹立たしい。
(…悪夢でも見せてやろうか)
彼の鼻をつまんだ。
数秒経ち、顔が歪んだ。
(…面白い)
あまりやると起きてしまうので、鼻から手を離し、次はどうしようか考えて、やめた。
なぜか、彼の手を取った。
温かく、広くて大きい手だった。
反射で、彼の手は私の手を軽く握り返した。
胸が騒いだ。
考えてみれば、彼に会ってからいつもこんな事になっている。
火事の現場に出くわしたり。
学校に行ったり。
蒼良は教師に変装したり。
結局冬まで下界にいた。
それに彼には、たくさん弱みを見せている。
生命を奪う事、それで生じる恨みに対する恐怖。
(…けど)
それを思うようになたのは、彼をここに連れて来てからだ。
今まで、そんな事は思う事さえなかったのに。
ずっと、使命だからと割り切っていたから。
ただ思い出すのは、斬った後の彼の表情と、私があの日泣いた時の腕の力。
それから、小さな笑顔と温かさ。
(…これから、分かるよね)
この気持ちの、正体は。
背中に壁を預け、天井を見た。
白い光を瞼に感じながら、目を閉じる。
握った手は、そのままに。
それが、私の得た最後の安息。
今回は長かったので、前編、後編に分けました。
一気に掲載も良かったんですけど、飽きられるのは困るので、このような形になりました。
閲覧、ありがとうございました。