第144話(欺)
「つまり、俺に家を任せたい。そういうことか?」
「違う。でも合ってる。私は兄さんのように上手く立ち回れないのは、知ってるだろう」
「お前は、昔からそうだったからな」
純真で人が言うことやること全て信じる弟。小さく咳をしながら、フェノは頷く。
「他人の失脚を狙う輩に、自らの手柄にしようと横から成果を攫おうとする輩、それに謀計。会う人間会う人間、誰もが腹に一物抱えてる。疑念を抱きながら人と接するのは、私には耐えられない」
「だろうな。良くも悪くも、お前は素直だからな」
あまりにも人の言うことを鵜呑みにし過ぎ、何度も傷つき、それでも尚、信じようとする弟。
それでもサファレの性根が変わることなく生きていけたのは、兄であるフェノが裏で嬉々として報復をし、時には先手を打って工作をしていた為。
しみじみと自身がやってきた数々の悪行を思い返すフェノに、サファレは真剣な面持ちで、部屋に持ち込んでいた黄色の剣、その鞘を掴む。
「だから兄さん、明日から、いや、今からでも構わない。ジェリスの当主に…」
「それは出来ない相談だ」
「どうして。皆も、反対するはずがない。兄さんも兄さんだ、あれだけ楽しそうに他人を蹴落として馬鹿にして、挙句には無様な姿を晒した輩たちを高笑いしながら見下してたのに…」
「サファレ、真剣な顔をして、笑えることを言うのは止めろ」
「笑える? 私は冗談など言っていない。なあ兄さん、お願いだ」
ジェリスという家を引き継ぐために、冷徹という仮面を被らざるを得なかったサファレ。
その静かな叫びに、フェノは首を振り続ける。
「駄目だ。お前がこのまま継ぐんだ、この家も、あいつらも。ジェリスはお前が全て継ぐ」
「何故、どうして頷いてくれないんだ。兄さんなら、皆なんだかんだ文句を言っても、しっかり支えてくれるし、上手くいく」
「さっきから堂々と失礼なことを言うんじゃない」
苦笑が、咳混じりになる。
昔からの反射で、身を乗り出し兄の背をさするサファレへ、目を向けるフェノ。
「兄さん、無茶をし過ぎだ」
「いつものことだ。いつもの、な」
「……そうだ。いつもそうだ。今回のことだってそうだ。元々様子見止まりだったアイツらを、自分を囮にして行動させるだなんて」
「それこそ、いつものことだろうが」
落ち着いてきたが、肩で息をしているフェノから離れるも、サファレは不安と不満を隠さない。
「大体、あんなに環境が悪い場所で、兄さんが長い時間耐えられるはずがない。なのに、我慢して。結局こうなってる」
「その我慢の結果は、どうだ? お前の敵が少し減った。そうだろ?」
「そんな結果、どうでもいい。裏で言わせ、裏でやらせておけばいい。私は表から潰すだけだ」
「お前も大概無茶を言う」
「無茶なんかじゃない。私なら出来る。だから、兄さんが…」
本気でそれが可能だと言い切る頑迷な弟へ、兄は呆れ、首を振る。
「仕方ない」
「それじゃあ」
顔を輝かせたサファレの前で、フェノは首を振り続ける。
家の頂点に立つことを只管否定し続ける兄に、弟は肩を落とし、目を伏せる。
「…いいかサファレ、一度しか言わないからな」
「一度?」
「ああ、一度だけだ」
疲弊した顔で、けれど真剣な口調に、サファレはすぐさま姿勢を正す。
それを横目に確認し、フェノは弟から目を外して、視界に入った素っ気無い壁を見るともなく、口に出す。
……今まで、押し込んでいた思いを。
「元々、それこそガキの頃から、俺はジェリスの家督なんて考えてなかった」
「なっ? に、兄さん、なんてこと…」
「いいから黙って聞け」
「でも……」
「お前と違って、俺は見ての通り、丈夫に出来てないからな。こんなのが家督を継げば、ジェリスはすぐさま落ちぶれる」
「………」
断言するフェノへ、そんなことはない、と兄を絶対的に信奉する弟が無言で訴える。
そう反応すると理解しているフェノは、サファレに顔を向けることなく、続ける。
「月並みだが、お前が表で堂々とジェリスを動かし、俺が裏で支えてればいいと、俺がくたばる前に、生真面目なお前が俺の仕事を盗めれば上々だと、考えていた」
だけども、と二人は同時にその日のことを思い出す。相似の顔に各々悔恨が浮かぶ。
「あの襲撃だ。俺だってそう簡単にくたばりたくはないんでな、色々と考えたが、結局駄目だった。あの状態から脱することなんて、出来なかった。詰み、だ」
「……」
兄が初めて口にした敗北の言葉に、弟はいつの間にか伏せていた顔を持ち上げる。
「そうだ、お前は当然だとしても、俺が何も出来なかった。だから、ジェリスを維持する最低限があればいいと方針転換してな。それで、いなくなっても構わない方を、いらない方を、切り捨てたってわけだ」
「兄さん…」
「どこまで生きていられるか分からん俺より、お前が生き続けた方がいいと、誰でもわかることだが、そういう結論だ」
だから、襲撃を受けたときに、病弱であるフェノが、双子の兄が、率先して弟の身代わりとなり……死んだ。
「まあ、デボアたちに助けられたのは本当に偶然だがな。アイツらときたら、重症の人間に、生肉食わせようとしたんだぜ、生肉。面白いだろう?」
「………そう、だったんだ」
フェノの、冗談か本気か分からない口調に取り合うことなく、サファレは深く深く、安堵の息をつく。
「なんであれ、私は兄さんが生きていて、本当に嬉しかった」
「お前な、それしか言えないのか」
「そうさ、私には、それしか言えない。あの後、傀儡の家督になりかけて、それを爺やたちとどうにか抑えて。監視の目があるから、兄さんの捜索に人手を割くことすらできず、生きているのか、死体となっているのか、それすらも無関心を装って場の中心にいなければならなかった」
「………お前」
「毎日が辛かったし、生きてる実感なんてなかった。ただ、爺やたちに言われて動いてただけだ。なのに、苦しかった。皆が皆、兄さんの行方が分からないのに、上っ面だけの同情をみせて。兄さんは生きているかもしれないのに、なのに」
「………」
「…もう、あんな思いをするのは、嫌だ」
「…………」
「だから、本当に兄さんが生きて、ここに戻ってきてくれた時、どれだけ嬉しかったか」
内心を曝け出したサファレの、今にも泣き出しそうな、けども憑き物が落ちたような表情を前に、フェノは照れくさそうにそっぽを向く。
「ったく、臆面も…人払いしてるからいいものの」
舌打ちしつつ呟き、心底嫌そうに口を開く。
「サファレ、聞け。これこそ、二度は言わないからな」
「分かった」
言われ、再度姿勢を正した弟へ、生還した兄はしかと眼を合わせる。相似の顔が、見詰め合う。
「俺も、生きてお前と再開できて、こうしていられて、心から嬉しいと思ってる。存在するかも疑わしい存在に、感謝してもいいぐらいにはな」
「ああ」
「それから、これからは、俺かお前の一人じゃなく、俺とお前の二人で、この家を、ジェリスを支えていきたいとも思ってる」
「ああ!」
その告白を聞き、素直な笑顔を浮かべたサファレ。
昔と変わらない笑顔を前に、フェノは羞恥からか顔を赤くして、吐き捨てる。
「くそっ! もう二度と言わないからな、サファレ!」
「分かってるよ、フェノ兄さん」
…その日、いつになく上機嫌なサファレを見て、屋敷の人間たちは皆、首を傾げたのであった。




