第十六章……強硬
自分の部屋に入った俺は、臨海に言われる前にスピーカーを取り出した。
「ほい」
スピーカーのコンセントを、立っている臨海に渡す。
「ありがとう」
言って、臨海はポケットから改造携帯を取り出し差込口に繋げた。
「それじゃあ、かけるよ」
これで二度目か。一度目の電話は、正直上手くいったと思う。いろんな情報を聞き出せたから。けど、今度はどうだろうか。
と、ここで俺は電話をかけようとしている臨海を止めた。
「なに?」
不満げな表情を浮かべて、臨海は俺を見る。
「ちょっと、待ってくれ。お前、また犯人のふりをするのか?」
「当然だろ」
「それじゃぁ、まずいだろ」
そう。非常にまずいのだ。
「何が?」
「お間も知っているだろう。警察は、強硬手段に出る、って」
「つまり君の心配していることは、警察が僕の電話で動き出す、ということかな」
「ああ。お前が電話したせいで、警察が犯人の住んでいるところへ押し入ると、矛盾が生じるだろう」
「確かにね。犯人からの電話のはずなのに、当の犯人は電話をかけていない。それじゃぁ、電話をかけていた人物は誰か、っていうことになるね」
「ああ」
「意外と鋭いじゃないか」
臨海も、そのことは承知みたいだった。
「安心してよ。用件だけ話したら、すぐに切るから。そんな長く電話で話したりなんかしないよ」
それでも、不安は消えない。
「おそらく、警察もまだ動いてはいない。だから大丈夫だよ。まだ余裕だ」
臨海が言うなら、大丈夫か。臨海の言葉で、俺は安心できた。
「静かにね」
俺は軽く頷いた。緊張が高まる。
スピーカーから、周りのざわつく音が聞こえてきた。繋がったのだ。
「かけてきましたね」
どういうことだ。この前は、スピーカーから女性の声がしたのに、いきなり神矢刑事の声がしてきた。
「ええ。ご無沙汰していました」
「あなたからの電話だと、思いましたよ。一般人がかけてくること
はまずない。だとしたら、あなた以外、なくなるわけです。あなたは、何らかの方法で捜査本部の電話番号を入手し、かけてきた、というわけです」
神矢刑事は、静かな口調で言った。
「あなたは、もう終わりですよ」
神矢刑事が不適に笑ったのを俺は感じ、身震いした。
「どうですかね」
「あなたがそんなに冷静でいられるのは、なにか理由でもあるのでしょうか?」
「理由、ですか?」
「あなたの正体は、もう我々は知っています。どこに住んでいるのかも。証拠は全て揃っているのに、まだ余裕なんですね」
「あなたの息子さんが、僕のことを庇ってくれているからですよ」
「残念ですが、強硬手段をとらせてもらいます」
これで警察が動き出すのか。臨海を見てみると、まだ電話を切る様子が感じられない。
「そうですか」
「あなたは、負けたことがないと、おっしゃいましたね」
そう言うと、スピーカーの向こうで神矢刑事の笑う声が聞こえた。
「それじゃぁ、今日はあなたが初めて敗北を味わう日となりますね」
「それはどうでしょう」
おい、もう電話を切れよ。このままじゃ、まずいって。
「今、もうあなたの家に向かっている途中ですよ」
なんだと!
いきなりそんなことを言われて、俺は困惑した。臨海は、まだ携帯の画面を耳に押し付けている。いい加減に、切れよ!
「あなたが言うゲームは、もうそろそろで終結します」
「まだ終わりませんよ」
臨海は言った。
「僕が――終わらせません」
そう言うと、電話を切った。ようやくか。これで一件落着、と。
「さあ、何しているの? 立って」
「もう少し、落ち着かせろよ。まだ、緊張がとれていないんだから」
「何を言っているんだい? これから、出かけるよ」
「どこに?」
インターホンが聞こえた。その音を聞いた臨海は、俺に切符を差し出した。
「これって……」
「そうだよ。今朝、買ったんだ」
行き先は、神矢の入院している病院がある街だ。
「どういうことだよ」
「急がなくちゃ」
「もしかして、神矢の病室に行くのか?」
「ああ」
臨海が、軽く頷いた。
「どうして?」
「すぐ分かるよ」
それ以上は、何も言ってくれなかった。
下で、母親の揉めている声が聞こえる。誰と揉めているんだ?
「ほら、のん気に座っている場合じゃないよ」
そう言うと、臨海は部屋の窓ガラスを開けた。
「何しているんだよ。寒いだろう」
「いいから。庭に飛び降りて」
え?
「早く!」
臨海が俺の腕を掴んで、強引に窓のほうへと連れてきた。
「ちょっと待てよ!」
俺は怒鳴った。怒鳴りたくもなるだろう。なんで、こんなスタントマンみたいなことをしなくちゃいけないんだ!
「捕まりたいのか!」
臨海が怒鳴ったのって、初めてな気がする。それほど、必死なのか。
いや、こいつは何に必死なのだ。俺には、さっぱり分からなかった。
「説明してくれよ」
「説明している暇はない」
「捕まるって、なんだよ!」
訳分からないことだらけだ。
「なら、手短に言うね」
「おう」
「逆探知させた」
「は?」
どういうことだよ。
「逆探知防止機能を、オフにしたんだ」
「お前……だから、俺の家にしたのか!」
「そういうわけじゃない。これは、作戦なんだ」
「なんの作戦だよ!」
「いいから、飛び降りて!」
いきなり飛び降りて、って言われても。できるわけがない。
「早くしないと、捕まっちゃう!」
「無理だよ、できない」
正直なところ、高いところは苦手なんだ。
「そんなことを言っている場合?」
「お前のせいで、こうなったんだろう!」
「だから、これは作戦なんだ!」
「作戦って……」
いや、逃げなくてもいいんじゃないか。
「警察は、犯人が分かっているんだろう。なら、逃げなくても――」
「いや、逃げるんだ。最悪の場合、僕らが犯人だと勘違いされることもある」
「え?」
「ナイフに付着していた指紋で、警察は犯人を特定した。けど、そのナイフの持ち主が犯行を否認したら、犯人のふりをしていた僕らが、捕まってしまう」
そうか。逃げなくちゃ、捕まってしまうのか。
「君が飛ばないなら、僕が先に飛び降りる」
そう言うと、臨海は躊躇することなく庭へ飛び降りた。無事、着地できたようだ。芝生がクッションになったおかげで、さほど痛くもなかったみたいだ。
「早く飛び降りるんだ!」
下で、臨海が叫んでいる。俺は激しく首を横にふった。階段を上る足音が、聞こえる。
庭に立って俺を見上げている臨海を見ながら、震えていた。捕まるのを選ぶか、飛び降りるのを選ぶか。
足音が、徐々に近づいてくるのが聞こえる。
「早く!」
臨海が叫んでいる。俺は、それでも一歩を踏み出すことができなかった。
「そこにいるのは分かっているんだ!」
野太い声がした。その次に、母さんの声が聞こえてきた。
「大地が、そんなことをうるはずありません! 人違いです!」
母さん。
母さんが、俺のことを必死で守ってくれている。急に、目頭が熱くなった。
「さあ、早く!」
臨海の言葉に、俺は頷いた。
母さん、ごめん。やっぱり俺は、逃げることを選ぶよ。
「うおぉー!」
雄叫びを上げながら、俺は飛び降りた。背中から落ちてしまったが、芝生がクッションになったおかげで、軽い衝撃を受けただけであった。しかし、やはり痛かった。綺麗に着地できていたら、格好よかったのにな。
「行こうか」
臨海は言って、塀をよじ登って向こう側へ渡った。俺も、後に続く。
「神矢の病院に行くんだな」
切符を握り締めて、俺は言った。
「そうだよ。決着をつけにね」
臨海の意図が、俺には読めなかった。
どうして、神矢の病院へ行く必要があるのか。
どのような方法で、俺たちが犯人でないと、証明するのか。
しかし、いくら考えても頭の悪い俺には、さっぱり理解できなかった。
だから、俺は臨海の言うことを従うしかないのだ。
臨海が走るから、俺も走る。目指すは、神矢の入院している病院だ。
俺たちは走った。
この戦いを終わらせるために――。