思惑
ビアトリクスは木の上に座り込んでいた。
手元には二つの籠、一つには石を詰めてあり、もう一つにはターシャが集めてきた木苺やビアトリクスが見たこともない木の実がたっぷりと入れてある。
もし味方ならいいが、敵だった場合はこの場所に籠城することを考えての食料だ。
ビアトリクスにできることはここでただ待つのみだった。
もし、アストリッドとターシャにもしものことがあった場合、ビアトリクスがこの場所で生き延びられる可能性は低い。
つまり今生死の瀬戸際にいるわけだが、実感は薄い。
森に捨てられてから何となく何とかなってきたからだろうか。
それとも自分の命に対する執着が薄れてきているせいだろうか。
そんなことを考えて軽く首を振る。
今の自分は落ち着いているけれど死にたいとも思っていない。
木の上から様子をうかがう。
ターシャとビアトリクスはそれぞれ離れた場所に立って、同じ方向を見ていた。
ターシャは茂った薮の中に潜んでいた。高いところから見下ろすビアトリクスの視点からは丸見えだったが、平地を行く人間にはおそらくよく見えていないだろう。
茶色いターシャの髪も保護色のような役割を果たしているはずだ。
逆にアストリッドは目立つ場所に立っている。
囮の役を引き受けてくれているのだ。
アストリッドはシュミーズにドレスを引き裂いた腰布だけをまき、その腰布に短剣を差している。
その格好で仁王立ちしている姿は物語に出てきそうなほど様になっていた。
それぞれが意識を集中している。
彼はまず一人だけで先に進むことにした。相手は女、それも弱り切っているはずだと高をくくって。
平地に立つアストリッドの姿をまず見つけた。
破れたドレスを腰に巻き付けた哀れな格好だが、それでも不思議な威厳のようなものは漂っていた。
すっくと立ったその姿にことさら弱っている様子はなかった。
おそらく自分たちが近づいているのをすでに分かっているのだろう。
彼女は女性ながら歴戦の騎士だった。
「久しぶりだな、アストリッド」
そう呼びかけると、眉をしかめた。
「自国の王太子妃に対する礼儀すら忘れたか、この名を呼び捨てにできるのは殿下ただお一人よ」
アストリッドは短剣を抜いた。
自分を呼び捨てにしたことで相手が王太子の名を受けて迎えに来たわけではないと判断した。
「アストリッド、すでにほかの王太子妃ははかなくなられたのだろう、一人で生き延びたのは大したものだが、あなた一人が舞い戻ったときほかの王太子殿下方はどうなるかわかっているのか」
「そういう思惑があってあの場で我らを殺さずここまで連れてきたのか」
アストリッドは唇をかみしめた。
その時石が飛んできた。
かわそうとよろけたはずみに踏みしめた足場がもろくも崩れた。
そして焼けるような激痛。
「ウフフフ。ちょうど罠の横に立ってくださったから狙わせてもらいましたわ」
今まで気づかなかった方向に女が立っていた。
小柄でやや肉付きのいいその女は弓のようなものを持って立っていた。
満面の笑顔を浮かべたその女が誰かはわかっていた。
ネヴァダ王太子妃ターシャ。とっくに死んでいたはずの女だった。