第四章……刑事の正体
俺は刑事の目を見つめたまま、気づかれないよう後ずさりした。
「それで、聞きたいことがあるんだけど――」
もしかして……。
「神主さんの飼い猫が、この裏山に迷い込んだらしいんだが、見かけなかった?」
「え?」
一瞬、戸惑った。そんなこと? なんだ、心配して損したよ。
「いえ、見てないですけど」
俺はほっと、胸をなでおろした。やはり、あの刑事は何も気づいていない。
「それじゃぁ、これで失礼します」
しかし、またしても呼び止められた。
「何度もごめん。もう一つ、聞きたいことがあるんだ」
「なんでしょうか?」
露骨に迷惑そうな表情を、俺は浮かべてみた。しかし、そのような表情をされるのに慣れているのか、気にせず、刑事は続けた。
「その制服、零東のだよね?」
「ええ、まあ」
「学校は?」
「早退しました」
「そっか」
刑事は腕を組んで、何かを考え込んでいるような表情を浮かべ、しばらくしてから、口を開いた。
「もう少しだけ、付き合ってくれるかな」
「はあ」
一応頷いたが、本音は逃げ出したい気分だった。
「あのこと、君なら知っているよね」
「何のことですか?」
「君の通う高校の生徒が、事件を起こしたこと」
俺の口の中が、ものすごいスピードで乾いていくのを感じた。何を言っていいのかも判断できないぐらい、思考能力が著しく低下していった。
「一応、知っていますけど」
「ニュースでは名前を伏せられているが、容疑者として名前の挙がっている高校生を、生徒に公表してくれと、我々は零東の教職員に頼んだんだよ」
「どうしてですか?」
「下校中とか、君たちにいきなり事情徴収をしても、動揺されないようにするためと、何より君らの反応が見たかったからかな」
警察のやり方は、姑息で陰険だ。だから俺は、警察が嫌いだ。
「君らの反応で、ある程度のことを把握しておきたかった」
「神矢の情報を聞き出したりしたんですか」
「確かにしたね。内密にだけど」
そう言うと、刑事は街全体が見えるところに立ち、深呼吸をした。
「実は、こんなことをしている場合じゃないんだよね」
「こんなこと?」
「神主さんに猫探しを依頼されたって、さっき話しただろう。刑事じゃなくて、探偵に依頼してほしかったね」
「神矢の事件を、捜査しているのですか」
「まあ、そうだね」
刑事は俺のほうを向いて言った。
「俺は、この事件の捜査指揮官だ。たまたま近くを通りかかって、依頼されたものだから、たまったものじゃないよ」
そうだったのか。この人は、そんなに偉いのか。なのに、何故そのような人が、神主の依頼を受けたのだろうか。部下にでも、頼めばよかったのではないか。
そう思案していく内に、俺の頭の中であるいやな想像が浮かび上がった。
もしかしたら、この刑事は何かに感づいているのかもしれないと。
あの夜、俺が神矢を担いで、この裏山にやってきたところを、誰かに目撃されていたとしたら……。
その目撃した人物が、警察にその情報を流した。
その情報をたよりに、神社の裏山を見張っていたら、俺がやってきた。俺の後をつけて、そしてここまで辿り着いた。神主の猫を探していると、俺に適当な嘘をつき、納得させてから、さりげなく話を聞こうとしたのか。
いや、それはいくらなんでも飛躍しすぎか。
けど、ありえないことではない。ここはひとまず、強引にでも立ち去るか。
「まだ、いいかな?」
「あ……いや、急いでいるので、すみませんが本当に失礼します」
強引過ぎた、と俺は内心反省した。これじゃあ、何かを隠している感が、見え見えじゃないか。
「ごめん。すぐにすむから」
やはり帰してくれないか。
「もう一つ、質問があるんだ。いいね?」
どうせ、拒否しても聞くんでしょう。俺の返事を待たずに、刑事は言った。
「玲はどんなやつだった?」
玲? 誰のことだ。
「すいません。誰ですか?」
すると刑事は、意外そうな顔をした。
「君は、玲の親友じゃなかったのか?」
「え?」
親友……?
そこで思い出す。ああ、あいつの名前か。苗字でしか呼んだことがないから、なかなか思い出せなかったよ。
でも、どうしてだ。どうしてこの刑事は、神矢のことを名前で呼んだのだ。
「不思議そうな顔をしているね」
刑事は、俺が抱いている疑問を見抜いていた。
「実は、俺の息子なんだよ」
この言葉が、俺に大きな衝撃を与えたということは、言うまでもない。驚きを隠しきれなかった。
「そうなんですか!」
久々に、大声を出した気がする。神矢とは、小学校から一緒だったけど、家に遊びにいくことはなかった。だから、両親の顔は知らないのだ。
そういえば、あいつ言っていたな。父親が刑事だって。すっかり忘れていた。
「そんなに驚いたかい?」
「ええ、まあ」
普通に頷いてしまった。
「捜査指揮官に選ばれたのも、それが関係しているのかもね」
「それって?」
「容疑者の父親だからね、俺は」
自虐的に、刑事は言った。
「普通なら、そんなやつを捜査指揮官になんか選ばない。私情を持ち込んで、捜査を撹乱する恐れがあるからね。でも、俺を信頼してくれる人が、推薦してくれたんだよ」
「そうだったんですか」
「選ばれたことに、多少戸惑いはしたものの、俺は全力でやることを決意した。俺を信頼してくれる、その人のためにね。だから、たとえこの事件の犯人が息子であっても、俺は一切躊躇わない。息子を逮捕する覚悟だって、ある」
俺は、刑事の言葉に胸をうたれた。感動した。けど、俺はその息子を殺してしまった。そう思うと、途端に罪悪感が俺の中を駆け巡る。
「本当は、本部で部下たちに指示をとばさないといけないんだけど、それだと駄目だと思うんだ。自分で動かなくちゃ、何も分からないし何を指示して良いかも、分からない。まあ、今まで指示されてきた側だから、じっとしていられないだけなんだけどね」
笑ってから、刑事は俺に言った。
「さて、本題に戻そうか」
そう言ってから、刑事はメモ帳とペンを取り出して、メモをとる準備をした。
「神矢から、学校生活のことを聞いていないんですか」
「ああ、全くね。だいぶ昔に妻と離婚して以来、玲とは疎遠関係になってしまったからね」
そんな過去があったのか。しかし、神矢はそのような素振りを、一切俺に見せなかった。それどころか、父親の職業を嬉しそうに話していた。本当は、父親ともっと、話がしたかったのではないか。過去に、一体どのようなことがあって、父親と疎遠関係になってしまったのか、俺には分からないが、神矢はきっと、父親と仲直りをしたかったはずだ。ただ、きっかけをつかむことが出来なかっただけで。
あくまで、俺の推測だが。
「でも、ちょっと待ってください」
「どうした?」
「俺のことを、どうして知っているんですか?」
一瞬、間があったものの、すぐさま神矢刑事は答えた。
「知っているよ。須藤大地君だろう。最初に見た時は、誰だか分からなかったけど」
「いや、誰に教えてもらったんですか」
「君の友達さ。神楽猛君」
あいつか。この刑事に、あんな情報を流したのは。あれほど、神矢とは関係ない、って言ったのに。
「少し前にね。下校中に、ちょっと付き合ってもらったんだ」
そのことについて、あいつは何も話していなかったじゃないか。
「おおっと。そんな顔しないでくれよ。秘密にしてくれ、って言ったのは、俺のほうだからさ」
秘密なら、俺には話さなかったほうが良いのではと言おうと思ったが、しかし、ここはあえて堪えた。
「俺の顔写真でも、見せてもらったのですか」
「ああ。携帯に保存されていた写真をね。参考までに」
さらりと言った。まさか、写真まで見せるとは。
「それで、神主さんの猫を探していたら、偶然君と出会った。本当に、偶然だよね」
果たして偶然なのか。
「玲は何も言ってくれなかったけど、君が玲の友達だったんだね」
「まあ……はい」
猛の時みたいに、否定はしなかった。しないほうがいいと、判断した。
「神楽君意外にも、話を聞いたけど、玲って苛められていたんだね」
その質問には、答えづらかった。その理由は、明々白々である。
「ごめんね。父親だって、打ち明けないほうがよかったね」
「すいません……」
「どうして君が謝るの? 悪いのは俺だ」
素直に頷けなくて、俺は困った。
「もうこの際、俺が玲の父親だということは、忘れてくれ。君の、本当の意見を聞かせてほしい」
急に刑事の顔つきが変わった。
「はあ……」
俺は戸惑いながらも、話すことを決めた。
「神矢は、あることをして苛められ始めました。確か、一年の二学期に入って、すぐだったと思います」
「君はその時、どうしたの?」
「え?」
「親友だったんでしょう?」
俺は言えなかった。刑事の顔を、まともに見られなくて、とっさに俯いた。
「ごめん。べつに責めているわけじゃないんだ。ただ、疑問に思っただけ。忘れて」
顔を上げて、俺は続けた。
「酷い苛めを受けていて、神矢も、あいつらのことが憎かったと思います。だから、あんな事件が起きたのだと思います」
「つまり、君も玲が犯人だと思っているのかい」
神矢の父親の前で頷きたくなかったが、しょうがなかった。自分の身を護るためだ。
「おそらく」
「そうか。貴重な意見、どうもありがとう」
そう言うと、メモ帳をしまって刑事は軽く頭を下げた。
「終わり……ですか?」
「うん。これ以上、時間をとっても迷惑そうだし」
確かに、このまま切り上げてくれたほうが、ありがたいのは確かだが、どこか腑に落ちない。俺は、ある質問をしてみようと思った。
「あの夜に、殺人現場を目撃した人がいるんでしょう?」
その質問に、神矢刑事は、答えようかどうか迷っている表情を浮かべたが、しばらくしてから言った。
「ああ。君らの高校の生徒からだった」
「神矢が犯人だと、そいつは言ったんですか?」
「いや、そんなにはっきりとは言わなかったが、心当たりはある、って言っていた。死体の身元を発表した直後に、電話がかかってきてね。身元が全て、玲を苛めていたグループと一致したから、もしかしたらと、思ったらしい」
「神矢が恨みを晴らすために、行った犯行だとお考えですか?」
「俺の推理では、玲はおそらくあの連中に呼び出されたのだと思う。そして、リンチをうけた。リンチを受けるであろうと予測していた玲は、あらかじめ護身用のナイフを懐に携えていた。そしてそのナイフで、あの五人を殺した」
その考え方は、妥当かもしれない。だけど、事件の当事者である俺からすれば、その推理は根本的に間違っていると言えた。
「けど、ここで一つの疑問を抱いた」
「なんですか?」
「どうして、リンチをしようと計画したのか」
確かにそれはある。俺も、あいつらから連絡を受けたときに、疑問に思った。何故、今なのか、あの時はそこまで深く考えなかったが、しかし今冷静に考えてみると、やはりおかしい。納得がいかない。
この場合、リンチ以外にも目的があったとか、そのようなケースもありえるのではないかと、推理小説の場合考えるが、現実はそんなに面白いものでもない。おそらく、ストレス発散とか、そのような理由からだろう。
「リンチだけが目的ではなかった、とか」
神矢刑事は、神妙な顔つきをして言った。推理小説の読みすぎだよ、この人。
「それはないと思いますよ」
「どうしてそのようなことが言える」
「高校生は、そこまで深く考えて行動はしないですよ。単なる気まぐれだと、僕は思います」
「現役が言うのだから、信用したほうがいいのかな」
刑事は、俺に向かって微笑んだ。どう対応すれば良いのか、多少戸惑ったが、とりあえず俺も微笑んだ。
「ごめんね。時間とらせちゃって。でも、事情徴収は、俺らにとって大切な業務だからさ」
「分かっています」
「それはありがたい」
そう言うと、刑事は俺に手を上げてから、その場を去った。案外喋ったなぁと、後になって思う。
「危なかったぁ」
本音を漏らしてしまった。後もう少しでばれるのではないかと、内心ひやひやしっぱなしだった。
あの人も、神矢のことを疑っているのか。辛いだろうな、息子を疑うのって。でも、このような状況を作ってしまったのは、この俺なんだ。
後悔している場合じゃない。こうなった以上、何が何でも俺が神矢を殺したという事実を、隠し通さなければならない。
この時、俺の中で新たな覚悟が生まれた。
絶対に、逃げ延びてやる。どんな手を使っても――。
俺は、堂々とした足取りで、山を下りて行った。