ヘラスの英雄譚
右手に握る剣はこれまでの旅を支えてきた牙。
左手に構える盾は命を守ってきた壁。
臆せず進め。
我が守護神は太陽神なり。
心でそう唱える。
剣を腰だめに構え、敵陣を突き進む。
盾を壁に剣を牙に。
相手の首筋に刃を這わせ次の敵へ。
幾度となく披露した剣技を見せるのもこれが最後。
我の身体は剣。
太陽を守護する一振りの剣。
太陽の剣に敵は無し。
盾の隙間を縫うように槍を突き出す敵を剣にて一蹴。
盾にて背面の敵を殴打。
太陽の剣に死角なし。
太陽の照らす先に死角なし。
一刻も早く主の元へ。
裏切りの神を滅するは我が剣。
我は太陽の剣なり。
ヘラスは人間の中で唯一太陽神の騎士となった英雄です。
彼は太陽神を裏切った仲間の騎士と雲の神を倒すため、たった一人で敵が既に蹂躙している太陽神殿へと乗り込みました。
そこで彼を待っていたのはかつての仲間たちでした。
共に太陽神に忠誠を誓った騎士たちが彼の行く手を阻むのです。
なぜ裏切ったのか彼には分かりませんでした。
でも彼の心にあるのは太陽神への忠誠です。
そのためなら仲間でさえも倒す覚悟をしてやってきたのでした。
怒声を上げて剣を振るかつて共に技を磨いた鍛えられし太陽の騎士たち。
だが我の主は太陽神のみ。
既に彼らの心は共にはない。
ここにはない。
ならば情けは必要なし。
胸部に剣を突き立て前進。
掴みかかるその腕をへし折り前進。
かつての仲間の返り血を浴びて尚前進。
胸を貫いた剣を引き抜き、息絶えた騎士を背後から迫る剣の盾に。
騎士たちの息の根を止め、返り血を拭いながら本殿を目指す。
時は昼。
なのに太陽は沈みかけている。
太陽神の力が弱まっている。
主の命が危ない。
前面の親友の首を跳ね、手に握る槍を地面に突き刺し、反動で空へ舞う。
上空へと武器を突き上げるその切っ先を斬り飛ばし、柄だけになった槍の上に着地。
そして再び宙へ舞う。
急がねば。
ヘラスが仲間たちを皆殺しにし、本殿へと辿り着いた時には雲の神の刃が既に太陽神の喉元に突きつけられていました。
彼は激昂し、韋駄天の勢いで雲の神に剣を振りかざして斬りかかったのです。
我の眼に映るは雲の神。
太陽神の従神でありながら裏切った不義の神。
仲間たちの心を操り、敵対させた張本人。
許すまじ、我が剣にてその息の根を止めて見せよう。
強大な力を持つ神に打ち勝つには加護が必要。
主が殺される前に雲の神を。
剣が空を切り裂いて雲の神の腕を切り落とす。
失った腕に怯むことなく我に襲いくる神の刃。
一撃喰らえば必死。
神の武器なら必然。
躱して足を薙ぐ。
そして一歩踏み込み切り上げて両断へ移行。
幾度となく敵を切り捨ててきたこの一連の動作で敵が死なぬは相手が神であるから。
神を討つには証である武器を破壊しなければならない。
雲の神の武器は雷雲を操る杖。
砕こうと剣を振るが届かない。
もう一歩踏み出すがまだ届かない。
太陽神の御前での戦いに敗北は許されない。
牙に魂を。
壁に命を。
自らを捨て、――――――一閃――――――
杖を砕いた我が牙は音もなく崩れ、神の最後の力の攻撃は我が盾を砕いた。
我の体は地面を転がり太陽神の足元へ。
だが雲の神は消えはしなかった。
我は己の拳を信じ、生命を力に変えて必殺の一撃を雲の神へと放つ。
雲の神が倒れた。
そして消える。
主は生きておられる。
太陽神はまだ健在だ。
我が騎士としてその存在を広め、後世へと伝えよう。
我は太陽神の剣。
同胞殺しの血塗られた剣。
七日七晩続いた雲の神と太陽神の戦いは、死闘の末にヘラスが裏切りの雲の神を倒し、太陽神は勝ちました。
そしてその後、ヘラスは信仰の薄くなった人間へ自らの伝説を広めて歩きました。
神は信仰を失えば力を失い、やがて消えてしまうのです。
それと共に神に忠誠を誓った騎士たちも死んでしまいます。
そう、この戦いの原因は信仰の薄くなった太陽神と、信仰の厚くなった雲の神の勢力バランスの変化が原因なのです。
二神の力の差は徐々に開き、雲の神は天空神と呼ばれるようになり、ついには主神であるはずの太陽神を悪とし殺害を図ったのです。
天空神が太陽神を討つという物語も信者たちによって広まりましたが、一人の太陽神の騎士が大軍勢で攻めてきた雲の神に立ち向かう物語の方が大きく人間に広がりました。
長い時間をかけて世界を渡り歩いたヘラスの尽力により、太陽神は再び力を取り戻すことができました。
太陽神はヘラスに、感謝と忠誠と込め、その栄光を讃えて自らの剣と盾を贈ったといいます。
だけど、雲の神を倒すとき、命を力に変えたヘラスは太陽神の騎士になるときに与えられた不死の能力を失ってしまったのです。
その後、彼は人間と同じように齢を取り、そして最後は剣と盾を構え太陽神に跪いて忠誠を誓ったまま数百年の生涯を終えたといいます。
太陽神に愛されながら死んだ彼は死後、英雄界へと逝き、不自由ない暮らしを送ったといいます。
ですが彼にとっては太陽神の元で務めを果たすことが誇りであり、幸福であり、生きがいだったのです。
彼は太陽神殿から遥か遠い英雄界で、空に輝く太陽を今日も見ていることでしょう。
おしまい。