参 日常
夢を見た。
どこまでも広がっている白い部屋。
天井の高さも、壁までの距離も、何もかもがわからない。
ふと気付いたが、自分の夢だというのに指一つ動かせない。
その原因は明白だ。
少しでも動こうものなら、自分という存在が目の前の「こいつ」に塗りつぶされて消えてしまうような気がしたから。
それは、龍だった。
そしてこの部屋はこいつの世界なんだと初めて気づいた。
昇る太陽の光に照らされ、目が覚めた。
---何を見ていたんだったか。
見ていたはずの夢の事が思い出せない。まるでその記憶だけ持ち去られたかのようだ。言い様のない不安が体を包んだ。
夢なんてそんなものだろう、と無理矢理自分を納得させ体を起こす。
妙に体が重い。
ああ、昨日のアレのせいか。
どうせ何もやるべきことは無いし、もう少し寝てしまおうか。
結局ベッドから出たのはもう昼にもなろうかという頃だった。
いつのまにか二度寝していたようで自分の図太さに苦笑する。
今日は何をしようか。適当に町でも見て回ろうか。いや、仕事を見つけるのが先だろうか。
そんなことを考えて下に降りる。
何やら皆がバタバタしている。
よく見たら包帯を持っている人がいたので昨日の件の負傷者の治療でも行っているのだろう。
まああの程度なら死ぬ奴はいないだろう。
あの咆哮を人間が食らえば数日は感覚が麻痺して動けないだろうが、少なくとも死ぬことはないだろう。
それにわざわざオレが3回目の咆哮をかき消してやったのだ。それで死なれていては困るというものだ。
しかしまだ眠い。
ここまで自分は寝坊助だったのだろうか。
目を擦っていると、ふと気になる臭いがした。
「何やらお考え中
のところ失礼します」
「あー......えっと......あんたは確かジョセフって人か」
「少々昨日のことについて聞きたいことが......」
臭いの主はこいつだろうか。
昨日は気づかなかったが微かに煙草の臭いがする。
「昨日のことってあのオークの?」
「ええ。どうです少し早いですが昼食でも摂りながら」
「ちょうど良い、こっちも聞きたいことがあったんだ」
そうして俺達は食堂へと向かった。
道中こいつの格好をよく観察して見ると髪が土埃で汚れている。格好も昨日初めて会ったときと全く変わっていない。強いて言えばあの指輪が無くなっていることくらいだが特に気にすることでもない。
オレが考えるに、こいつは多分昨日の夜辺りに町に呼び戻されてそのまま町の警護のため残されたんだろう。
下手したら一睡もしていないのだろう。しかし一切その顔に疲れは見えなかった。
えーっと、こういうのは何て言うんだったか。うーん、思い出せない。
そうだ、滅私奉公って奴だな。
「---それで気がついたらここに戻ってきていたと」
「うん」
「なるほど、貴重なお時間を割いていただき感謝します」
聞かれたことはそんな大したことではなかった。
要するに報告書を書ける奴が居なかったのでジョセフが書かざるを得なくなり、それで俺に話を聞きに来たのだ。
「しかしいっつもそんな雑用ばかりやってるのか?」
「.........まあ、上に立つものが動かなければ下の者も続いてきてくれませんから」
「ふーん、どこもそんなもんなのね」
自分も元の世界ではそんな感じだったはずだしな。
人間って奴はどこでも本質的には変わらないのだろう。
おっとそうだ。
「一つ質問良いかな?」
「あっ、なんなりとどうぞ」
「就職先が欲しいんだ」
「就職先...ですか」
「何かやることが無いと暇でさ、この世界のことは大体知ってるし...」
「なるほど、ではこちらの方へ行かれるといいかと」
そう言ってジョセフは簡易な地図を書き、こちらに渡してきた。
「これは?」
「そちらの世界で謂うところのハローワークの場所ですね」
「まあいざとなったら誰かにお尋ねください」
「そうか、ありがとう」
とりあえずやることは見つかった。
礼を言って食堂から出ようとすると---
「まあ今は機能してないと思いますが」
「はい?」
「あんな強大な魔物の襲撃を受けた後なんですから当たり前でしょう」
ジョセフは何故か呆れ顔だ。
「えっそうなの?」
「はい」
「じゃあ何で俺に書いてくれたの」
「今やっておいた方が後から手間にならないでしょう」
「......」
それはそうだが、なんかからかってやろうという魂胆があるのではないだろうか。
ほら、なんかドヤ顔で煙草にライターで着火してる。
食堂を出た後は特に何をするという訳でもなく、フラフラとその辺を歩いていた。
しばらく歩くと後ろから声がした。
「あっキリヤさんこんにちは」
「あっはいここんにちは」
「あははっ、キリヤさん変なの」
この娘は確かニーナとかいう娘だ。
野郎の名前は直ぐに出なかったのに女性だと直ぐに出てくる自分にちょっと呆れる。
「今手空いてます?」
「あ、うん」
「良かった!じゃあちょっと手伝って貰えますか!」
「ちょっと待っ」
強引に手を引かれる。
十数分ほど歩くと倉庫のような場所に着いた。
「それで俺は何をすればいいんでしょうか」
もう諦めよう。
こういう強引な性格の人は断っても無駄だと経験から良くわかっている。
「えっとですね、いまちょっと見取り図だしますね」
そう言ってニーナが指を振ると、空中からこの倉庫のものであろう見取り図が現れた。
「この辺にお米が有りますので、まずはこれを---」
彼女の言葉に続いて紙に書かれた図の一部が赤く染まる。
「ちょっと待ってくれ、これ何」
「ただの魔法ですけど...あっ!本を渡すの忘れちゃってましたね...」
「すいません、アハハ」
少々申し訳なさそうにしながら彼女は笑う。
「魔法ってのはこの世界独特の技術のことを言います」
「転生者の方々は何故か使えないんですが、まあ気になさる方は余りいませんね」
む。使えないのか。
ちょっと残念。
「転生者の方々が持ってる能力ほど強力では有りませんが、その分色々な事ができるんですよ」
「例えば?」
「火を起こしたり、遠隔地と交信したり、さっきみたいに地図を出したりですね」
「なるほど、それは便利だ」
「はい、態々道具を持ち歩かなくて済むって利点も有りますしね」
ん?待てよ。何かが引っ掛かる。
「でもライターで煙草に火を着けてる奴もいたんだけど...」
「魔法なんて物があるなら必要ないんじゃないのか?」
「魔法の使用には本人のエネルギーを使用しますからね、特に火を起こすのはそれなりに使うのでライターを使われる方もそれなりにいますよ」
「ふーん」
「まあこれくらいならそんなに使わないんですけどね」
「なるほど、ありがとう」
「どういたしまして、結構時間経っちゃいましたね、手早く済ませちゃいましょうか」
「じゃあまずあの辺のお米を外の馬車に---」
「助かりました!力持ちなんですね!」
「...そうかな?」
この世界の物質が軽いだけでは無かろうか、と言おうとしたが誉められる分には悪い気はしなかったので黙っておいた。
あと女性に力仕事をさせるわけにはいかないので全部自分で運んでおいた。
決して良いところを見せようとしたわけではない。ないのだ。
「じゃあまた何かあったらお願いしますね!」
ニーナは手を振って走り去っていった。
どうも俺が運んだ食糧は被害を受けた場所の支援に使われるらしい。
しかし「また」か。
まあ美人にこき使われる分には大歓迎である。
その後は自室にこもって貰った本をもう一度読んでいた。
町に出ようとも思ったが全裸で現れたことを皆さんが覚えているんじゃないかと考えて辞めておいた。
そういえば今騎士団の大半は何かの転生者の対処に当たっているんだったか。
一体どんな奴なのだろうか。
オレが何とかしなくてはならない時が来るのだろうか。
そんなことを悶々と考えながら食事を摂り、眠りについた。
------アルタイル王国郊外 国護騎士団ベースキャンプ
騎士団はジリ貧だ。
あの転生者は規格外だった。
いくら矢を放とうが剣で切りつけようが再生する。
やつの弱点も騎士団は解明できていない。
幸いにも奴が行動するのは日中の数時間のみ。
つまりそれだけなんとか凌げば良かった。
だからどうしたというのだ。
騎士団が出来るのは精々足止めまで。
それに奴が人間を餌としている以上、いずれ町に至り甚大な被害を出すのは必定だ。
そしてここに釘付けになっている以上、新たな町への脅威には対応できなくなるだろう。
まさに絶望的状況だ。
「おいお前そこで何を------ボーッとしているんだよ」
「あぁ、すまない考え事をしていてな」
「しっかりしてくれよな、万が一夜に動き出したら大変だ」
「ああ、そうだな見張りはちゃんとしないとな」
無駄だと言うのに。
その万が一を警戒するだけ消耗するのではないか。
まあ口には出さないが。
「そうだ、ジョセフ隊長が話してたんだがな」
どうも見張りの時の沈黙は堪えるらしい。
しばらく経ち相方がなにか喋り始めた。
「妙な転生者がでたらしいぜ、どうも手の甲に鱗みたいなものがあって指輪が必要なかったらしいぜ」
「へぇ、そうなんだ」
まだ夜明けは遠い。
それまで隣の彼は話すのだろう。
自分もそれなりにお人好しだ、付き合ってやろうじゃないか。
どこかで、鈴のような音がした。