序章-下界編-
どこか遠く、遥か遠く。
どこともしれない異なる空間にそれは確かにあった。
名は無い。
だがそれは彼等や彼女等にとってはどうでも良い事であった。
ただ広大で、真っ白な空間。
そこに響く一つの靴の音。
幾重にも響き、混じりあい、やがて虚空に溶けていく。
靴音の主は歩みを止め、口を開く。
二つに一房ずつ結ばれた真っ直ぐ伸ばされた髪、体の周囲に浮かぶ羽衣が少女の動きに合わせて止まる。
「呼びましたか?」
彼女は靴音の消えた空間に言葉をのせる。
だがそれに返る言葉はない。
いや、あった。
彼女の頭の中に返っていた。
―よく来ました、紗良・セイクル。使命を渡します。―
「使命ですか?」
―はい。あなたには地上に降りてもらい、ある魂をここに連れてきて欲しいのです。―
「…その魂は一体何を?」
―罪を犯した訳ではないのです。私の不手際で少し生命力を与えすぎてしまい、他のバランスを崩すおそれがあるので…―
「そうですか。」
紗良は自信に満ちた瞳で言った。
「わかりました、その使命、やり遂げてみせます。」
―頼もしいですね。頑張って下さい。―
「はい!」
そして紗良は空間を指でなぞった。なぞる指は淡く光っており、光は消えずに空間に残っている。
たくさんの図形を描き、出来たそれは魔法陣。
紗良はそれに手を翳し、呪文を唱える。
その時だった。
―紗良・セイクル、そういえばあなたは確か、この使命が終わったら大天使になれるのでは?―
大天使は、神の補佐とも呼ばれる天使のエリートである。
とてもそこまで辿り着く天使は少なく、現在いる大天使もたった五人しかいない。
その素質があるのに大天使にならず、転生の道を歩む天使もいるので、大天使になりにくいという訳でもないが…。
「そうです。だから私は必ずこの使命をやり遂げて、大天使になります!見ていて下さい。」
―分かりました。応援していますよ。―
「ありがとうございます、神様…」
そして鋭く息を吸い、魔法陣を発動させる。
「トランスフェアレンス!!」
魔法陣が光を放ち、光は紗良を呑み込んだ。
後には、真っ白な空間が残るだけだ。
魔法陣の光に包まれた紗良は、その光に乗りながら目的地を目指していた。
使命を渡された際に、どこの誰を連れて来るかも同時に知らされる。
紗良はそれを思い出し、使命の確認をする。
「えと…、種族は人間、性別は男。『地球』に存在、か。簡単そう♪」
魔法陣の桜色の光越しに、目当ての星を見つける。
蒼く、白く、漆黒より暗い闇の中に佇む惑星。
紗良の顔は笑みを作り、蒼を慈しむように見る。
光と同じ色の口唇を開き、呟く。
「待っててね、人間クン♪」
真っ直ぐに迷いなく、天使は翔ぶ。
運命はそして、回り出す。
ここからが始まりです。
温かい目で見ていただくと幸いです。
閲覧ありがとうございました。