夏フェス物語。
「どうされましたか?迷われているようですね」
彼女が露店の前で立ち尽くしている男に声をかけた。
「サンドウィッチ、美味しそうですね」
「サンドウィッチ?」
男が怪訝な顔で彼女に答えた。
「お客さん、また決まらないの?早く決めてくれないかな、他のお客さんが待ってるだよね」
店主が立ち尽くしている男に注文を催促した。
「いや〜、この子がサンドウィッチもいいと言うからまた迷っちゃったよ、せっかく焼そばかカレーまで絞ったのに」
男が彼女に親指を指して言い訳した。
「ちょっと、私のせいじゃないでしょ!さっきからずっと迷ってたじゃない!」
「どっちでもいいから、注文決まってから来てよ、はい、次のお客さまご注文をどうぞ」
男と彼女は店主に叱られてしまい、露天の前を離れることになった。
「あなたのせいで怒られだじゃない、信じられない」
「何か買いたかったのか?」
「私はドリンク買いたかったの、これからライブ会場に行くんだから」
「どこの会場だ?」
「C会場よ、ワンラブルックとマニワが出るんだから」
「お、C会場か!連れてってくれないか?オレもC会場に行きたいんだ」
「なんであなたと行くのよ、勝手に行けば」
「そう言うなよ、さっ、早く行こうぜ」
「ちょっと、待ってよ」
彼女は男の後をついて行った。ドリンクは買えなかったが、逆ナンは成功したようだ。
「こっちであってるのか?」
「たぶん……」
2人が来ている夏フェスは7つも会場があるが、案内もわかりやすく、たくさん置いてあるのでそんなに迷うことはないのだが、迷子になっていた。
「ねぇ、貴方のお名前は?」
迷っているのに彼女が質問した。
「人に名前を聞くときは自分から先に名乗るのが礼儀だぞ」
「ごめんなさい、私はイズミです」
イズミは素直な性格らしい。
「イズか」
「略さないでよ〜」
イズが無邪気に微笑み、2人は会場に向かっていると思い込んでいる道を進んだ。
「あ、あそこに会場が見える!こっちよ」
イズが選んだ脇道を進むと偶然にもどこかの会場内に辿り着いた。そこには機材ケースや発電機などが置いてあるのでステージのバックヤードに入り込んでしまったらしい。
「ねえ、あそこに楽器が置いてあるよ、見てみようよ」
男はイズに連れられて楽器のところにやって来ると「へぇ〜、いいドラムじゃん」と呟きドラムセット横にあったスティックを手に取り椅子に座るとバスドラでリズムを取り始めた。
「えっ、ドラム弾けるの?」
「ドラムは弾かない、叩くんだ」
「そうでした……」
イズは舌を出して恥ずかしがった。
男がバスドラのリズムを早めるとハイハットを小刻みに叩き始める。そして、左右のシンバルを連打するとそれを合図に8ビートが始まった。
「えっ、すごい!」
体格の良い男の叩くドラムは迫力があり、またスティックさばきも鋭かった。
気がつくとバンドマンや関係者がドラムの周りに集まっていた。その中1人がギターストラップを肩にかけて即興でメロディーを弾き始めた。最後にベーシストも加わりスリーピースバンドが完成した。突然始まったステージ裏のライブに関係者が興奮している。
「なんか、夢見たい、露店で怒られて道に迷ってたら急にライブ始まるし、なんなの今日は……でも、彼もみんなもとても楽しそう」
「はい、そこまで!ドラムの人、あなた勝手に叩いちゃダメでしょう!」
ライブ会場には合わないスーツを着た関係者が演奏を止めて男を注意し始めた。
「やべっ、イズ、逃げるぞ」
そう言うと男がイズの手を取って走り出した。
「ちょっと待ちなさい、話があるから!」
スーツ男が声を上げて追いかけてきた。手を取り合い逃げる2人が集まっていた観衆たちが更にエキサイトさせた。
「おい、なんか映画みたいだな!」
「逃げろ〜、逃げろ!!」
「彼女を大事にしろよ」
観衆たちからはガヤが飛び交い、大騒ぎになってしまった。
「ねえ、そういえばあなたのお名前は?」
逃げ走る中、イズが再び質問してきた。
「それどころじゃないだろ〜」
「教えてよ」
「飯島だ」
「飯島さん、イージーさんね」
「略さんでいい、てか、なんでもいいから早く走れ!」
イージーとイズは辺り構わず走りついに追っ手を巻くことが出来た。
「イージーさん、ここC会場じゃじゃない?」
奇跡的に2人はC会場に辿り着いた。しかも、マニワのライブが始まったばかりだった。
マニワとワンラブのライブが終わり、C会場から出て来たところでまたスーツ男が現れた。
「待ってましたよ」
しかもスーツ男の人数が増えている。リーダー格のスーツ男が一歩前に出て来た。
「話があるので、一緒に来て下さい」
スーツ男達が2人を囲み始めた。
イージーは観念したのかイズにあきらめ顔で話しかけた。
「仕方がない、荒っぽいけど、突破口を作るからまた走ってくれ」
「えっ、えっ、えっ?」
イズはこの急展開についていけず、戸惑っていた。
イージーは顔つきが戦闘モードに入り、指を鳴らしながらスーツ男達の方へ歩み始めた。
「荒っぽいことしたくないんだがな」
イージーが低い声で啖呵を切り出した。
「ちょっと待って下さい、私達はあなたと話がしたいのです、スカウトに来たんですよ」
「……?」
「イズ、もっといいもの頼めよ、ここは奢りだぞ」
イージーとイズはスーツ男達に連れられて近くのレストランに来ていた。先程からイージーをドラマーとしてスカウトしたいと説得している。その間にイージーは生ビールを2杯飲み干し、モヒートを追加オーダーしていた。
「私、そんなこと出来ないよ」
「ドリンク欲しかったんだろ」
「いつの話よ」
イズは所在なさげにトロピカルアイスティーを飲んでいた。トロピカルを付け足したのはイージーだった。
「あなたのドラムテクは相当なものでしたよ。どこかでバンドやってるのですか?」
「私達にはデビューさせたい奴らがいて、上手なドラマーを探していたのです」
「すぐにデビュー出来ますよ」
スーツ男達が次から次へと話しかけて来るのをイズは感心しながら聞いていた。その時ウェイトレスが料理を運んで来た。
「ローストビーフサンドウィッチはどなたですか?」
「私です」とイズは恥ずかしげに答えた。
「夕飯にサンドウィッチってどうなの?」
「だってお昼に食べられなかったから」
そんなイージーは夏野菜のカレーライスをオーダーしていた。料理が届いてみんなで食べ始める時にイージーがイズに耳打ちした。
「イズ、…………出来るか?」
「わかったわ……」
イズも小さな声で答えた。
「彼女さん、サンドウィッチいかがですか?甘いもの頼みましょうか?」
イズは彼女さんと言われ少し頬を緩めた。
「ありがどうございます、ちょっと失礼します」
イズはポーチを持ってトイレに向かった。その後ろ姿、特に腰回りを若手のスーツ男の目が追いかけている。
「綺麗な彼女さんですね、どこで見つけたんですか?」
「つい最近ですよ」
とイージーは答えた。
「どうなんですか?どこかでバンド活動してるんですか?」
再びスーツ男達の説得が再開するとイージーが立ち上がった。
「すまないが、タバコ吸って来ていいかな?」
「じゃ、お付き合いしますよ」
スーツ男が逃げられないようについて行こうとした。
「独りで考えさせて欲しい」
「逃げないでくださいよ、必ず帰って来て下さい」
イージーが席を外すとスーツ男達が相談始めた。
「なかなか手強いな、女から落とすか?」
「どうやって?」
「デビューしても付き合っていいとか、PVを海外で撮影するからついて来ていいとか……」
「あの子もデビューさせるか?」
「AVか?」
「バカ、真面目に考えろ」
リーダー格のスーツ男が若手のスーツ男を注意した。
「あ、戻って来た」
イズが戻って来ると怯えた顔でスーツ男達を見た。
「あれ、彼は?」
「タバコに行きましたよ、彼女からも説得してくださいよ」
「彼、タバコ吸いませんよ!」
「くそっ、やられた、すぐ探せ!」
「おい、お前、あいつどこに行った!」
スーツ男がイズに凄んだ。
「あいつ見つからなかったらお前どうなるか分かってるだろうな!」
イズのお尻を追いかけていた若手のスーツ男達が捨て台詞を吐いてから他のスーツ男達を追いかけた。
「あれ、スーツ男達は?」
イージーが入れ違いで戻って来た。
「どこに行ってたの⁈」
「トイレ」
「スーツ男達がイージーさんを探しに行ったわよ」
「戻って来いって言うから戻ったのになんて奴らだ、丁度いい、帰るか」
イージーとイズがドアからゆっくり外に出て行った。お店前の通りの路地に入ろうとした時イージーがイズにちょっとここで隠れているように伝えそして走り始めた。
イージーが1人のスーツ男を見つけていた。そのスーツ男もイージーのことに気がついて怒鳴った。
「あ、テメェー!待ちやがれ!」
待つどころかイージーはスーツ男に向かっていく。
「えっ?」っと戸惑った瞬間、スーツ男は吹っ飛ばされていた。
「オイ、兄ちゃん、あの子に近づくな、それと街であってもケツ見るなよ……!」
イージーが凄むと若手のスーツ男は鼻血を出しながら慌てて頷いた。倒れている若手のスーツ男を片手で持ち上げたイージーはもう1発右ストレート打ち込んだ。
「ひゃっ!」
右の拳は若手スーツ男の目の前で止まっていた。イージーが手を離すと若手スーツ男はその場に崩れ落ちた。
スーツ男達を巻いた2人は海辺の遊歩道を散歩していた。夜の海に街の灯りが反射すると波に揺られて幻想的な時間を作り出している。
「砂浜のない海もいいもんだな」
イージーが呟いた。夜景も綺麗な夜だった。
日が落ちて夜風が涼しくなると街のざわめきも落ち着いていた。イズは歩きながら今日の出来事を思い返していた。露店の店主に怒られ、その責任を押し付けられ、迷子になったかと思うと即興ライブが始まり、逃走者になり、でも、みんなに応援してもらい、何よりもイージーに手を引かれて逃げたのはドキドキしたがワクワクもした。最後には生意気なセクハラ野郎をぶっ飛ばしてくれた。
「スーツ男達から逃げる時みんなに応援されたね。映画みたいだった」
イズはスティックを握りドラムを叩くイージーの姿を思い起こすと自然と寄添いイージーの手を握っていた。
「イズ、今日は楽しかったよ、ありがとうな」
「やめてよそんなこと言うの、私もとても楽しかった」
イージーはイズの手を恋人繋ぎに握り返した。
夜風に当たりながら2人はしばらく遊歩道を歩き続ける。
「イズ、逆ナン成功だな」
「うん……」
その時タンカーから「キュッ!」っと汽笛が鳴った。汽笛の音でイズは我に返って返った。
「逆ナンなんてしてないから……」
イージーがイズを引き寄せた。
「じゃ、オレがナンパするよ」
「今から…………?」
「そうだ『彼女、お茶しない?』」
とイージーが聞くとイズも応えた。
「食べたいもの決まりましたか?」
2人は今日出会った時に戻っていた。
「まだ、決まってない、これから一緒に決めてくれないか?」
「また、会えるの?」
「あぁ、会えるさ。今度は夏祭りで太鼓でも叩くか……」
その場で立ち止まった2人は深いKissをした。
夏は人を熱くする。夜風で冷静になってもKissをする2人には再び鳴り響く汽笛の音は聞こえなかった。