聖夜の贈り物
「アンタ、歳は」
「ひぃっ」
震え上がる青年を見て、俺は忍び笑いをした。無理もない。ヤクザ者に絡まれたのを助けてくれた長身美女が、自分を壁際に押し付けて尋問口調で話しかけてくるなんて、俺でもごめんだ。
「ひいじゃないよ。歳はいくつかって聞いてるの。返答次第で放っとくか連れてくか決めるんだからさ」
「に、二十一です!」
泣きそうな声で答える青年。それを聞くと、細谷はつまらなそうに壁から手を離した。
「じゃあさっさと失せて。私、これから用事があるの。アンタに構ってられないの。だから早く消えろって言ってるんだけど」
苛立たしく壁を蹴る音。青年はあたふたと逃げ出し、「あ、ありがとうございました!」と最後に言い残した。律儀だな。
「で、いつまで隠れてるつもり? 川崎」
「あ、気付いてたんだ」
「バレバレよ」
名前も知らない青年を見送って青いゴミ箱の陰から顔をのぞかせた。細谷はふん、とつまらなさそうに俺を一瞥する。
「相変わらず胡散臭いわね。昔の女を付け回すなんて、趣味が悪い」
「お前の男になった覚えはないな。というか、お前、人助けなんてするガラだったか」
「同期だったら胸糞悪いもの。あと、私もアンタの女になった覚えはないわよ。言葉のあやってやつ」
黒い薄手のワンピースに、しゃれたロングコートをまとった細谷がこちらに向き直った。
「冗談はさておき、何の用なの」
「ああ、招集だよ。支部じゃなく、東京本部からだ」
「ええ?」
整えた形の良い眉をひそめて、細谷が訝しむ。
「なんだって、こんな時期に」
「さあな。八時からだ、先に行け」
一つうなずいて、細谷が軽く屈伸する。そのまま地面をタンッと蹴り、星のない空へと跳んだ。俺は腕時計を見て、歩き出す。七時半。普通に歩いていけば十分間に合う。
十年前、連邦共和国中の高校に《部活証》なるものが発行された。何の目的だったかは覚えていない。多分、部活動推進とか、そんなお題目だったはずだ。俺達が高校二年の年。部活動に入ると渡され、どういうメカニズムかは知らないが、活動内容にまつわる能力が与えられる、という夢物語に出てきそうな物だった。形は多種多様で、多少の弊害こそあったがそれなりに面白かったし、何の問題も起きていないように思えた。
しかし、世の中そう上手くいかない。
ある高校で、強過ぎた能力が暴走し、十五人の生徒と三人の教師が巻き込まれる死傷事故が起きたのだ。どこの誰だったのか、もう覚えていない。ただ、《報復者》のトップはそいつだと聞いている。すぐさま《部活証》は回収され、事態は収束すると思われたが、なんとこの能力、一度根付いたら一生離れない代物だったのだ。その上《部活証》はストッパーの役割もするらしく、肌身離さず持っていないと暴走する確率が格段にあがるらしい。
俺達は、危険だと見なされた。
「川崎、そろそろ始まるぞ」
「築地サン」
世の中に出ても、この世代はおぞましいものとして扱われた。当然、大学のサークルや部活、会社の上司達には敬遠される。俺達は同じ世代だけでつるむようになった。学校も文化部も運動部も垣根を越えて。
「クリスマスイヴだというのに、何だろうな」
「これでどうでもいいことだったら怒っていいと思いますよ」
そして、次第に、俺達は二つのグループに大きく分かれるようになった。とはいえ、もともと同世代でやっかいな能力を通じての繋がりだから、どちらのグループも仲は悪くなかった。
「最近どうだ」
「会社はまあまあっす。築地サンは」
「世知辛いぞ」
柔道部だった先輩と話しながらビルの十五階にあがる。ビルは本部の誰かの持ち物らしいが、いったい何をやっているヤツなのだ、といつも思う。デカいビルを一個所有するような人間が同い年、それか一つ年上か年下にいると考えると、妬けもするがまずは純粋な尊敬がわき起こる。しがない役者風情には到底出来はしない。
チン、と涼しげな音を立てて扉が開いた。早足に会議室へと向かう。
「お、川崎と築地も来たね。あとは糸川と青山か」
人の良さそうな笑顔で手をひらりと振るのは本部員の浅沼。顔に似合わず、とんでもないクセ者だ。もっとも、それはコイツだけじゃない。というか、同年代の人間でくせ者じゃないヤツなど、見たことがない。
「全体招集なんて珍しいじゃん。どうしたんだ」
「みんなが揃ってから詳しく話すよ。《報復者》から手紙が来たんだ」
優しい笑顔が吐き出した台詞に、会議室が騒然とする。
「どういうこと?」
落ち着いた声で問うのは細谷だ。コートを脱いで全身真っ黒な姿で立っている。
「そのままの意味だよ。どうやら、やっぱりウチを潰したいみたいだね」
《報復者》は、同期の七割が所属するグループだ。能力を与えられたことに恨みと誇りを抱き、当時の科学者に報復することを目的とした、いわば過激派。俺達《免罪者》は奴らに対抗するために――いや、奴らに復讐だの報復だのをやらせないために結成された。相容れなくなったときから、俺達は交わらなくなった。
「……それは、つまり」
「全面戦争ってことですかぁ?」
部屋にいた誰もがぎょっとした。言いかけた口を開いたまま振り向くと、
「……青山か」
「糸川も一緒だよっ」
宝物でも見せびらかすように、背後から糸川を引っ張りだす青山。まだ少女のようなナリをした青山と、老成したような口調と雰囲気を持つ糸川が同い年だとは未だに信じられない。特に、糸川が俺の一つ年下だとは考えにくい。
度肝を抜かれた俺達をよそに、浅沼はにこにこと口を開いた。
「うん、それじゃあ始めようか。聞いていたかもしれないけど、《報復者》から手紙が来た。内容はこんな感じ」
ぱっとプロジェクターに一枚の紙が映される。夜空のような紺色のインキで丁寧にしたためられた文字。
【拝啓 《免罪者》様
年の瀬も押し迫ってまいりました今日この頃、皆様いかがおす
ごしでしょうか。
さて、我々《報復者》は今まで貴団体に極力関わらないように
しておりましたので、今更何をとお思いになるのも無理はござい
ません。
今回筆を執りましたのは、あるゲームに招待するためです。
ルールは至って簡単です。貴団体の本社ビルに爆発物を仕掛け
させて頂きましたので、これを見つけ出し、解除してください。
成功の暁には団員全員を賞品として用意しております。
なお、不参加の場合でも定刻通りそれは機能致します。お忘れ
なきよう。
タイムリミットは二十五日午前零時ジャストです。
皆様おそろいで、輝かしい新年をお迎えください。
敬具 向井】
「……ふざけたマネを」
築地サンが吐き捨てた。身長二メートル、体重百キロを超える巨体はとても二十八に見えない。地響きのようなうなり声で浅沼に尋ねる。
「今が二十四日八時十三分。残り三時間四十七分で、この巨大ビルを捜索すればいいのか」
「そうなるね。手掛かりはない。まったくのゼロだ」
絶望的な状況だった。しかし、グズグズしてはいられない。ジジッと映像の手紙が揺れたのを横目に、俺は声を張り上げた。
「二十階を十分割するぞ。支部番号ごとに上から二フロアずつだ。別れろ」
誰もが無言のうちに支部長のもとへと集まった。東京二十三区東部支部のメンバーに、俺は言い渡す。
「三人一組で一部屋ずつ探せ。被害を出すことが目的だろうとはいえ、相手の考えはわからない。いくら被害のなさそうなところでもきっちり探せ」
「はぁい」
「糸川と細谷は俺と、築地サンは青山をお願いします。他はテキトーに。解散」
日本国内で一番大きな都市国家とはいえ、学校の数も当時高校生だった人数も、他の都市より大幅に多いということはない。だから何度も顔を合わせているうちに互いを把握しているし、ある程度組む相手は決まって来るだろう。
支部番号一番の俺達は、二十階と十九階を家捜しする。
「川崎、見当たらないよ」
「そうほいほい見つかってたまるか」
「細谷さん、こちらの天井を見て頂きたいのですが」
「ん、了解」
焦っても見つかるわけではない、と自分に言い聞かせながら、無駄に広いオフィスの机からゴミ箱の中まで探しまわる。
「今、何時よ」
十九階を探し終え、二十階へ向かうエレベーターの中で細谷が腕時計を見た。十時半を過ぎている。時間がない、と歯噛みした。
「急げ!」
★ ★ ★
「見つけられると思うか?」
《報復者》が尋ねる。爆発物の上に腰掛けた《報復者》はただ薄笑いを浮かべた。
「このシチュエーションの未来はもう、決まっているからね」
★ ★ ★
二十階で、別動隊と鉢合わせたのは十一時半に差し掛かった頃だった。
「築地サン、見つかりました?」
「いや。他の奴らも見つからなかったと」
「そうすか……」
残り時間は三十分もない。俺は浅沼に連絡を取る。
「もしもし」
『やあ。見つかったかい?』
「十九、二十は見つからなかった。他の階はどうだ」
『見つかったっていう報告はないよ』
「……ヤバイんじゃねえの」
『ヤバイなあ』
のんびりと答える相手を怒鳴りつけたくなった。ぐっと我慢して全員を先ほどの部屋に集めてくれるよう告げる。三人寄れば文殊の知恵らしいから、人数を増やせば何とかなるんじゃないかと思ったからだ。
……が、こんな場合には、ことわざも無力だ。
「築地サン、どうにかなりませんかね」
「俺は頭を使うのは苦手だ」
「糸川、何かなぁい?」
「特には思いつきません。ごめんなさい」
「糸川、卑屈になることはないぞ。川崎支部長、どうにかできないか」
「無理言わないでください」
わいわいがやがや、騒々しい。そんな中で、じっと考え込んでいた細谷がふと、糸川を見た。
「ねえ、能力を使って何とか探せないかしら。文芸部とかどう?」
「申し訳ありません。私の能力は粘着質の糸を操ることだけなのです」
この通り、と糸川が手から糸を出す。生き物のようにうねる白い糸は、どうやら蜘蛛の糸じみた性質を持つらしい。
「じゃあ、演劇部」
「は?」
なんで俺が。
「だいたい、俺に出来るのは演技だけだぞ」
「十分じゃない。どこに爆弾があるかさえ、はっきりすればいいのよ。わかるでしょ?」
皆がハッと俺を見た。俺自身も思いつかなかった方法だ。
「……なるほどな」
仮面を取り出す。目元を隠すタイプの、真っ赤な仮面だ。
こんな時、誰になるべきか。どんな役割を演じるべきか。答えは簡単だ。仮面を目元にあて、口を開いた。
「《虚偽の人格》――シャーロック=ホームズ」
★ ★ ★
仮面の奥の目の色が変わる。口元を皮肉たっぷりにゆがめた川崎は、どこからともなく出したステッキで床をコツリと叩いた。
「ああ、何ということだ。はじめから、わかりきっていることだったじゃないか!」
いやに芝居がかった態度で天井を仰ぐ。川崎の、いや、演劇部の能力はそういう性質のものだった。
「我々に爆発物を見つけるよう、仕向けたのは手紙だ。しかし、我々は本当の意味でその手紙を見ていない。見たのは画面越しの、そう、浅沼君の見せた映像の手紙なのだ! それが何を意味するのか、分からない君達ではあるまい。簡単な話だろう?」
つらつらと狂ったように連ねられる言葉に圧倒される。
「犯人は――否、犯人の一人は浅沼君だよ」
皆が浅沼を見る。彼は表情を変えない。仮面の探偵を余裕綽々の態度で見つめるばかりだ。
「その笑みはイエスという意味だろうね」
「まあ、ね。けど、どうしてわかったんだい? あの手紙が、俺の作った画像だって」
「映像に乱れがあったからね。あれは、実物投影機ではあり得ない乱れ方だったろう」
「……慧眼だね」
少なからず衝撃を受ける《免罪者》達。当然だ。程度の差こそあれど、信頼を寄せてきた本部員が爆弾を仕掛けるなど、誰が考えただろう? それも、敵対しているはずの《報復者》と内通しているだなんて。
「でも、なぜ?」
細谷が呟く。確かに、と川崎はうなずく。
「彼に殺意を抱かせるものは何もない。僕の知らない事実があるのなら別だが。殺意のない爆発物を仕掛けるなら、どこへ仕掛けるか? 僕ならそうだな、屋上へ仕掛けるね。何しろ――」
「そこまでだ」
扉が音高く開けられる。部屋にいた全員が振り向いた。
「……上野君、久しぶりだねぇ」
ニタリと川崎が笑う。仮面を外し、素顔の二人が対峙した。
気性の荒い二人は昔から何かとぶつかっていたな、と今更のように思い出す細谷。始まりは些細なことだったはずの小学時代。殴り合いを見かねて演劇部に放り込んだ中学時代、能力を得てからも喧嘩ばかりしていた高校時代、文句を言い合いながらもつるみ続けた大学時代。
「まさか、お前が見破るとはな」
「ふん。お前が足止めに来ると思っていたさ。どけ」
「そう急ぐなよ。全部分かってるんだろ」
時刻は十一時四十五分。何を悠長に、と細谷が叫ぶ。
「上野、ふざけてる場合じゃないわ! 私達を殺すつもり?」
「そんなわけないっつーの。大丈夫だって」
「大丈夫なのは分かってるが、お前の入ってる団体に負けるのは、気に食わないんだよなぁ」
川崎が再び仮面を目に当てる。ニンマリと上野も仮面を取り出す。川崎とほんの少し色味の違う紅色の仮面だ。
「そうこなくっちゃ」
「《虚偽の人格》――武士!」
「《虚偽の人格》――騎士!」
言うや否や、二人の手に剣と刀が現れた。
★ ★ ★
「上野のヤロー、何か始めやがったぜぇ」
《報復者》はつまらなさそうに話しかけた。
「本当に大丈夫なんだろうなぁ?」
《報復者》は変わらず笑った。
「決まっている物語は、覆せないよ」
★ ★ ★
川崎と上野は強い。もとの力はもちろん、互いへのライバル心を糧に磨き上げてきた演技力も相当のものである。
《部活証》による能力は、その部活に関する能力が高いほど高まる。二人は地力と演技力による能力、双方の高さのため、まったくの互角に剣を交え続けていた。
(さっさと決着をつけるなら、待ってやっても良かったんだけど……)
細谷は腕時計を見た。彼らが武士と騎士を演じ始めて一分足らずしか経っていないが、長くなりそうだと見積もる。
「糸川、私を上へ連れて行ける?」
「ええ。しかし、どうなさるつもりですか」
「上をじかに叩くわ。どういう事情かは分からないけど、多分屋上に奴らはいる。築地さん、五分後に決着着かなかったら、二人を殴って連れてきてください」
「わかった」
糸川は窓を開け、身を乗り出した。うねる糸を屋上まで伸ばす。しっかりと張り付いたのを確認し、糸を回収し始める。張り付いた糸は動かず、代わりにふわりと自分の身体が浮く。
「掴まって、ください」
「了解」
「あ、待って!」
呼び止めたのは青山だった。
「あたしも連れてってくれない? きっと役に立つよぉ」
糸川と細谷は顔を見合わせる。
「私はいいわよ」
「私も構いませんが、まずは細谷さんを上にあげなくてはいけません」
「んじゃ、待ってるねぇ」
二人は屋上へと飛んだ。深夜の風が細谷の長い髪を乱していく。糸川は静かな瞳で糸を回収するスピードを調節した。
「着きました」
「ありがとう」
降りる糸川を横目に、細谷は目の前の人物を見据えた。
「《免罪者》、見つけた」
ニヤッと男が笑った。
「待ってたぜぇ、細谷」
「相変わらずね、河内。殴りたいわ」
「その憎まれ口も久しいな」
河内は目を細める。細谷は鋭く辺りを見回した。河内は化学屋ではない。彼一人で爆発物を作ったりしかけたりすることは難しいから、単独犯行ではないだろう。しかし、浅沼と結託していたにしろ、あの筆跡はどちらのものでもない。それならば、屋上のあちらこちらに置かれた箱の群の陰に、誰かいるはずだ。
「他の奴は」
「そっちだ」
指差した方を見かけたとたん、白球が頭に飛んでくる。間一髪でそれを弾き、キッと向き直る。
「邪魔。やめて頂戴」
「そうもいかねーんだよ。ま、俺を倒してから――っと」
先ほど投げたボールが正確に顔へと返ってくる。キャッチして、彼は笑った。
「言うまでもなく、か?」
細谷は河内を鼻で笑う。
「いいわよ、時間稼ぎくらい付き合ってやるわ。他のが着いたんだもの」
そこで、初めて気付いた。
「……策士だよな、案外さぁ。ムキになってるようにしか見えなかったわ」
「河内さんが変わらないんだよねぇ」
青山が竹刀をパシリと手のひらに当てた。糸を回収し終えた糸川は万年筆を胸元にさしている。
「ま、だがそれも想定内だ」
河内がパチンと指を鳴らす。いくつかの箱の陰から人影が飛び出した。人の数だけ黒い箱が消える。
「何これ、変なのぉ」
でも、と青山が呟いた。ずいと一歩前に出る。
「こんなとこで会えるとは思ってなかったなぁ。白木くん」
弓を背負った白木が彼女を鼻で笑う。
「懲りねえ努力バカだな。ぶっ潰してやるよ」
青山は無表情に竹刀を構える。
「《心身鍛錬》」
「喧嘩っ早い女は可愛くねえぞ。《身体練達》」
竹刀と矢が触れ合う。一瞬の後、竹刀が矢を弾き飛ばす。せせ笑いながら何度も何度も連射する白木、それを無表情に弾きながら徐々に歩を進める青山。
「……なあ、あの青山って子さぁ」
「……この能力は私も初めて見るわ。けど、」
上手い。二人は確信した。日本の伝統的武芸に疎い二人だから、そう詳しいことはわからない。だが、稲妻のような青山の剣筋も、端正な白木の構え方も、素晴らしいものだと思った。
「……ヘドが出る」
小さく、激しい嫌悪感を込めた呟きが白木の耳に届く。
「ひがみか?」
青山は背が低い。体力もある方ではなかったし、運動神経もいい方ではなかった。当然、運動に関するセンスがあるはずもなく、剣道も人一倍努力して、ようやく人並みに渡り合えるようになった。
だが、白木は違う。
「テメェがそんだけ上達したのはすごいと思うぜ。けど、所詮、才能のないヤツの悪あがきだ」
平均を軽く上回る長身、生まれ持った身体能力の高さ、そしてあらゆる運動に関するセンスがあった。努力をすればするだけの結果が返ってくる。彼は、努力しても報われない者を理解できず、しようともしなかった。
「そうかなぁ?」
青山は手を止め、飛んでくる矢を掴んだ。
「あたし、あんたにバカにされ続けて、すっごく悔しかった。すっごくムカついたし、羨ましくもなった。努力しても努力しても、全然結果がでないことがいっぱいあったのに、あんたはそれがないんだもん。辛かったよ。泣いた時もあったし、やめたくもなったよ」
違う競技とはいえ、同じ学校であれば顔を合わせることも多かった。努力する姿をバカにされた彼女は、何を思って今まで過ごしてきたのだろう。
ほんの少しひるみつつも、白木が矢を射続ける。それを竹刀と、掴んだ矢で弾きながら、青山は喋り続けた。
「けど、大好きだから、やめられなかった。向いてないとか、文化部に行けとか、あんた以外にも言われたよ。それでもやめたくなかったし、やめたら負けだと思ってた。それで、努力し続けた。その結果が、これ」
青山は静かに竹刀を振り上げた。目を見開く白木。喋り続けている間に、間合いがつめられていたのだ。とっさに退こうとするが、退けない。
(なんでっ……!)
「……感謝、してる」
白木の弓が、真っ二つに裂けた。
「手だけ……斬らずに」
「ああ。能力が関係あるのかは分からねえが、あの早さで振るなんて……いや、竹刀であんなんやれるなんて、あの子は一体どれだけ練習してきたんだろう」
唖然としたまま、細谷達が彼らを見つめる。呆然と、白木が目を落とす。
「白木。あたし、あんたのこと、大っ嫌いだ。剣道なんてかじっただけのくせにあたしをあっさり負かしたりしてたしね。けど、そのおかげで強くなれた。あはは、ありがとう」
高らかに笑う青木をきっと睨みつける白木。
「絶対……絶対、負かしてやる。この、クソ努力バカが」
「フン」
悔しげな白木を楽しげに鼻で笑い、青山は言い放った。
「次も負けないからね」
★ ★ ★
「川崎さんには上野さん、青山さんには白木くん、そしてボクには君か。絵空事みたいに丁度いいね」
歌うように言う相手を、じっと見る。時計は見ていないが、もう五十分にはなっているだろう。タイムリミットがいよいよ迫ってくる。
「一つ、質問をしてもよろしいでしょうか」
「何だい」
「爆発物が機能したら、今ここにいらっしゃる皆さんも、無事ではいられないのではないですか」
「ああ、大丈夫。それはね」
向井は座っていた箱を背後に蹴飛ばした。数メートル滑って止まる夜空色の箱。
「決められた未来だからね。被害は出ない。絶対にだ」
左手の糸は網状に編んであるし、右手の糸は最強の粘度で出せるようにしてある。いつでも向井を捕まえられるはずだし、爆発物を奪って捨てられるはずだった。
なのに。
「ねえ、糸川。君は、ボクのことを知っているかい」
「……いえ、浅学なもので」
「いや、構わないよ」
向井はゆっくりと糸川に近づく。まばたきをするのも忘れ、それを見た。見れば見るほどわからない。糸川はまず、彼と言うべきか彼女と言うべきか悩んだ。華奢な体つきは女性と言われても納得できる。顔立ちはひどく中性的だ。しかし、その好戦的な目つきは強靭な男を思わせる。
「糸川。君には、ボクを捕まえることは出来ない」
はっきりと、明瞭な声で向井が告げる。その瞬間、確かに向井を捕まえられないような気がした。しかし、おいそれと退くことはできない。川崎は大丈夫だと言っていたが、彼の能力の性質から考えて、推理が間違っている可能性もあるのだ。爆発物の在処を聞き出し、処理した方が得策である。
「糸川。君が、ボクを捕まえられない理由がわかるかい」
「理由も何も、捕まえる気でいますから」
その答えを聞き、満足そうに頷く向井。
「その答えを期待していたよ」
だが、と足を止め、人差し指を伸ばす。
「君はボクのことを知っているはずだ。向井という人間としてではなく、ある文芸部員の名前として」
首を傾げた。文芸部の能力は、ペンネームが反映される。糸川の能力もそうだ。だとすると、向井の能力はいったい何だというのだろう。
「わからないかい? 《糸川附人》君」
眉がひくりと動く。
「……なぜ」
「知っているのかって? そりゃあ、自分と同じ都大会をくぐり抜けていた名前だもの、印象深く覚えているさ。特に、ボクが文芸コンクールに出せたのは一年目だけだったのだからね」
頭を固いもので殴られたような衝撃。糸川の手の中で無数の糸が消えた。動揺が全身を包む。
「まさ、か、向井さん、君は、」
ぱくぱくと金魚のように口を動かす糸川。信じられない、と見る彼を、向井は薄く微笑んで見返した。
「そうだよ。ボクは、《夢現》――ゆめうつつ。夢物語を、現実にしてしまう能力を持っている」
向井はポケットから万年筆を取り出した。山の星空のような、深い青といくつもの星が散らばったデザインだ。傷だらけのその万年筆を、向井は大事そうに指でなぞる。
「この能力、実は判明したのが高校一年も終わりにさしかかった頃だったんだ。それまではファンタジーばかり書いていたものだからね。その時初めて書いたんだ、現代日本を舞台にしたパニック小説なんて」
糸川は思い出す。
『ある高校で、強過ぎた能力が暴走し、十五人の生徒と三人の教師が巻き込まれる死傷事故が起きた』
『《報復者》のトップはその人らしい』
「……自分の学校をモデルに、書いたのですか」
向井は鷹揚にうなずいた。
「ボクには能力が与えられなかったと思い込んでいたからね。自爆テロに巻き込まれる学校の小説を書いた。書いてしまった。そしてそのテロが起きてしまったんだ。自分の書いた物語が現実になると知ったら、そうそう小説を書くことは出来なくなったし、書かせてもらえなくもなった。……ボクは夢を、小説家になるという夢を潰されてしまったんだよ」
向井の心中は、いかばかりだったろうか。能力さえなければ、と、《部活証》を与えた科学者に恨みを抱くことは容易に想像できた。
宵闇の美しさを謳った向井の詩を読んだことがある。幻想的な世界を舞台にしたショートショートも。どちらも舌を巻くほど上手く、将来を感じさせるものだった。センスも、重ねて来た努力もとてつもなかった向井。
「君も、ボクの犠牲者の一人だろう。《夢現》の能力暴発のために、世間にこの世代の物書きは受け入れられなくなったのだから。すまないことをしたと思うよ。まあ、本質的には《部活証》を導入した科学者達が悪かったんだろうが。そうまでして部活動を推進したり、人間の潜在能力を引き出す必要はなかったと思うんだけどね」
向井はくるくると万年筆を回し、腕時計に目を落とした。
「しかし、ボクは既に彼らを恨んでいない。このペンネームを使うと決めたのはボクだしね。けれど、《報復者》は彼らを恨む者が多い。だけど、ボク自身は――《免罪者》の本部もだけど、いい加減対立するのには疲れてきた。飽きたと言い換えてもいいよ。何度かの話し合いを経て、ボクらは考えたんだ。ゲームをきっかけに、二つのグループを統合できないか、と。ボクや彼、そして皆の能力を利用して、できやしないかと」
けたたましい金属音をたてて扉が開いた。屋上にいる全員がそちらを注視する。頭を抑える川崎と上野、幾分かいらだった表情を見せる築地、笑いながら一番後ろからついてくる浅沼。
「そろそろ時間だ。ゲームは君達の負けだね」
はっと気がつく糸川。
(そうだ、爆発物はどこに――)
刹那。
ひゅるるるる、どぉん。
ひゅるるるるる、ひゅるるるる、どぉん。
何度も何度も、冬の澄んだ空に鮮やかな花火が閃いた。いくつもいくつも、色鮮やかな火球が現れては消えていく。
「……これは」
あんぐりと口を開けている築地や、嬉しそうに花火を見つめている川崎を見ながら、糸川が向井を軽く睨んだ。
「だましていた、ということですか」
「人聞きが悪いな。きちんと手紙には書いただろう? ゲームに招待するだけだって」
「確かにそうですけどね。招待としか書いてなかったですし、爆発物としか書いてませんでしたけどね。あんな紹介されたら爆弾だと思いますよ」
道理で、と細谷が向井に近づく。
「おかしいとは思ったのよ。途中までどうにも頭が働かなかったし、探しながら『探させられてる』感じがずっとしてたんだもの。あれ、アンタの仕業ね。考えたら、物語が狂ったんでしょう」
「すいません。けど、オチはちゃんと書いてなかったんですよ」
「……すまない、川崎。いまいち理解が追いつかないから、説明してくれるか」
好き勝手に喋る「分かっている」後輩達を見て、諦めたように川崎の肩を叩く築地の声を聞き、川崎はケタケタ笑った。
「探偵の出番ですか」
「うるせえ、さっさとやれ」
上野のヤジに応戦しようとして殴られた頭を押さえ、川崎は口を開いた。
「さて――」
見回された《免罪者》は冷ややかに、《報復者》は面白そうに彼を見守る。
「まず、プロジェクターに映された手紙はパソコンの中に入ってた画像。確かに普通の手紙っぽかったし、あの会議室と同じ照明のあて方に見えたんですけど、画像が妙な乱れ方だったんです。だから、これはよく出来た画像だと分かりました。しかもよく見たら手書きじゃなく、ああいうフォントだったんです。ま、美術部かパソコン部系の人間にやらせれば簡単だったんでしょうが、それにしても素晴らしい技術だと思いました」
「光栄だよ」
《報復者》から声が飛び出す。黒ぶち眼鏡をかけた青年が、眼鏡のツルを押さえていた。
「次に、浅沼が犯人の一人だと推理した過程。手紙の画像を見せたという時点でわかりました。そりゃそうですよね、来てもいない手紙を見せるなんて、犯人じゃなかったらしないでしょ」
いや浅沼だしわからないぞ、という声を無視しながら、川崎が続ける。
「なんで浅沼が爆発物を仕掛けるか、って考えた時、河内のことを思い出したんです」
俺か、と自分を指差す河内にうなずき、川崎がいやらしく笑う。
「二人は仲良かったよなって。河内ぃ、細谷と別れた原因、《報復者》と《免罪者》の抗争が原因だったんだって?」
ギクリ、と固まる河内と細谷。気の強い二人は対立が決定的になったとたん、口もきかなくなり、自然消滅のようになったのだ。
「親友の浅沼ならそれ、当然浅沼知ってるよなぁ。そしたら、二つの団体をくっつけて復縁させよう、くらいのことを浅沼が考えるだろうと思ったんだよねぇ」
ニヤニヤと二人を見る川崎。河内も細谷も浅沼を睨みつけるが、耳が赤いのは隠しきれない。
「つりばし効果を狙ったのか、二つの派閥を統合して両方を納得させてやろうと思ったのかはわからなかったけど、その時点で《報復者》に協力者がいるってわかった。んで、どっちにしろ建物に被害を出すとは思えなかったから、爆発物は破壊力の低そうなもの……つまり、花火程度かなって思ったんだ」
「色々申請するのは骨が折れたよ」
「プロと協力して作ったんだぞ」
浅沼と向井の見当はずれな台詞に、皆は頭を抱えた。結局、とんでもなく大掛かりな茶番に付き合わされただけだったのだ。
「……浅沼。あんたってやつは」
青山が呆れたようにこぼす。
「……和平とか言ってたのは、そういうことかよ」
白木もため息をついて毒づいた。呆れたり笑ったり安堵したり、それぞれの反応を見て、浅沼も向井も笑う。
「でも、スリリングだったろ?」
「死人は出ないように設計してあったんだ。ボクが書いた物語だからね」
能力を使ったのか、と息を吐いた糸川。不意に、向井と目が合った。
「糸川、どうだい?」
「……本当に、恨まなくなったのですね」
「言っただろう」
向井は万年筆をくるりと回した。
「ボクは人の笑顔が好きなんだ。今の皆を見てごらん。安心したり、楽しそうだったり、それから恥ずかしそうにしてはいるけれど、皆笑っている。ボクの理想だ」
浅沼が皆に謝罪がてら食事をおごる、といい、歓声を上げる皆。
「妖精のいる世界は面白いだろうなって、ファンタジーを書いた。学校に自爆テロが突っ込んできたらどうなるかなって、パニック小説を書いた。色々なものを書いているうちに、ボクはボクの理想を小説にしているって気付いたんだ。だから、理想を存分に込めて、この小説を書いた。けれど、ボクが書いたのはここまでだ。この先、二つの団体が統合するのか、しないまま進むのか、それはボクにも分からない」
向井は糸川の胸元を指差した。そこに輝くのは、白い万年筆。
「君と僕の能力は違うし、書くものも全然違うタイプだ。それでいいんだ。書かれていないこの先を続けていくのは、そういった『違い』だと思う。なぁ、糸川。そう考えると、夢を奪ったこの世界も捨てたもんじゃないと思わないかい」
『違い』を持った人々が、書かれていない物語を書く。
「……ええ、本当に」
向井は受け入れているのだ。能力を『違い』と扱って、あるのが当たり前だとして。糸川は自分も受け入れられるだろうか、と思う。『違い』を、『個性』を。役に立たない能力を得た自分を受け入れ、《夢現》の書いていない「この先」を書いていけるだろうか。
きっと、できる。
「向井さん、ありがとうございます」
「ボクは何もしていないよ。ただ、浅沼の願う物語を、ちょっと自分の思いを入れて書いただけだ。君が何かを得たとするならば、それはきっと、サンタクロースからの贈り物さ」
ふっと向井が笑う。それが物語の終わりの合図だった。
「メリー・クリスマス」
街が、優しい白さで覆われ始めた。
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