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Silver Ring  作者: 紫花
16/37

間章

夢を見た。

桜の下に立っている夢だ。

思い出せないものが一つあって、それはとても大切なものだった気がする。


「なんだったかな…」


天使になって幾日か経って、俺はよくこの夢を見る。

だが毎回その「とても大切なもの」が何か分からない。

いつも考えて、思い出して、分からなくなった頃、誰かが俺の部屋を訪ねて来る。

大半は、


「衛兄ちゃん!」


蒼良だったりする。


「あぁ、おはよう蒼良。…どうした?」


今日の蒼良はいつもと服装が違っていた。

普段は蛍の光のような色のワンピースに、長く薄手の白いカーディガン。

装飾も何もない白いブーツを履いている。

だが今目の前にいる蒼良の格好は完全に白かった。

肩紐、胸元、裾、それらにファーが付いた短いワンピース。

提灯袖の、脇辺りまでの長さのアームウォーマー。だが袖と言った方が通じそうだ。それらも末端にはファーがある。

白いタイツに包まれた足の先には、長さは普段と同じだが、ほんの少しのヒールと、靴紐が付いていた。

色は、今回は巻かれた髪と、肌と、目、そして天使の輪等の装飾品だけだ。


「ん?あぁ、この格好?

衛兄ちゃん、今日は何の日か知ってる?」


頭の中でカレンダーをめくる。

行き着いた日付は、


「十二月、二十四日?」


「そう!クリスマスだよ☆

ボク達天使のお祭りだよ☆」


いつもより上機嫌の蒼良は、俺に浄化の魔法をかけ、外に連れ出した。

そして、ある扉の前へ引っ張っていく。

扉の中には、仕事をするたくさんの天使達がいた。

皆忙しく走り回っている。

『師走』の二文字が頭に浮かんだ。


「礼服の調達しなきゃね☆

すいませーん!」


一番近くにいた天使が反応、俺達の方に走り寄って来た。


「何でしょう?

…あら、蒼良さん。(わたし)の作った礼服、着てくれているんですね」


「もちろんだよ玻璃さん☆

今日はね、衛兄ちゃんの礼服を作ってもらいに来たの!」


言って、蒼良は俺の方に目を向けた。


「衛にい…、あ、あなたですね。

こんにちは、私は玻璃(はり)・ニーダです。

天使の職業の一つ、『ヴィーガ』のリーダーを務めております」


「…こんにちは…、衛多・バンクスです…」


透き通るような銀というより白い髪は、絹のような艶を持っていた。

黒い瞳は名前の通り玻璃ガラスのような輝きがあった。


「えっと、玻璃さん。なんか全然分からないんですけど、まずクリスマスが何なんですか?」


「バンクスさん、新米の天使ですか?」


「まあ…」


キラキラと艶めく髪を払って、玻璃さんは教えてくれた。

クリスマスは、天使が年に二回、月を気にせず出歩ける日の一つだという事。もう一つはバレンタインデーなのだそうだ。

下界と同じように、パーティーをするらしい。

そして、クリスマスは礼服を着ることが決められている。

普段の格好ではやはりつまらないから、という噂らしい。

そして、玻璃さんがリーダーの『ヴィーガ』は、衣服を作る天使の集まりらしい。

その道に長けている人が多いそうだ。

他にも、下界等の監視をする『アルタイア』というグループがあるそうだ。

そう言った者は、この仕事に魅力を感じる人や使命をこなすのが苦手な者が、神様の配慮により使命以外で活動し、大天使を目指せるようにと考え出したらしい。

実際、その昔使命ではなくこうした活動で大天使になった者がいたとの事だった。


「…こんなものですかね。それでは、礼服を作りましょうか」


「よろしくね玻璃さん!とびっきりのお願いね!」


そう言って蒼良は俺の背中を押す。

時間がかかるんじゃないだろうか、そう考えていた俺の耳に、その言葉は届いた。


「慌てなくても大丈夫ですよ。

…もう採寸は出来ましたから」


「え?」


「礼服だから色は白。蝶タイというよりはネクタイですね。いや、あえてなしかな…この人はピシッと決めるより少しだらしなさがあった方が良いですね。だったら上着は羽織る程度のもので、ズボンは言うまでもなく白で、足はこの人に白い革靴は合わなさそうだな。若干グレーが混ざったものなら良いかな、どうだろう…」


玻璃さんが壊れた。俺はそう思った。

平然とする蒼良に俺は聞いた。


「…蒼良、玻璃さん大丈夫か?」


「うん☆いつもこうだよ。玻璃さんは衣服の事になるとちょっと暴走しちゃうの。

その代わり、最高のものを作れるのは、今のところリーダーの玻璃さんしかいないの」


そんな玻璃さんはいつの間にか屋内に通る虹色の川に手を入れて、水面をかき混ぜていた。

時折様子を見ては、またかき混ぜる。

しばらくして、川から何かを掴んで一気に引き上げた。


純白の礼服が、そこにあった。


「出来ましたよ、どうぞ」


丁寧に折り畳まれて渡されたそれは、濡れているどころか日に干されたように温かさがあった。

川から取り出された時にざっと見た礼服のデザインは、先程玻璃さんがぶつぶつ言っていたものと同じもので、俺好みに仕上がっていた。


「ありがとうございます。…素晴らしいですね」


「いいえ、こちらこそ。

じゃあ、私はまだ仕事がありますのでこれで…」


そう言って、笑顔の玻璃さんは溢れかえる人の中へ入っていった。


「大変だな…」


「そうだね。けどボク達も玻璃さん達も自分の仕事に誇りを持ってる。

だから頑張れるんだよ」


玻璃さんの去っていった方向に強い眼差しを向けながら、蒼良はそう言った。

だがすぐにいつもの表情に彼女は戻る。


「さ、衛兄ちゃん、早く着替えて!

ボク衛兄ちゃんが礼服着たの早く見たい!」


俺は蒼良に背中をグイグイと押され、自室に戻る事になった。




*  *  *




真っ白い礼服に袖を通す。

サイズはぴったりで、着心地は申し分がなかった。

部屋に備え付けられた姿見でざっと確認しようとして、


「着替えたー?」


と、蒼良が入って来た。


「…、衛兄ちゃん、だよね?」


「は?何言ってんだ蒼良?」


「あ、うんそうだね!ボク何言ってんだろうね!?」


真っ赤になって蒼良は部屋から出ようとする。

だが蒼良は扉の前に立った人物にぶつかった。


「ひゃうっ」


「あら、ごめんなさい。…なんだ、蒼良・サンデルか」


「なんだって何だ!」


萌だった。

いつものように蒼良とケンカだ。


「おいおい、何しに来たんだ…」


「あら、堤 衛多。あんたもいた……の…」


彼女もおかしかった。

言葉と、格好が。

真っ白いイブニングドレスに、ショール代わりの羽衣―彼女の場合、武器の『アグライア』だ―を纏っている。

折れそうな程細いヒールの靴がよく似合っていた。

だが、俺を見て変な喋り方をしている。


「どうしたんだよ。さっきから二人共おかしいぞ?」


「あ、あはははは。だって、衛兄ちゃん…」


蒼良は頭から湯気が出そうな程、赤く乾いた笑いを漏らしている。


「そ、そんな訳ないじゃない…、馬子にも衣装って…」


萌はぶつぶつ言って、俺から顔を背けている。

埒が明かないので話を進める事にした。


「あのさ、それでお前達は何しに来たんだよ?」


「あ、そうだ、そうだった。

あはは、ごめんね衛兄ちゃん…」


「そろそろ時間だって言いに来たのよ。

全く、余計な時間を食ったじゃない。行くわよ」


萌はツカツカとヒールを鳴らして部屋から出た。

追いかけるように蒼良も部屋から出る。


(…、格好おかしいのかな?)


不安に思いながらも、俺も上着を持って部屋を出た。




*  *  *




集まった場所は、この白い世界のどこにでもあるような真っ白い空間だった。

多くの天使がその場所にいた。


「これからどうするんだ?」


「今から下界に降りるんだよ☆

気に入った場所でクリスマスを過ごすの!」


「まあ、みんな大抵古い洋館なんかに行くんだけどね」


『先輩』である二人から話を聞いた後、その一人に飛びつかれる。


「衛兄ちゃん、一緒に行こー☆」


「あ、あぁ」


「全く…、これだからお子様は。

お守りが必要ね」


萌の言葉に、蒼良が腹を立てる。


「お守りってなんだ!そんな子供じゃないもん!」


「あら、どこからどう見てもお子様じゃない」


変化(へんげ)したらボクの方が大人だもん!」


二人の口ゲンカは止まらない。


「精神年齢はお子様のままだけどね」


「むうぅ…っ!」


「あの…、行こうぜ二人共…」


俺はこの後後悔した。

女のケンカに口を挟むものではない、と。


「「堤 衛多/衛兄ちゃん は黙ってて!!」」


「…はい」


それからしばらくしてやっと、俺達三人は下界に降りる事になった。

萌は蒼良にどこの場所に行くかを聞き、さっさと魔法陣を描いて移動してしまった。

俺は蒼良の描く魔法陣に入った。

大きく描かれたそれは、子供の落書きのように思えた。

「気分次第」で描かれるものだから、仕方ないが。

蒼良は満足気な顔で、高らかに


「トランスフェアレンス!」


と言う。

頭が巨大な掃除機に吸われるように、空間に呑み込まれる。

意識が急激に、白い空間から真っ黒い宇宙へ抜け出す。

長い間白ばかり見ていたから、何故だか新鮮に感じた。


「…なんでだろうね」


「ん?」


斜め前を飛ぶ蒼良が呟いた。


「どうして、ボク達のいるあの世界は、あんなにも真っ白なんだろうね…。

ボク、あの場所、実は眩しすぎて嫌なんだ。

…『地球』みたいに、色がいっぱいある方がボクは好きだな」


俺は何も言えず、広大な宇宙の闇を見た。

ただ星が光るだけの暗黒なのに、なぜか俺はそれを綺麗だと思ってしまった。




*  *  *




俺と蒼良、それから先に来ていた萌は、古びた洋館に着いた。

なぜか、幽霊とかそういった類のものが出そうな感じはせず、今人が居なくなったかのような雰囲気があった。


「久しぶりに来たなぁ☆さてと…」


蒼良は言うが早いか、洋館の扉を開け放ち、魔法を描いた。


「クールゲイル!」


突風が館に来た。積もっていた埃が舞う。

かかっていたクモの巣もちぎれ飛び、全てを宙に浮かせた。

だが風が逃げる場所がない。埃などが室内を舞うだけになっていた。


「…あれ?」


「はしゃぎ過ぎ。少しは頭を使いなさい。

…カーム」


浅黄色の魔法陣が風を止めた。

萌は小瓶を取り出し、中身を出す。中は真っ黒い砂粒…

いや、彼女の武器の一つ、『エウプロシュネ』だった。

『エウプロシュネ』は何個かに分かれて飛び散り、洋館の扉や窓全てを開けた。

そして萌はまた魔法を発動させた。


「レイジブラスト」


先程より強い風が洋館の中を駆けた。

開いた扉から窓から、時間の蓄積の跡を消していく。


「お掃除完了」


そう言って萌は中に入っていく。


「むぅーっ、ボクが衛兄ちゃんに良い所見せたかったのにぃ!」


「発想は良かったよ。萌も似たようなの使ってたしな」


「本当?

…えへへ、じゃあボクの方が頭良いんだね☆」


「二人共、中入らないの?」


館の中から萌の声が響いた。


「ここ、広いわね。あたし達だけじゃつまらないわ。

…みんなを呼びましょう」


萌は艶っぽく笑って言った。




*  *  *




魔法を使ってたくさんの天使を呼んだ。皆この洋館が気に入ったらしく、どこからか小さなテーブル等を持ち込んで、立食パーティーにしてしまった。

天使だって、必要はないが食事ができるのだ。

俺はそれを多少楽しんだが、段々人の多さに息が詰まり、俺は洋館の一番端のバルコニーに来た。

だが先客がいた。


「ああら、えーちゃんじゃない。どうしたのぉ、こんなところにきてぇ」


彼女の手には、ワイン。


「…萌、お前、未成年じゃないのか?」


「なにおぉー、あたしはね、えーちゃんなんかよりずーっとずーっとてんしでいるんだからねえ?

えーちゃんなんかより、せんぱいで、おねーちゃんで、おとななんだからぁ!」


萌の目は据わっていて、顔は真っ赤だった。

手すりに勢いよくワイングラスを置き、彼女は千鳥足で俺に歩み寄る。

そして俺の手をとった。


「ちょーっと、おはなししましょー。なんのはなしがいいかしら。あたしのしいんでいーい?」


「死因…?

…良いけど」


「んふふ、ながくなるけどいーかしら。ねないでよねぇ?」


そして萌は、天使になった理由を話した。

明るく語っていたが、悲しいものだった。




*  *  *




三年前、ある事件があった。

被疑者は男。無職で住所不定、金に困ったから罪を犯した。

被害者は女。まだ若く、通勤途中に通り魔である男に鞄をひったくられ、おまけに腕を切りつけられた。

だが、被害者はもう一人いた。

彼女は、被疑者と、「正義の味方」に殺された。


それはどこにでもある日常に起こった。

その日は、通り魔が出た日の翌日だった。

住民は皆通り魔を警戒していた。

だが学校はいつも通りにあった。

少女―石蕗(つわぶき) 萌花(もえか)も学校に行く一人だった。

その日はいつもより余裕があり、いつもよりゆっくり学校に向かっていた。

いつも通りの通学路には、小さな人だかりが出来ていた。

気になり、近づいた彼女のすぐ脇を、誰かが通り抜けていった。

瞬間、熱が右の脇腹に宿った。

手を当てると、真っ赤な液体。

彼女はその場でへたり込んだ。

傷は深く、血はどんどん自分から逃げた。

ショックが強く、どうすれば良いか分からず、混乱したまま彼女は自分の血を見ていた。

そこで、追い打ちがかかった。

誰かが言った。「犯人が逃げた」と。

人々が少女を蹴り、踏みつけ、あらぬ方向へ走って行く。

後に残されたのは血溜まりに伏す傷ついた少女だけだった。

少女はぼんやりとした視界の中、濁った赤とくすんだ灰色を見ながら思う。

人間は、愚かだと。

何も学ばず、ただ時の流れに流され、決まった時間を繰り返し続ける愚者だと。

そう思いながら死んだ少女は、絶望をその目に映して天使になった。

与えられた姓は「ネメシス」。

報復を誓った女神の一族…。




*  *  *




「あはは、あたしよわいわよねえー!

きられて、ふまれただけでしんじゃうなんてぇ〜」


「……」


「あたし、せーしゅんまっさかりのじゅーはちだったのよぉ?いやになるわよぉ〜」


「……」


蒼良の時のように、俺は何も言う事が出来なくなった。

どうしてこんなに、自分の死んだ訳を明るく言う事が出来るのだろう。


「あのねぇえーちゃん、あんたがそんなかおしてもこまるだけなんだから!」


「けど、理不尽だとか思わないのか?

したい事とか、あったんじゃないのか?」


萌はそれを聞くと、遠い目をして、笑う。


「あったかもねぇー。けどそんなのいまでもできるでしょ〜」


「そっか…」


「それに…てんしになって、いろんなとこまわって…、そこで、だいじなひとをみつけることもあるからねえ」


言って、萌は俺の方を見る。

ほんのりと赤い頬が、さらに赤くなった気がした。


「たとえば、あのことかそうよねぇー?えーちゃん?」


「え?あの子?…誰だよ?」


「うわ、ドンカン。じぶんでかんがえなさいよねー」


羽衣を靡かせて、萌はふらふら歩き出した。


「あ、そういえば」


だが、突然彼女は立ち止まる。


「なんだ?」


「きょう、あのこさそわなかったわね。あいにいきなさいよ」


あの子。

この場にいない俺の知り合いといえば、あいつしかいない。


「…紗良か?」


「そうよ。なかまはずれはいけないわよぅ?」




*  *  *




一人きり、私は高い塔のてっぺんにいた。

ホワイトクリスマスにはならなかったのが少し悔しい。

私の唯一、楽しみだったこの日。

毎年願って、また今年も叶わなかった。


「雪、降ってほしいなあ…」


その時だった。


「サクセス」


声が響く。

白雪と一緒に降ってきたのは、

白衣に身を包む彼だった。


「見つけた…」


若干、彼は息を切らしていた。


「蒼良や萌と、一緒にいたんじゃなかったの?」


「いたけど、言われたんだよ。会いに行けって」


彼が眩しくて、私は俯く。


「…一人にしてよ」


「すぐに帰ったら、酔った萌に絡まれる」


「…話しかけないで」


「意思の疎通の仕方、元人間はそれしか知らないから」


衛多くんは私の隣に座った。

ほんの少し、距離を置いて。


「…何よ」


「いや、一つ聞きたい事があってな。

…これ、どうすれば良い?」


俯けていた顔を上げる。

目に入るその色は、銀。

忘れていた。

彼が生きていた頃、『手錠』として魔法で作った銀の指輪。

それが今も、、彼の左手で光っていた。

意識していなかったが、私の左手にも指輪がある。

もう、役に立たない『手錠』が。


「…『手錠』の意味はもうないから、好きにすれば?捨てちゃいなよ」


「…じゃあ、加工しても良いか?」


「良いけど…、別にそれじゃなくても良いんじゃない?」


どうしてあえて、それなのか。

私には分からない。


「いや…。

なんか、これじゃないと駄目な気がして、な」


小さく、衛多くんは笑った。

その時だった。


何故だろう。苦しくなった。


「…ごめん」


私は立ち上がり、彼から離れる為に、足を空に投げだした。

望んでいたのに。

この日を。

ホワイトクリスマスを。

笑顔を。

なのに今、どうしようもなくそれから逃れたかった。

飛んで、走って、消したかった。

どうして、そう思うんだろう。

私の頭上だけ、雪が降っている。


紗良が、足を空に投げだした。

人間だった頃の危機感か、俺は彼女の腕を取った。


「…っ、離して!!」


「どこ行くんだよ!?」


「どこだって良いじゃない!!衛多くんには関係ないでしょ!!」


そうだ。関係ない。

だが俺は、問いかけていた。


「逃げるのか!?」


紗良は抵抗を止めた。

へたり込み、その手を顔に持っていった。


「…、嫌だよぅ…」


浅く積もった雪を、融かすそれは、涙。

紗良は、泣いた。


「もうやだよ、もう、いやぁ…」


困惑したが、俺は言う。


「どうしたんだよ。聞くよ、愚痴」


大きく二、三度頷き、紗良はしゃくりあげながら話す。


「え、衛、多くん、…殺してから…っ、私、変なのぉ…っ」


「…うん」


俺は彼女の背中に手を回す。

小さな背中が震えている。


「もえが…、萌が、来たとき…っ、たたかっ、た、とき…衛多くんは、罪人だって言われたの…」


「…うん」


心臓が、締めつけられるような、そんな感覚。

彼女が語った「罪人」という言葉、それが理由ではない気がした。


「だから、わたし、天使だから…、ぜったい、ぜったいに、つれて、いかなきゃって…」


「…うん」


心底から湧き上がるそれは、俺を動かそうとする。

俺は耐えた。


「…それで、わた、わたし、衛多くん、えいたくんを、きっ…斬って…いやあああああっ!!!」


「泣くな、お願いだから…」


手持ちぶさただった左手を、彼女の右手に重ねる。

俺はどうすれば良い?


「もういやあっころしたくない…殺したくないぃ!!!!!」


「紗良…」


俺が死んだあの時を思い出しているのだろうか。

紗良は、もう壊れそうだった。


「こわい、こわいぃ…、たすけてぇ…」


もう、無理だった。

激情に身を委ねた。

彼女の世界を衛る為に。

背中に当てていた右手を、

右手に当てていた左手を、

右腕の向こう側に動かした。

そのまま、引き寄せる。

泣きじゃくる紗良を、抱き締めた。

そのまま、紗良はずっと泣いて、俺はずっと抱き締めていた。

涙が雪の上に落ちた。

融けた雪は塔を伝って、落ちていった。

腕の力を強めて、俺は目を閉じた。

彼女の望みが降る中、俺達はずっとそうしていた。

この間章から二人の関係が動き出します。

次はこの話の少し後の事です。


閲覧、ありがとうございました。

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