五章
あてがわれた部屋で、俺はベッドの上に寝転んでいた。
(…なんだか真っ白すぎて気持ち悪いな…)
目を閉じても視界を占めるのは、薄い灰色であまり変わりがない。
(色が見たいな…)
頭に閃く色は、静歌さんの紅い目、蒼良の金髪、萌の『グレイス』の色彩に、
紗良の桜色。
(そういえば、会ってないな…)
彼女にこの場所へ移されたあの日以来、俺は彼女に会っていない。
(どこに、いるんだ…?)
ベッドから起き上がろうとした時だった。
「衛兄ちゃん、おはよー」
蒼良が扉を開けて部屋に入って来た。
「あぁ、おはよう。
…どうしたんだ?」
「んー、ちょっと気になる事があってね☆」
えへへー、と笑いながら彼女は俺に尋ねた。
「衛兄ちゃん、今、天使だよねぇ?」
「…そう、なのかな?」
「そうだよ☆
だから…魔法、使えるよね?」
「あ…」
そう、天使は指に魔法の光を宿し、魔法陣を描く事で魔法が使える。
今の今まですっかり忘れていた。
「使ってみてよ!
光、気になるんだぁ☆」
そして、魔法の光は一人一人色が違う。
「…けど、魔法陣なんて描けないぞ?」
「あれはみんな適当なんだよ。
陣の大きさとか、線の細かさなんかが、強さとかを示すだけ。
呪文は、こうしたいって思った事が呪文になって口から出るだけなんだよ。」
随分とアバウトな魔法だ。
だがこれで俺なんかにも魔法が使える事がよく分かった。
「へえ…、じゃあ」
空間に指を差した。
すると仄かに温かい紺青色の光が灯った。
蒼良のわぁ、という声があがる。
慎重に円を描いていく。続いて三角、どこかで見た難しそうな記号を配置。
形になった所で、俺は願う。
(色が見たい…)
出てきた言葉は、
「ミスト」
…だが、
何も起きない。
「…衛兄ちゃん、『どこに』って、考えた?」
「…全然」
「さっきの魔法陣だと…、お義姉ちゃんの部屋だよ!
多分お義姉ちゃんならすぐに解除してくれると思うけど、行かなきゃ!」
「あ、あぁ!」
蒼良はすぐ扉を開け、白い世界を駆ける。
俺は紗良の部屋を知らない。
だから急いで蒼良の背中を追った。
なぜ紗良の部屋に魔法が行ってしまったのかは考えない事にした。
(『会いたいって考えてた』からなんて、理由にならないしな…)
* * *
「お義姉ちゃん!大丈夫!?」
蒼良は急いで紗良の部屋の扉を開けた。
そこには、
虹があった。
鮮やかな色彩をそれは持っていた。
「?
大丈夫よ、蒼良?
これあなたがやったの?綺麗ね」
紗良は扉に近い部屋の隅に立って、虹を眺めていた。
部屋は魔法によって作られた湿気のせいで、ジメジメした空気を含んでいた。
「違うよ。けど、綺麗だねぇ」
蒼良は虹を見て、当初の目的を忘れたようだ。
「けど本当に、誰がこの虹を作ったのかしら。
魔法の腕は私以上かも。誰か知ってるのよね?」
「うん☆衛兄ちゃんが「そう。」
俺の名前が出た途端、紗良は蒼良の話を途中で止め、魔法を発動させた。
「カンフォート」
言ってすぐ、湿った空間は快適な場所に変わる。
「紗「蒼良、そういえばさっき静歌さまが呼んでたわ」
紗良は俺の話を遮り、さらに無視して、どこかに去っていった。
「…ごめん、衛兄ちゃん。静歌さまの所に行かなきゃ…」
申し訳なさそうな顔をして、蒼良は深々と頭を下げる。
「大丈夫だよ。ほら、静歌さんに遅いって怒られるぞ」
だが、なぜか蒼良は動かなかった。
「ねぇ、衛兄ちゃん。
何か言いたそうな顔してるよ、お義姉ちゃんに」
「そうか?」
自分の顔は、鏡がなければ見れない。
今俺の表情は、俺には分からない。
「うん。追いかけた方が良いと思う。
衛兄ちゃんの為にね」
よく分からない言葉だった。
だが、俺の顔を見れる彼女なのだ。その言葉に従った方が良い気がした。
「…あぁ。分かった。」
「衛兄ちゃん、早くしないとお義姉ちゃんどこかに行っちゃうよ」
分かってる、そう告げて俺は紗良を追いかけた。
「…あはは、衛兄ちゃん、気づいてないんだ☆」
後ろで、蒼良の声が小さく響いた。
上手く聞き取れなかったが。
* * *
俺が追いかけると、紗良は俺に気付いて走って逃げ始めた。
「おい!!待てよ!!」
返事はない。
俺は何故か腹が立って、速度を上げた。
距離は徐々に縮まって、やがて俺は彼女の腕を捕らえた。
「逃げるな!人の話を…」
だが、その手は払われた。
パシッという快音が辺りに響く。
「あ…」
「……」
払われた俺の声と、払った紗良の無音。
呆然と、払われた腕を俺は見た。
「なんで…避けるんだ?」
蚊の鳴くような声で、俺は言った。
「なあ、答えろよ紗良。
なんで俺を避ける?」
「……」
「答えろよ!!」
思わず怒声を発してしまった。
響く俺の声が白の彼方に消えた時、紗良の口が動いた。
「…、恨んで、ないの?」
俺と同じくらいに小さな声。
ようやく、話をしてくれた。
俺は答えをすぐに返した。
「…誰が恨むんだ。」
「…衛多くんが、私をだよ。
もっと、色んな人と、色んな所で、楽しい時を過ごしたかったんじゃないの?」
前に、萌にもされたような質問。
黄色い少女と同じように、俺は答える。
「…、お前が来たあの春から、ずっと死ぬ事は覚悟してたよ」
「死にたくないって、たくさん言ってたのに?」
「誰だって死にたくはないだろう。お前だってそうだっただろう?」
若干、紗良の表情が変わった。
気付かないぐらい小さく、侮蔑のような表情に。
だがすぐにそれは消え、紗良は迷う声を出す。
「けど…」
もう一押し。
言葉を紡ぐ。
「…お前いちいち根に持つよな…。
良いんだよ。そうしないと他のたくさんの人が死んでた。
俺はお前に殺されたんじゃない。俺には天罰が下ったんだよ。」
「……」
「気にするなって。
知らない人ばかりより、命を奪った奴でも知ってる人がいる。
それだけでも結構違うし、それに…」
「…?」
本当は、違う言葉だったかもしれない。
だけど、紗良の顔を見た途端、言葉は変わった。
いや、最初から、この言葉だったのかもしれない。
「…なんて言うのかな、
…お前に、会いたかった、し…」
顔が熱い。
それを悟られないように俯けた。
だがこれは、紛れもない本心だ。
真っ白い自室でも、初めて、魔法を使った時も。
会いたいって、俺はずっと思っていたのだから。
顔を上げたら、紗良が泣きながら飛びついて来た。
「は!?なんで泣いてんだよ!?」
「…、だってっ、だってぇ…っ!」
嗚咽と混じって、声を届けようとする紗良。
俺は彼女の背中に手を回し、子供をあやすように優しくさする。
「…、無理に言わなくて良いよ。」
紗良はそれを聞いた直後、大声をあげて泣いた。
あの話が来るまでずっと、彼女は俺に縋って泣いていた。
そう、あの天使が来るまで。
「はいはいお二人さん、何こんな所でイチャついてるの?」
萌だった。
「い、イチャついてなんかないよ!どうしたの!?」
紗良はパッと俺から離れ、萌に近づく。
「用があるのは堤 衛多、アンタよ。
また静歌さまがアンタを呼んでるわ」
「静歌さんが…?」
「ちょっと、衛多くん?」
いきなり紗良が俺に詰め寄った。
目元は泣いたから、やはり赤い。
「な、なんだよ」
「静歌さまの事を『さん』だなんて、そんなに軽く呼ばないでよね!
静歌さまは、一番最初に大天使になった天使なんだよ!」
大天使、『大』と付くのだから、やはり偉いのだろう。
それに一番最初になったのだ。
「…すげ」
それしか言葉が出なかった。
「だから『さん』なんてダメ!
『さま』って言うこと!分かった?」
「…あ、あぁ」
思わず頷いてしまった。
それ程今の紗良は怖かった。
「それから…」
紗良は俺の耳に口を寄せ、告げた。
「ありがとう」
そして彼女は言い終わるとすぐに俺の背中を押した。
「ほら!早く行きなさい!
静歌さまを待たせるのは絶対にダメだよ!」
「あ、あぁ」
今日はなんだか急かされる日だ。
いってらっしゃい、と萌と紗良は俺を見送った。
涙で赤くなっていた紗良の目は、笑みの形になっていた。
(少しは、役に立てたのかな…)
* * *
衛多が静歌に会う、少し前。
静歌に呼ばれた蒼良は、静歌に指定された場所に向かった。
「なんでしょうか、静歌さま?」
「ふふ、よく来ましたね、蒼良さん。
蒼良さんの『ゾディアック』の力を借りたいのですが…」
それを聞くと蒼良は表情を明るくして問う。
静歌の力になれるのが嬉しいようだ。
「あ、良いですよ。【変装】ですか?それとも【分身】?」
「いえ、【計測】です。
少し貸して下さい」
そう言って静歌はロザリオを外す。
よく見るとロザリオの交差する部分には、小さな石が嵌まりそうな窪みがあった。
静歌は自分のロザリオと蒼良に手渡してもらった『ゾディアック』の黄色い珠をくっつけた。
共鳴するかのように、黄色い珠とロザリオは光を発する。
やがて光は収まった。
ロザリオの交差した部分には黄色い宝石がいつの間にか嵌まっていた。
「ありがとうございます。用はそれだけです。もう帰ってもよろしいですよ」
にこっと笑って静歌は蒼良に『ゾディアック』を返し、ロザリオをまた首にかけた。
「静歌さま、一つ質問なんですが…、【計測】を何に使うんですか?」
「…秘密、ですよ。」
ふふふ、と静歌はまた笑い、どこかに行った。
* * *
俺が向かった場所は、初めて静歌さんに会った場所だった。
「ふふ、この前みたいに横になってください。
今日は少し調べるだけですが…」
「調べるのは前に、蒼良がやりましたが…」
「あの時は、紗良さんが『ヴァルキリー』で中断してしまったでしょう?
だからしっかり調べたいと思いまして。」
確かに、あの時紗良は蒼良の『ゾディアック』を斬ってしまっていた。
その事が今に響いているのだろう。
俺はなるほど、と納得してまた白い床に横になった。
静歌さんは胸元の小さな十字架を握った。
すると、十字架の中央に埋め込まれた黄色い宝石が光った。
途端、初夏のあの日と同じように、俺は黄色い球体に包まれた。
(!?)
俺の驚きに気付いてか、静歌さんは微笑み、教えてくれた。
「私の『天賜器』、『ユダ』の力です。
能力は【仮性】。一回だけ、『天賜器』の能力や魔法を吸収して使えるのですよ」
なんだか便利なようで不便そうな能力だ。
だがその言葉は胸にしまって、俺は黙って黄色く輝く天井を見た。
静歌さんは、球体の表面に浮かぶ「情報」を見ていた。
やがて、俺は睡魔に襲われ、眠ってしまった。
最後に覚えているのはなぜか、静歌さんの魔法の、青白い光だった。
* * *
しばらくして、俺は目を覚ました。
自室にいた。欠伸を一つして、俺はあの後何があったか推測した。
「…運んでくれたのかな」
静歌さんに悪い事をしたと後悔して、部屋を出る為にドアノブを掴もうとし、
「いてっ」
突然の痛みに声をあげてしまった。
(静電気?)
そう思い、見た掌の中央に、小さな傷があった。
全く身に覚えのない傷だ。
(…?)
不思議に思いながら、戸を開け外に出た。
静歌さんに、謝る為に―…。
更新遅れて申し訳ありません。
今回衛ちゃんの手のひらに付いた傷ですが、覚えておいてください。
割と重要な役ですから(笑)
閲覧、ありがとうございました。