第一章……臨海という男
「いつまで寝ているんだ」
頭に鈍い衝撃が走り、一気に現実へと引き戻された。とりあえず助かった。これ以上、あいつの夢を見たくない。
いや、それより俺は今、何をしているところだったんだっけ。周りを見てみると、クラスのやつらが、俺に注目している。そうか、今は授業中か。
「余裕だな、須藤」
見上げると、数学の教師の滝田が丸めた教科書を片手に、俺の席の横に立っていた。そうか。その手に持っているやつで、俺を殴ったのか。
滝田は、かけている眼鏡を少し上にずらすと、口を開いた。
「このクラスで進級危ないの、お前ぐらいだぞ」
俺の知る限り、少なくとも他に数名はいる。俺に危機感を抱かせようとしているのなら、それは失敗だ。
「すいません」
とりあえず、謝った。反抗しても、仕方がない。謝って、事なきを得ようとした。
だが滝田は、そんな俺に、問題を解かせようとしてきた。
「教科書百二十六ページの問題。お前が答えろ」
悪夢を見たばかりなのに。何故、俺はこうもついていなんだ。
「分かりました」
言ってから、俺は机上の教科書を開き、百二十六ページを開こうとしたのだが――。
「あれ?」
百十ページしかない。
「おかしいな」
「それは世界史だろうが」
ようやく気づいた。今、俺が開いている教科書は数学ではなくて世界史だったということに。そういえば前の時間、世界史だったな。
「すいません」
慌てて机の中から、数学の教科書を取り出して、百二十六ページを開く。
「この問題ですか……」
問題に一通り目を通してはみたものの、いかんせん意味が理解できない。
問題を解けずに悩む俺を見て、滝田が言うことは大体予想がついていた。
「今年こそ、留年決定だな」
その台詞、前にも言われたなあと、心の中で呟く。
頭の悪い俺だけど、留年には絶対にならないという根拠のない自信があった。
必死で勉強すればいい。赤点さえとらなければ、この高校であったら進級はできるだろうと、俺は思っている。だって、私立だから。
私立は、こんな俺でも進級ができるようにしてくれるさ。だけど、こんな志の低い息子を、親はどう思っているのだろうか……考えないようにしよう。
「お、今日はもう終わりか」
チャイムが鳴った。同時に、教室にいる全員が机上にある教科書を一斉に机の中へとしまい、次の授業の教科書を取り出す。感心した。皆、真剣なんだな、って。
「須藤、気をつけろよ」
去り際に、滝田はそう声をかけてきた。なんで俺だけだよ。
「よう、大地」
俺の名前を呼び、後ろから近づいてきたのは猛だ。一年の時に同じクラスになってから、家も近所ということでよく喋る仲だ。
「どうだ、数学は? 分かるか?」
「理解できていると思うか? ほかの教科もまずいけど、数学が一番危ないな。滝田にも目をつけられているし、寝てばかりだし」
外見的にはチャラそうに見える猛だが、意外と勉強はできるのだ。スポーツもできるし、女子にも多少人気があるから、自分でも気づかぬ間に、俺の中で猛に対する嫉妬感が芽生えていた。けれど、憧れてもいる。友達だし、いつか俺も猛のような存在になりたい、って思っているのも事実だ。
「まあ、勉強の話はもういいや」
そう言うと、猛は近くにある椅子を自分の方に寄せてきて座った。
「お前、最近顔色がよくないけど、大丈夫か?」
「顔色?」
思わず、聞き返してしまった。
「そう思う?」
「ああ。俺は、顔を見ればそいつの体調がすぐ分かるのだ」
「ああ、そう」
「そうさ。お前は、何か悩み事でも抱えているな」
図星だった。しかし、俺は頷かない。無理に平静を装って、答えた。
「それは外れだよ。悩みなんてないぜ」
「進級のこととかは?」
それはあるかもしれないな。
「勉強の話はなしだろ」
「あ、そっか」
勉強の話をしている余裕なんて、今の俺には存在しない。学校へ来ることだって、躊躇っていたのだ。
しかし、周りには俺の様子が怪しいとういうことに気づかれたくない。自然体を保ち続けなければならない。
俺の未来のためにも――。
「ところでさ、今朝のニュース見た?」
話題の急変ぶりに、多少戸惑いはしたものの、俺は軽く頷いた。
「ああ、政界も大変だよな」
衆議院議員の汚職疑惑について、今朝見たニュースでやっていたことを思い出し、とっさに言った。しかし、こいつが話したいのは別の話題だろうということは、察知していた。
「じゃなくてさ」
やっぱり。
「神矢のことだよ」
「ああ、あいつか」
興味なさそうに俺は言った。
「そろそろ一週間だよ。あいつ、どこにいるのだろうな」
「さあ」
神矢のことは、もちろんニュースで見ていた。
神矢のことが、テレビでやっている度に俺は後悔の念に苛まれる。とっさに、チャンネルを変えることだって、しばしばあった。
「もしかして、死んじゃった、とか」
その通りだった。神矢は、すでに死んでいるのだ。俺に殺されたのだから。
「でも、いまだに信じられない」
「何が?」
「あれだよ。あの神矢が、あいつらを殺したことだよ」
「ああ」
今思い出したかのような表情を浮かべて、俺は気の抜けたような返事をした。
「そういえば、あったなぁ」
「忘れていたのか?」
「興味ないからな」
「お前だけだぜ、多分。興味ないの」
確かに、周りはいつもこの話題で盛り上がっている。同級生が殺人犯ということが、皆の話題性をかっているのか。
しかし、神矢は犯人じゃない。被害者だ。俺によって殺された被害者で、同級生五人を殺した容疑者ではない。
まあ、あいつが容疑者として挙がってくれたほうが、俺にとっては何より好都合だ。
「でも俺、神矢にはあいつらを殺せないと思う」
猛は言った。
「神矢を庇うのか?」
「そうじゃなくてさ、現実的に無理だよ」
「どうしてそう思う?」
一応、猛の話し相手をすることにした。乗り気ではないが。
「だって、あいつそんなに強くないし、殺すなんてこと……しかも、五人も」
「心配?」
「いや、別に心配なわけじゃないけど。それより、お前だって心配じゃないのかよ」
この展開はまずい。俺の触れられたくない過去の話を、こいつはしようとしている。
「小学校と中学校まで一緒で、ここにも一緒に来たんだろう」
「そうだけどさぁ」
「だったら、親友として心配なんじゃないかって」
「もう俺たちは、関係ないの」
そう。あいつは、もう俺の親友なんかじゃない。だから、あいつらの誘いを、俺は断らなかった。
俺は、あいつを殺したいほど憎んでいた――この表現は、さすがにオーバーかもしれないけど、そう思っていた時期もあった。
「関係ないの?」
「ああ」
「いつから」
「なんでそこまで言わなくちゃいけないんだよ」
多少語気を荒げて、俺は言った。猛のやつが、妙にしつこい。
「冷たいなぁ」
非難する目で、猛は俺を見た。
「なぁ、もう少し楽しい話をしようぜ」
この話題は、さすがにもう耐え切れない。一週間ずっと、この話ばかりしている。正直、限界だ。
「どうして?」
どうやら猛には、神矢の話以外するつもりはないらしい。
「あのなぁ、神矢の話ばかりしていて、楽しいか?」
「俺はね。お前は、そうでもないみたいな顔しているぜ」
「その通りだよ」
俺は今、精神的にも肉体的にも疲れ果てているんだ。いつ警察が俺に辿り着くのか、心配で夜も眠れない日が多い。眠れたら眠れたで、あいつの悪夢を見る。そんな日々が続く中、俺は学校へ行って、いつも通り授業を受け、休み時間になったら猛がこっちにやってきて、神矢の話しばかりをして……もう、うんざりだ。
「なあ、今頃だけどさぁ……」
さっきと声のトーンが少し違うぞ。探るような口調であった。
「お前、様子がおかしいぞ」
いよいよ核心に触れたな。やはり、俺は少し様子がおかしいらしい。自覚症状はあったが、端から見ても様子がおかしいと言われれば、それはもう確定であった。
「そうか?」
「やっぱり、神矢か?」
え、と言って俺は猛の細長い目を見た。まるで、俺を同情するかのような目つきだった。こいつは、何か勘違いをしている。
「かわいそうにな」
「何が」
「仲良かったのに、そいつが殺人犯になってしまって、悲しいだろう?」
こいつは、何も分かっていない。
「俺は、もうあいつとは縁を切った」
「縁を?」
「そう。お前も同じクラスだったから、覚えているだろう?」
「何だっけ?」
とぼけているのか、それとも本当に思い出せないのか。はっきりしないなあ。仕方ないので、説明してやる。
「高一の二学期になって、最初の頃だった気がする。まだその頃は、あいつとも仲がよかったよ」
ここまで言えば思い出すと思いきや、まだぴんときていない様子だ。何でもできる万能なやつだが、記憶力は乏しいということが、今日分かった。
しょうがないなあ。俺は、渋々続きを話す。
「また楽しい日々が続く、って思っていたんだけどなあ」
「思っていた?」
「あいつが、俺の秘密をばらしたんだよ」
「秘密?」
ここで、ようやく思い出したようだった。両手を合わせて、納得したような表情を浮かべる。
「ああ、あれか」
「ああ。あれだよ」
俺は頷いてから、あの日のことを思い出していた。
俺が、神矢のことを憎むきっかけを生んだ日――。
「あの日から、あいつが苛められるようになったのか」
「そうだったな」
「でも、どうしてだ?」
「何が?」
「どうして、周りのやつが苛めて、お前は手を出さなかった」
「それは、覚えているんだな」
確かに、俺はあいつに直接何かをしたわけではない。暴力をふるったり、あいつの机に落書きをしたりとか、そのようなことはしなかった。
俺は、あいつを無視し続けただけだった。
「端から見ていても、酷かったな」
「確かに」
「まるで他人事だな」
「他人事だよ」
俺としては、もうあいつの存在自体を記憶から抹消したかった。しかし、猛がそれを許さない。神矢の話ばかりをして、あいつの名前が出るたびに、あの夜のことを思い出す。人殺しは、皆こうなってしまうのか。俺だけじゃないのかな。
「なあ。どうしても思い出せないことが、一つあるんだけれど」
唐突に、猛が切り出した。
「今度はなんだよ?」
「お前の秘密って、何だよ」
「は?」
「いやさ、どうしてもそれだけが思い出せないんだよ。恥ずかしいことか? 悲しいことか?」
こいつはデリカシーの欠片もない。頭はいいのに。
「もうその話はいいだろう」
「よくないよ。それだけは、どうしても答えてほしい。お前の秘密を神矢がばらしたことで、周りのやつが神矢のことを苛めだしたんだろう。ということは、相当な秘密、ということになるじゃん」
俺は、黙っていた。答えるつもりなど毛頭ない。あんな過去を、もう二度と振り返りたくはないんだ。
「聞いていいか?」
質問に質問で返せば、俺は答えなくてもよくなる。我ながら、ナイスアイディアだ。
「なんだよ。俺の質問に答えろよ」
「正直に答えてくれ」
猛を無視して、俺は続けた。
「お前も、神矢のことが憎いか?」
数秒、考えた結果、猛は首を横にふった。
「ないよ。だって、あいつを嫌う理由がないからな」
「そうか」
椅子の背もたれに体を預けて、俺は深いため息をついた。
「あいつが苛められる原因を作ったのは、俺なのかもなぁ」
「え?」
猛は、不意をつかれたような表情を浮かべ、俺を見た。
「どういうことだよ」
俺の返答を待っているようだったが、それ以上話すつもりはなどなかった。少々喋りすぎたと、反省しているぐらいだ。
「あまり追求しないでくれ」
「だって、あいつが苛められたのは自業自得だろう? どうして、お前が原因なんだよ」
「口が滑った」
「そんな下手な言い訳、小学生でもしないよ」
なんと言われようと、俺はこれ以上喋らない。
いいタイミングでチャイムが鳴った。不満げな表情を浮かべ、猛は自分の机へと戻っていく。それを見届けてから、俺は机の横に置いてあったカバンを肩にかけて、教室から出て行こうとした。
「あ、おい!」
どうやら、猛が俺を呼び止めているようだった。が、俺は完全無視。今日は、早退する。もしかすると、明日から学校に来ないかもしれない。
「お、どうした?」
国語を担当している坂原に声をかけられた。次の授業は、確か国語だったかな。ということは、坂原はうちのクラスに行く途中だったのか。
「いえ、ちょっと体調が悪くて」
「そうか。保健室には行ったのか?」
「はい」
嘘をついて、ここは逃れよう。幸い、坂原は他の教師と違って、しつこく詮索したりはしない。ただ面倒くさいだけかもしれないけど。
「担任には報告したのか?」
「いえ、会えなかったので」
「そうか。じゃあ、俺から言っておこうか?」
「いえ、結構です。そんなに、たいしたことではないので」
「そうか。お大事に」
そういうと、坂原は歩いて行った。
軽くガッツポーズをして、俺は昇降口へと向かう。
「おや、早退かい?」
階段を下りている途中、踊り場で同じクラスのやつと出会った。ほとんど学校に姿を見せないものだから、最初は誰だか分からなかった。
「今日は来たのか」
皮肉をこめたつもりだったが、そいつは気にもせずに微笑んだ。
「たまには、いいかもって思ったんだ」
俺はため息をついて、そいつの横を通り過ぎようとした。が、呼び止められる。
「次の授業ってなんだっけ?」
「さあ」
俺は、こいつが嫌いだ。ほとんど学校に来ないし、来たらきたで遅刻するし、それでも先生に好かれているのが気に入らない。まあ、しょうがないか。学年トップだし。
容姿端麗で、頭脳明晰、スポーツ万能。まるで、理想を具現化したようなやつだった。こんなやつもいるんだなと、本気で思ったことも何度かある。世の中は不公平だ。
「そっか。それじゃぁ、当ててあげようか?」
「は?」
「次の教科が、何なのかをさ」
こいつは、何を言い出すんだ。
「お前、本当は知っているんじゃないのか?」
「知らないよ。だけど、簡単な問題だ」
「問題だと?」
「そう。問題」
笑みを浮かべて、そいつは言った。その人懐っこそうな笑みと、余裕なところが、気に食わなかった。
「じゃぁ、答えてみろよ」
「任せてよ」
いつの間にか、相手のペースになっていることに気づいた俺だったが、ここまできたら答えてもらうしかないだろうと思い、余計な口出しはしなかった。
「僕の答えはね……国語かな?」
正解だった。こんなにも簡単に当てられるなんて。やっぱり、こいつは答えをあらかじめ知っていたんだな。
「答え、本当は知っていたんだろう?」
「知らないよ。さっきも言ったでしょ」
「だけど、あまりにも簡単に答えたじゃないか」
「そう思った?」
「ああ」
「もう一度言うけど、僕が答えを知っているわけないんだ」
「どうしてだよ」
「思い出してごらんよ。うちの高校のシステム」
「は?」
「うちの高校は教科がとにかく多い。一年と二年は、科目選択がないから、全部やらなくちゃいけないんだ」
「だから?」
「覚えていないの? 入学式の日に言われたじゃないか」
「何を?」
入学式まで記憶を遡ってみるが、何も思い出せない。
「じゃあ、教えてあげるよ。うちの高校は、一ヶ月に一回、時間割変更があるじゃないか」
「あ」
思い出した。時間割が変更するんだった。
「僕の記憶では、三日前に時間割変更があったはず。三日前は、僕はいなかった。この一ヶ月、欠席していたからね」
「すっかり忘れていた」
「おそらく時間割変更なんて、君らの中では、気にもとめることではなかったんだろうね」
言うとおりだった。いちち時間割が変更するものだから、ほとんどのやつが全教科を、ロッカーなどに保管している。もちろん、この俺も。
「だから、僕が答えを知っているはずがないんだよ」
こいつの言っていることに、徐々に説得力が沸いてきた。しかし、それならどうして分かったんだろう。
「じゃあ、なんで次の教科が国語だってことが分かったんだ」
「そんなの簡単だよ。さっき先生を見かけたんだ」
「先生?」
「うん。僕が早退とかするときに、何かと助けてくれた優しい先生だよ」
「それじゃぁ、お前はあの先生を見かけたから、俺らの科目が国語だって分かったのか」
「確かに、あの先生が国語の教師だっていうことは知っていた」
「だから、あんなに自信満々だったのか」
もう少し、すごい推理を期待していた。推理小説に出てくる探偵さながらの推理を披露してくれるのかと、期待感を募らせていた。驚かせてほしかったが、所詮高校生、ということか。期待する俺も、どうかと思うが。
「けど、それだけじゃぁ、僕らのクラスが国語だということは分からないと思うなあ」
「は?」
「だって、僕らのクラスがある四階には、教室があと五つもあるじゃないか」
確かに。四階に、俺ら二年生のクラスは二つ。三年も二つで、一年は一つだ。ずいぶんと無茶苦茶な配置ではあるが、半年も経つとさすがに定着してしまっていた。
そこで俺は、はっとした。そうか。これじゃあ、どこのクラスが国語の授業であるか、分からないのか。
「分かった?」
「ああ。あの教師は、俺の記憶が正しければ、二年と三年を受け持っていたはず」
正確に言うと、俺ら三組と、隣にある四組。三年では、同じ階にある四組と五組だ。つまり、四つのクラスのどれかで、授業を行うということになる。
「適当に僕が答えても、確率は四分の一。外す可能性は非常に高い」
「でも、お前は当てた」
「そう」
満足げな表情を浮かべて、そいつは言った。
「僕は、適当に言ったわけじゃない。ちゃんとした、根拠があった」
「根拠?」
「そうだよ。非常に簡単な考え方だけど、この高校について知らない人が考えたら、一生答えを導き出すことは出来ない」
「とりあえず話してみろよ」
もったいぶるそいつに、俺は苛立った口調で言った。
「先生を見かける前に、ある集団が僕とすれ違った」
「集団?」
なんか変な言い方をするなぁ、こいつは。
「うん。四十人はいたかな。つまり、一クラス分の生徒だね」
「それがどうしたんだよ」
「僕がその集団とすれ違ったのは三階だった。上から降りてきたんだ。ということは必然的に、四階に教室があるクラスの人たちだということが分かる」
「そうだけど、何が分かるんだ?」
「君は僕よりも学校に来ているのに、学校のシステムについて何も知らないんだね」
完全に、馬鹿にされている。見下しているような目つきを、そいつはしていた。なんか気に食わない。
「その時点で、選択肢は三つに絞られる」
指を三本立てて、そいつはさらに笑みを浮かべた。
「まず、三年は選択科目がいくつもあり、次の授業が移動教室であったとしても、それぞれ選択している教科が違うから、あんなに集団では行動しない。各々、自分の科目の教室へと向かうはずだからね。
一年は移動教室がないし、もともとあの先生は一年を教えていないから、必然的に二年のクラスに絞られるわけだ。そしてあの人たちが、ブレザーの胸のところにつけていたバッジには、四という数字が掘り込まれていた。これで、四組は選択肢から消えるわけだ」
「なるほどな」
俺としたことが、普通に感心してしまった。でも、不思議と聞き入ってしまう。
「で、続きは?」
先が気になった俺は、催促した。
「それで残るのは、僕らのクラスと、三年の二クラスで、計三つだね。ここからは、簡単だよ。あの先生の持っている教科書に注目したんだ」
「教科書って?」
「僕は、この学校で扱っている全ての教科書の種類と、サイズが言える」
自慢げに言っているが、なんでわざわざそんなのを覚えたのかが、俺には理解できなかった。頭のいいやつは、頭の構造自体、俺みたいな凡人とは違うのだろうか。
「左手に教科書を持っていたよ。残念ながら、表紙に書いてある学年を表す数字を見ることはできなかったんだけど、僕はそこまでしなくても、どの学年の教科書か分かるんだ。さっきも言ったように、僕は全学年が使っている教科書を全て知っている。そこで僕は、遠目から色を見たんだ。
一年が使っている国語の教科書は赤で、二年は黄色、三年は黒だ。僕が見たのは黄色だった。つまり、僕ら二年の国語の教科書だったんだ。故に、僕らのクラス、ということになるよね」
一通り説明も終わり、そいつは俺を見て言った。
「べつに、これぐらいのことで僕のことを評価しなくてもいい。簡単すぎだし、この学校のことをよく知っている人物であれば、すぐに思いつくような考えだ。忘れてくれ」
そう言った後、俺の横をそいつは通り過ぎた。しかし、俺はまだ、そいつに用があった。いや、できた、といったほうが適当かもしれない。
「ちょっと待てよ」
「何?」
「聞かせてくれよ。お前の名前」
俺は、そいつの名前をいつの間にか忘れてしまっていた。顔は印象的だったから、かろうじて覚えていられたが、学校にほとんど来ないため、名前までは覚えていられなかった。
「僕は君の名前を知っているよ、須藤大地君」
名前を覚えてもらっていることに、少し感動的だったのは何故だろう。
「お前は?」
「僕は臨海。覚えといてね」
そういった後、臨海は階段を上って行った。臨海に対しての、俺の中の見方が、この数分でずいぶんと変わった気がする。
もちろん、良い意味で。