第六章……決意
神矢を殺すと決めたのに、どうして俺はここにいるのだろう。
俺は屋上に立ち、夕焼けに包まれている街を見下ろしていた。
俺が住んでいる街って、こんなに狭かったんだ。
こうして見てみると、改めて思うことがたくさんある。俺の目に映りこむその街は、俺が思っているよりも穏やかで、静かな街だった。
神矢を殺すことなんてできないと、俺は思うに至った。そんなことをしても、意味がないと悟ったからだ。
あれから俺は、教室には戻らず、ずっと屋上で過ごしていた。先生も探しに来なかったし、きっと皆は俺が帰ったとでも思っているのだろう。
俺がいなくなったって、悲しむ人間なんて一人もいない。
自殺したとしても、家族ですら、関心を示さないだろう。涙を流したとしても、それは偽りだ。本当の涙ではない。世間体を気にしてからくる涙に違いない。
俺は今、フェンスの外側に立っている。
夕方になるまでずっと、俺は自殺することを考えていた。警察に、俺のしたことがばれて捕まるより、死んだほうがましだと考えたのだ。
けど、今まで飛び降りられなかったのは、やはり怖かったからだ。死ぬのが怖い。自殺とか考えたことなかったから、いざやろうとすると、足がすくんで動けなくなってしまう。
近年、苛め等で高校生の飛び降り自殺が急増する中、俺は自分のやったことを隠すために自殺をするのだ。家族は、俺が自殺した原因について、調べるだろうか。そんなことはしないか。
少しずつ、勇気が沸いてきた。自殺に対する恐怖心が、最初よりかは幾分、和らいできた気がする。
そりゃあ、ここに何時間も立っていれば、覚悟も決まってくるだろう。
俺は深呼吸を繰り返し、フェンスの網を掴んでいる手の力を、徐々に緩めていく。
俺は死ぬんだ。
じゃあな、猛。それから、神矢。
そしてありがとう。今まで育ててくれた母さん、父さん。
こんな息子で、ごめんなさい――。
「君は死ねないよ」
後ろのほうから、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
飛び降りるところだったのに、どうしてやつは邪魔をするんだ。
「何しているんだよ、臨海」
俺は慎重に振り返って、ドアの前に立っている臨海を見た。臨海は、笑みを浮かべながら俺を見ている。
「君は死ねない。もう一度、下を見てみなよ」
俺は臨海の言った通りになるのが嫌で、このまま飛び降りようかと考えてみたが、どうしてか、できなかった。
「ね、僕の言った通りでしょ?」
勝ち誇った表情を浮かべて、臨海は言った。悔しい。悔しすぎる。これほどの屈辱感は、味わったことなどない。
どうして死ねないんだ。今更、何故恐怖を感じる。覚悟を決めたじゃないか。どうしてだよ。
俺の頬に、涙が伝う。どうして涙が出る。自分のことなのに、分からないことだらけだった。
「とりあえず、僕のところに来て」
もうこうなったら、やつの言う通りにするしかない。いつの間にか、俺の変なプライドが、なくなっていた。
俺はフェンスを慎重に乗り越えて、臨海のもとへ行き、その場に座り込んでしまった。そんな俺を、臨海は無表情で見ていた。
「いつから、そこにいた」
「ずっといたよ」
俺は今まで、あいつの存在に気づかなかったのか。
「どうして死のうとしたの?」
優しく問いかけてきた臨海だが、俺は答えない。答えられるわけがなかった。
「人生がつまらないから?」
俺は黙っていた。
「成績が悪いから?」
臨海を殴りたい、という衝動に駆られたが我慢した。
「それとも、ばれるのが怖いから?」
俺は、おおげさに肩をびくつかせた。それを見て、臨海は嬉しそうに言った。
「やはり、そうだったのか」
何故やつは、そのことを知っている。いつから?
それじゃぁ、俺が裏山へ入っていくところを目撃して、警察に通報したのも臨海なのか。
「全て、お前の仕業か?」
「何が?」
「とぼけるなよ! 警察に通報したのも、神矢をあの公園に移動させたのも、全部お前の仕業なのか!」
今までに、こんな大声を出したことがあるだろうか。俺は、それぐらい必死になっていた。
そんな俺を見ても、臨海は冷静さを保っていた。
「僕がそんなことをするはずないじゃないか」
「じゃぁ、誰が!」
「その様子からして、やはり君だったんだね」
そうだったのか。
臨海は、俺が怪しいと思ってずっと探っていたんだ。そして、俺にゆさぶりをかけた。臨海が全てを見抜いていると勘違いして、俺は自分が犯人であるということを、言ってしまったのだ。
これで、世間に俺が犯人だということがばれてしまうのだ。
こんなやつ無視して、さっさと飛び降りればよかった。
「君は、どのような推理をした?」
「は?」
突然何を言い出すんだ、こいつは?
「君は考えていたはずだ。今朝からずっと。誰が、神矢君をあの公園へ移したのか。神矢君を裏山に埋めたはずなのに、誰がそのことについて知っていたのか。神矢君は死んでいなかった。今日まで、ずっと殺したと思い込んでいたのに」
臨海は、一呼吸置いて、続けた。
「神矢君は、どうして今日まで生きられたと思う? この二週間、彼はずっと土の中に埋まっていたのかな? それとも、君が裏山へ埋めた直後に、誰かが掘り返して彼をどこかに隠していたのかな。 それで二週間経った今日、彼をあの公園に運んだ。警察に発見してもらうためにね」
臨海の推理は、的を射ている気がした。俺とは大違いだ。
「でも、ここでいくつかの疑問が浮上する。まず、彼は二週間、ずっと気を失っていたか、だ。君は殴っただけだろう? それだけで、二週間も気を失っていると思うかい? 気絶したとしても、数時間、長くて数日程度のはずだ。
それと、彼を掘り返したのは一体誰だ。なんのために。どのようなメリットがあるのか。神矢君を二週間後に発見させたのには、どのような意味があるか。
最後に一つ。君は警察に誰かが通報した、というようなことを言っていたが、その考え方は悪くない。だけど、誰かが目撃し、それを警察へ通報したら、必ず裏山を捜索するはずだ。ニュースでは、裏山の捜索について一切、報道されていない」
そう言ってから、臨海は、まるで推理小説に出てくる探偵のような仕草をして、この不可解な事件について思案し始めた。
しばらくして、考えがまとまったのか、臨海は口を開いた。
「君が、気絶している神矢君を運んだのは何時ぐらいだった?」
「十時を過ぎていた気がする」
「十時ねぇ。その時間帯は、ほぼ何も見えない状態だ。ましてや、その神社の周辺は、人通りが少なく、街灯だってほとんどない。つまり、君は目撃されていない可能性が高い。仮にされていたとしても、暗くて何をしていたかは分からなかったはずだ。そうだとすると、当然、尾行もされていないことになる」
「それじゃぁ、通報はされていない、っていうことなのかよ」
「断言はできないが、おそらくね。僕がその場面の目撃者だったら、素通りすると思う」
臨海の言っていることには、説得力があった。こいつは天才なのかもしれないと、俺は思った。
そしてこいつは、俺が行った行動を全て知っている。まるで、事件の当事者みたいに。
臨海が、探偵に見えてきた。踊り場の時もそうだったが、こいつの発言などは、推理小説に出てくる探偵を彷彿とさせた。
そこで俺は、今抱いている疑問を、この際目の前にいる天才に聞いておこうと思った。
「それじゃぁ、どうしてあの刑事が裏山にいたんだ?」
「あの刑事?」
「ああ。俺この前、神矢の死体を確認しようとしてあの裏山に行ったんだよ。さすがに怖くて確認できなかったけど、帰ろうとした俺の前に、刑事だと名乗るやつが現れたんだ」
「詳しく聞かせてほしいな」
臨海が興味を示した。俺は、できる限りあの時の状況を思い出しながら、伝わるように話し始めた。
「あの刑事とは、偶然出会ったと思っていた。裏山に神主の猫が迷い込んで、それを探している時に、俺と偶然会った、って。けど、今考えるとおかしいんだ」
「どんな風に?」
「その刑事は、神矢の父親でこの事件の捜査指揮官だ、って言っていた」
「捜査指揮官は、基本的に動かないと思うけど」
「それについても、言っていた。今まで、指示される側だったから、体を動かしていないと落ち着かない、って」
「それで、君は、警察に通報があったと思ったわけだ」
「ああ」
「その刑事が、わざわざ神主の猫を探すために裏山へ入ったとは、僕も考えられない。おそらく、口実だったんだと思う。君と会ったのを、偶然だと見せかけるためのね。神社で、裏山を見張っていたその刑事は、君が裏山へ入っていくのを見た。君を尾行して、何かを突き止めようとしたんだろう。
それでは何故、あの刑事は裏山を見張っていたのか。事件のあった夜、誰かが、あの裏山に入っていく君を目撃して、警察に通報したとしか考えられない。だから、君は警察に通報があったと考えたのだろう?」
「ああ。でも、それじゃぁおかしんだよ」
「その通り。僕もさっき言ったように、そのような通報を受けた場合、必ず裏山を捜索するはずだ。見張るのは、合理的だとは思わえない。何故なら、それは時間の無駄だからだ。自分で死体を埋めた裏山に、わざわざ犯人が戻ってくるとは考えづらいからね」
どういうことなのだ。もう頭の中が混乱して、訳分かんねぇよ!
「もしかすると、その刑事は、君が裏山へ戻ってくることを知っていたのかもしれない」
「え?」
「僕の推理では、こうだ」
臨海は、俺の目を見て言った。
「個人的に、通報を受けたとすればどうだろう。捜査指揮官は、その通報を半信半疑で聞いていたに違いない。だが、貴重な情報だ。部下に、確証のない情報を与えることはできないと思ったその捜査指揮官は、時間の空いている時に、裏山へ行き、犯人が戻ってくることを信じて、見張っていた。そして、諦めかけていたその時、君が裏山へ入っていくところを、目撃した」
臨海のその推理が、間違っているとは思えなかった。どうして、そのような推理が思いつくのだろうか。俺と臨海の頭脳では、決定的に違うところが、いくつもあるということか。
「それじゃぁ、どんな通報を受けたんだよ」
「分かりやすいように、最初から説明するよ。これはあくまで、僕の推測だからね。
あの夜、君が歩いているところを見た人物は、君のことを怪しいと思った。怪しいと思った理由については、はっきりとは分からないけど、あの暗闇の中で、君のことを怪しいと思った人物はすごい勘の持ち主であることは確かだ。その人物は、君を尾行した。神矢君を担いで歩いている君を、はっきりとみたわけではないだろうけど、何かを背負っていたということは認識できていたと、僕は思う。それで、神社まで続く階段をばれないように上って、君が裏山へ入っていくところで、尾行を止めた。
怖くなったその人は、それからしばらく経って、その捜査指揮官さんに連絡をした。怪しい人が裏山へ入っていきましたよ、って。そして、またそいつはあの裏山へ戻ってきますよ、ってね。その人は、君があの裏山へまた戻ることを、見抜いていたわけだ。
その翌日に、公園で五人もの死体が発見されたんだ。しかも、怪しい人物が入っていった、という神社の裏山は、現場から近いところにある。事件と関係があると確信した捜査指揮官さんは、裏山を見張ることにした。通報した人物が言っていたように、犯人がまた戻ってくることを信じてね」
臨海の推理を聞いても、あまり納得はできなかった。仮に臨海の推理が当たっていたとしても、どうして通報した人物は、俺がまた戻ってくることを確信していた? 俺のことを怪しんで、尾行をしたということも、腑に落ちない。先ほど、臨海も言っていたように、普通の人ならば素通りするはずである。疑問点が、あまりにも多すぎた。
そんな俺を見て、臨海は軽く微笑んだ。
「さっきも言ったけど、これは僕の推測で、実際とは大きく異なっているはずだ。君の言ったことを、無理やり都合よく繋げているだけだからね。つまり、こじつけのような推測さ」
臨海は、俺の思っていることが分かるのか。
「こうして考えてみると、分からないことだらけだよね」
その言葉に、俺は頷いた。確かに、謎だらけだ。
「君が言う刑事が、裏山を見張っていた本当の理由とは、なんなのか。神矢君を移動させたのは、いったい誰なのか。神矢君は、何故意識不明の重態で見つかったのか。そして、あの五人は、誰によって殺されたのか」
臨海はオレンジ色の空を見上げて、続けた。
「まだ、材料が少なすぎるから、このようなめちゃくちゃな推理しか出来ない。僕も知りたいよ、この事件の真実を」
だが、俺はまるで臨海が全てを知っているかのように思えた。それほど、臨海の口調は自信に満ちていたのだ。
「俺を、警察へ連れて行くんだろう?」
臨海の話に聞き入っていたせいで、うっかり聞くのを忘れていた。これで俺は、普通の人生を送れなくなる。神矢を埋めた罪だけじゃなく、やってもいない罪も被せられる事になるだろう。
未成年で罪が軽くなるとはいえ、出所しても周りから人殺しのレッテルを貼られることになる。一人の親友を神社の裏山に埋め、五人の同級生を殺した十七歳の少年、というレッテルを。
そんな人生を送るぐらいなら、死んだほうがましだ。死ねばよかった。
でも、死ねない。臨海の言った通り、俺は絶対に死ねない。
「君は、警察に神矢君を埋めたことがばれるのを恐れて、自殺をしようと思ったんだね」
「ああ」
「安心してよ。僕は君を警察へは連れて行かない」
「え?」
意外だった。正義感の塊とばかり思っていた臨海が、俺を警察へ突き出さないなんて。
「君が捕まることなんてない。何せ、そんなに悪いことはしていないのだからね」
「どういうことだ?」
「君は、神矢君を殺すつもりなんてなかったんだろう? だったら、それは殺人じゃない。事故だ。神矢君を埋めようと思ったのも、あのグループの誰かに言われたからだろう」
全て事実だった。どうしてそこまで、臨海は知っている。こいつは、一体どこまで知っているのだろうか。
「僕は知っているよ。あの事件が、どのように起こったのか」
「どうして、そんなに分かるんだ?」
「僕が、天才だからかなぁ」
自分で言うかよ、普通。
「本当に悪いのは君じゃない。この事件には、黒幕が存在する」
「そうだけどさあ、もし神矢が目を覚ましたら、全ての罪を俺に被せると思う。あいつも、俺のことが憎いだろうから」
「神矢君の証言は、警察としても貴重だと思う。神矢君が、君に全ての罪を被せるような証言をした場合、いくら君が否認したとしても、任意同行を求められて、君が自白するまで取調べを続けると思うね」
そう言われて、俺はますます自殺したくなった。
「大丈夫だって。君が死ぬことなんて、ないんだよ」
臨海は、どうやら俺の心が見透かせるらしい。
「僕が君を守り抜いてみせるよ。警察からね」
臨海は、俺に手を差し伸べてきた。
差し出された手を、いろんな思いで俺は見つめた。臨海は、一体何を考えて、俺に手を差し伸べてきたのだろうか。
俺はその手を掴んで、立ち上がった。握っている手を離し、臨海の目を見た。決意に満ちた目を、していた。
「どういうことだよ?」
「言葉通りの意味だよ。僕が君を守る。君を、警察には絶対に渡さない」
鳥肌が立った。こんな台詞を、まさか言われるとは思ってもいなかった。
「正直に言う。俺は、お前を信用していない。そんな上手いこと言って、途中で俺を裏切るんだろう?」
「心外だなぁ。そんなことしないよ」
「じゃあ、なんで? どうして俺を守ろうとする? そんなことしたって、お前にメリットはないはずだ」
「この理由を知ったら、恐らく君は愕然とする」
真剣な顔つきで、臨海は言った。こいつの考えていることは、本当に分からない。
嫌な間だった。臨海が、その理由を話そうとしない。俺は、この空気が耐えられなかった。
「そんな怖い顔しないでよ。大した理由じゃない」
真剣な顔つきから一変、笑顔になった。
「僕は、警察とどこまでやりあえるかを、試したいんだ。僕の頭脳が、警察に通用するかどうかをね」
「はあ?」
「大丈夫。手は絶対に抜かない。何故なら、僕が負けたら君も負ける。つまり、僕らは仲良く警察に捕まってしまうわけだ」
本気で言っているのか、こいつは。
「本気だよ」
おっと。なんでもお見通し、ってわけか。
「僕は必ず勝つ。勝って、この事件の黒幕の正体を暴く」
再度、臨海は俺に手を伸ばしてきた。臨海の手を握れば、俺も警察と戦うことになる。
臨海は、果たして俺を守ってくれるのだろうか。
この事件の黒幕を、突き止めてくれるのだろうか。
賭けてみる価値は、あるかもしれない。臨海の、天才的な頭脳に。
「よろしくな」
俺は、差し出された臨海の手を握った。臨海も、俺の手を握り返す。
冬だというのに、俺たちが立つ屋上には、心地よい風が吹いていた。




