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●第143話(欺)

「ってああっ? アクイアの斧見せてもらうの忘れてたああっ!」


 屋敷の中まで飛び込んでくる悲鳴。それを背に、口元をかすかに緩めたサファレは、扉に手を掛ける。


「フェノ、入るぞ」

「言わなくても、入ってくるだろうに」


 捻くれた許可を受け、サファレは室内へと入り顔を向ければ、部屋の主であるフェノは、人を食った笑みを浮かべていた。

 右手には埃をかぶった古い物から最近の物まで、本が並んだ書架。全てが主を基準とした順番に並べられている。

 中央奥には、筆記具が置かれている重厚な黒い机。


 部屋のどこを見渡しても調度品の一つもない、普段の態度からは想像もできない、殺風景なフェノの部屋。


「突然の訪問だがサファレ君、予想外の事態でも起きたのかね?」

「………」

「よろしい、ならば知恵を授けてやろう」


 左手の、これまた簡素な寝台にいたのは、半身を起こし、紺の外套をかけたフェノ。

 その顔色は血の気が引いており唇も青く、一目見て病人と判別がつくほど。

 しかし、それを上回るふてぶてしさを表に出し、相似の顔をしたサファレを前に、両手を広げ、道化染みた仕草で出迎えてみせる。


「おや、違うと?」

「………」

「お前から来たんだろう? だんまりじゃあ、さすがの俺も分からんぞ?」

「…………」


 無言のまま寝台の横で立ち尽くすサファレに、フェノは疑問の体をしつつも、首を傾げることなく、小さく哂う。


「……座っていいか」

「どうぞ、ご自由に」


 そんな常の態度を崩さないフェノに、サファレは常に見せていた硬い顔ではなく、何か物言いたげな表情を浮かべ、手近な椅子を引き寄せ腰を下ろす。


「まあいい。サファレ君の用件は後にするか。さて、先に俺の命を狙ってきた不届き者どもの、その後を教えてくれまいか?」

「…見事に切られた」

「とはいえ、雇い主の見当ぐらいは、付いていたのだろう?」

「付いてはいたが、仲介した者が、ことごとく口止めされていた。今回の件に関わり、生存している者も、既に国外へ追い払われていた」

「なるほどなるほど」

「追うにも時間が経ち過ぎている。一先ず先方に忠告をしてきたが、そこで手打ちだろう」


 疲れからか、それとも命を狙ってきた相手の尻尾を掴めきれなかったことに対してか、溜め息を吐くサファレ。

 フェノはその苦労を知ってか知らずか、大仰に頷くのみ。


「うむ、サファレ君、そこまでしたのなら上出来よ。そうそう、アキュア、おっとアクイアたちはどうしたのかね?」

「彼女たちは、何故かお前の下に付くと言っていたが、不満そうだった」

「凄まじく、不満そうだった。そうだろう?」

「…………」


 再度の溜め息に、フェノは口角を釣り上げる。


「お前は一体何をしたんだ」

「心からの説得だけだが? だからこそ、アクイアは俺の人徳と使命に燃える志に共感して、ここまで付いてきたのよ」


 疑いしか含まれていない眼差しを前に、そう言い切るフェノ。


「帰る場所も既に潰され、この近辺で追い剥ぎをするのは危険過ぎるために、やりたくはないが報酬さえもらえれば護衛のようなことをしてやっても良い、と言われたのだが」

「その疑いの眼差しはなんだね? まさか、この俺がデボアたちをアクイアにぶつけて圧倒的な実力差を示して地元にいられないようにしただとか、事あるごとにその件を出して強制的に従わせているだとか、考えているのかね?」

「あと、お前を一度でいいから、半殺しにさせろとも言っていたな」

「おお! この俺が善意で助けた相手に殺意を向けられるなんて! 世の中はなんと不条理に満ちているのだろうか!」

「……………」


 額を押さえて溜め息を吐いたサファレに、ままらなぬ世を嘆く演技をしていたフェノが笑みを戻す。


「まあそんなところだろ。さてサファレ君、話を戻すぞ。用件はなんだ?」

「それは…」


 戻ってきた問いに、サファレはやはり言葉が出ない様子で、口を開き、また閉じる。


「ははっ、なんて情けない顔だ! 普段の人を人とも思わない態度はどこへやら!」

「…………」


 言いたいことはあるが、言えない。そんな顔をしたサファレに、とうとうフェノは笑い声を上げる。


「安心しろ」

「……」


 そして一転、常にない鋭い眼差しを、双子の弟へと近づける。

 端から見れば、サファレが二人、鏡に映っているのではないかと、思うような顔を。


「人払いはしてある。山道から戻るついでに、監視を続けてたアンスリムの部下をひっ捕まえて、俺が頼んだ」

「フェノ、お前…」

「あの襲撃に対して、何の手出しもしてこなかったからな。それぐらいしてもらわんと割りに合わねえだろう?」

「だが、あのアンスリムが大人しく引き下がるとは思えない」

「そうだな。だがまあ、例え話だが、庭で馬鹿みたく騒いでる鍛冶がどうなってもいいのか、と脅したのかもしれんな」


 その言葉に、サファレが目を見開く。


「まさかお前がそんな」

「くくっ、アンスリムも信じちゃいなかったぞ。だが引いた」

「……後でアンスリム、いやフリギア様との面会を申し入れておく」

「俺は行かんぞサファレ君」

「当たり前だ。お前を行かせるほど、私は愚かじゃない」

「な、なんと! 兄に対してなんという暴言! 俺の純粋な心が砕けそうだ!」


 心にもない叫びを上げ、不敵な笑みはそのままに、胸を押さえてみせるフェノ。


「さて貸し一つ、いや、帳消しだな。兄さんの、この俺の配慮に感謝しとけ、サファレ」

「その配慮のお陰で、私の苦労が増えたのだが」

「事前に相談しろと? いやいや、お前は絶対に拒否するだろう?」


 さすがに、うんざりとした顔をしたサファレを前に、今度は小さく笑うと、おどけたように肩をすくめる。


「それで、だ。サファレ、ジェリスの当主、居心地はどうだった?」

「フェノ…」


 常日頃とは違う、棘のない柔らかい口調。

 人払いの意味を正確に理解し、サファレはようやく、長年、今の今まで続けていた演技を止め、素に戻る。


「……最悪だ。でも、ここまで耐えてきて、本当に良かった。兄さんが無事に帰ってきて、帰る家を守れて」


 病弱な双子の兄を守るために、剣術を必死に学んでいた、気弱な双子の弟へ。

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