第十四章……悲劇的な過去
神矢は、俺のことを喋らなかった。
それどころか、あの五人は自分が殺したと、言い張っていた。
神矢刑事が現在、追っている犯人とは一体誰なのか。
臨海は、事件について、何故あんなにも詳しいのか。
俺には、分からないことだらけであった。
「神矢、まだ自分がやったって言い張っているらしいぜ」
猛が、俺の席に近づいて来て言った。
「そうみたいだな」
神矢が喋れるようになって、四日が経つ。この前の電話で分かったことだが、犯人は特定できているらしい。が、神矢が証言をしないため捜査は滞っているようだった。
「でも、おかしいよな」
そう。おかしすぎる。あいつが、自分が犯人だと言い張るメリットなんて、あるはずないのに。
「神矢は、意識不明の重態で見つかったわけだろ。その時点で、第三者の手が加えられていることになるよな」
そのことについても、おかしな点はあった。俺は、意識をなくしている神矢を神社の裏山に埋めたわけだ。その後、誰かが神矢を移動させ、事件が起こった二週間後に、現場の公園に放置した。
この事件の黒幕は、果たして誰なのだ。俺の知っているやつか? でも、うちの学校にそんなことをするやつなんて、いないと思うが。
「誰なんだろうな、犯人って」
警察はまだ、犯人が特定できたとは公表していない。そのことを知っているのは、俺と臨海ぐらいだ。あの改造携帯が、役に立った、ということである。
臨海といえば、病院へ行ったあの日から、あいつは学校に姿を見せない。携帯には何回か連絡をいれたのだけど、毎回留守電に切り替わる。
あいつは、今どこで何している。これから俺は、どうすればいい。
臨海がいなくちゃ何もできないな、俺って。
「お前、ちゃんと神矢の見舞いに行ったか?」
猛は、俺と神矢が仲直りしてほしいと願っているらしい。
「秘密ばらされたくらいで、根に持つなよ」
俺が怒鳴った日以来、猛は秘密を教えろ、などということは言わなくなった。しかし、俺はそれに限らず神矢の話自体をしてほしくないのだ。あいつの話をしているだけで、胸が苦しくなり、不快感が募る。
「神矢だって、わざとじゃないんだから」
そうかもしれない。あいつを、こんな風に追い込んだのは間違いなく俺だ。今になって、それが確信に変わる。自責の念に苛まれる。俺は、苦悩した。
「あいつには、悪いことした」
「え?」
「あいつは、何も悪くないのに」
何を言っているんだろう、俺は? 猛の前で、こんなこと言うものじゃない。
「どうした、大地?」
「べつに。ちょっと、疲れているのかもしれない」
実際、そうだった。あの日から、眠れない日が続いていた。精神的にも、肉体的にも追い詰められている俺を救ってくれるのは、やはりあいつしかいないのか。
「さっさと、犯人捕まれば良いのにな」
クラスの連中も、そう思っているはずである。神矢は、皆から苛めを受けていたわけではない。あのグループ以外にも苛めていたやつはいたが、それはあいつらが指示したせいであろう。あいつらに逆らえば、今度は自分がターゲットにされるかもしれない、という恐怖心により支配されて、仕方なく神矢を苛めていたのだ。
神矢を救いたい、と皆思っている。その証拠に、クラスの大半の連中は家の新聞を持参して、各々の考えてきた推理を繰り広げている。
しかしどれも、矛盾だらけの推理であった。
俺を救うのも、この事件を解決するのも、臨海にしかできない、と俺は思う。臨海が学校へ来ないことには、俺はどう動けばいいのか全く分からない。あいつの家も分からないしなぁ。
「席に着け」
守山がやってきた。皆それぞれ、自分の席に着く。
「今日も神矢のことで、一つ話がある」
守山も、皆と同じ意見だった。神矢を救いたいという一心で、警察からいくつかの情報を、毎日得ているようだった。神矢が、自分が犯人だと言い張っているという情報を、警察から仕入れてきたのは守山だ。マスコミにも公表されていない情報を、守山は警察から入手することが出来るのだから、すごい。
「神矢は、やはり精神的にも不安定な状態にあるらしい。事件のことが、よほどショックなのだろう。食事も、ほとんど摂っていないようだ」
所々から、同情するような声があがる。俺も、そんな気分になってきた。
「警察は、神矢を犯人だとは思っていない」
守山が声を張って言った。
「神矢は、自分がやったと言い張っているようだが、警察はそれを信じていない。根拠は、ちゃんとある。まず、自分でわざわざ意識不明の重態にする必要性がどこにあるのか、だ。そのような薬は存在するが、仮にその薬を服用したとしても、意識が目覚めて自分が犯人です、とは言わないはずだからだ」
言うとおりだった。
「ここだけの話なんだが、警察は犯人が特定できているようだ」
歓声が沸き起こった。びっくりするぜ。なにも、そこまで興奮しなくても。とりあえず、俺も歓声を挙げた。皆に、怪しまれないために。
「これはまだ非公表だから、漏らさないように」
守山が念を押すと、皆頷いていた。
「その犯人は……当然ながら、教えてもらえなかった」
残念そうに言う守山に、俺は言ってやりたかった。当然だよ!
守山以外にも、残念そうな表情を浮かべている者が、数人いる。常識的に考えて、教えてもらえるわけがないだろう。今の時点でも、警察は守山に喋りすぎだ。何故、ごく普通の教職員に、ここまで警察は話す? それが、不思議でしょうがない。
「でも、もうすぐ犯人は捕まるようだ」
「は?」
皆、俺に注目した。え? 俺、なんか言った?
「なんだ、須藤?」
守山も、俺のことを見ていた。そうか、無意識のうちに反応していたのか。気をつけよう。
「続けていいか?」
「どうぞ」
守山は続きを話し始めた。
「神矢は、犯人が自分だと言い張っているが、それはある人物を庇っているのではないか、と警察は解釈しているようだ」
ある人物?
「そしてその人物が、今回の事件の黒幕だと警察はにらんでいる」
そうなのかよ、神矢。お前は、誰を庇っているのだ?
神矢は、俺が止めをさして気絶させたのだ。神矢が、自分を犯人だと言い張るのは、俺を庇っていると思っていた。神矢を、俺は気絶させて埋めたのだからな。もし、自分をこんな目に遭わせ、裏山に埋めたのが俺だとあいつが証言したら、おそらく俺は容疑者の有力候補になるだろう。犯人らしき人物の指紋が付着しているナイフがあっても、指紋の人物が犯行を否認すれば、俺は捕まってしまう。
俺を庇っている、という考え方もできなくはないが、俺だけじゃなく真犯人も庇っている、ということはないだろうか。
真犯人の正体を知った上で、自分が犯人だと言い張っている、と解釈することも、できる。
「警察は、強硬手段にでるようだ」
いよいよか。いよいよ、犯人は捕まるのか。神矢が犯人だという証拠はない。神矢が、指紋の人物を庇っている可能性があるから、警察は神矢が証言するのを待たないで、捕まえに行くのか。
神矢が犯人を庇っているのだとしたら、無念だろうな。警察を、止めることができなかったのだから。
「近々、警察は犯人の自宅へ押し入るようだ。これで、この事件にも終止符が打たれる。神矢も、苦しみから解放される」
守山は、涙目になっていた。それほど、神矢のことを心配していたのか。守山に限らず、鼻を啜っているやつが、何人かいる。そんなに嬉しいのか。
捕まれば嬉しいが、泣くほどのことでもないと、俺は思う。しょうがないのかな。皆、感情移入しすぎちゃって、押さえ切れなかったのか。
でも、このまま犯人が捕まれば俺にとっては好都合だ。俺は、何の罪にも問われない。いや、最悪の場合傷害罪や、神矢を埋めたことで捕まるかもしれない。まあ、それぐらいですめば、いいほうだろう。やってもいない罪を被せられるよりかは、ましだ。
「神矢がまた、学校へ来られるように応援してあげよう」
守山が言った。賛同する声も、挙がっている。
「皆も気づいていると思うが、神矢は苛めを受けていた」
なんか、長くなりそうだなぁ。
「何人ものやつらが、平気で神矢に暴力を振るっていた。最低だよな。神矢が、何をしたっていうんだよ」
どうやら、守山は神矢が苛められた原因を、知らないらしい。多分、守山だけじゃなくほとんどのやつが、そのことについて知らないだろう。
「神矢も、辛い人生を送ってきたのだ。過去に、いろいろあったんだよ」
え? そんな話、聞いたことないぞ。少なくとも、あいつは辛いなんて表情を、俺に見せたことがない。
「十二年ぐらい前だったかな」
十二年……? なんか、聞き覚えのある数字だぞ。
「神矢からは口止めをされているんだが、俺は皆に神矢のことをもっとよく知ってもらおうと、話すんだ。黙っておいてくれよ」
俺は、必死で自分の記憶を遡っていた。どこかで、聞いたことがあるはずなんだ。
あ! どうして、思い出せなかったんだ。そうか。あの時だ。関係ないと思って、聞き逃していたんだ。
十二年前に、神矢家で起こった事件がきっかけで、神矢刑事と神矢は、疎遠関係になってしまった。臨海は、昨日改造携帯で電話した際、そのような内容のことを神矢刑事に言っていた。神社の裏山でも、神矢刑事はそれと似た内容のことを言っていた気がする。
だいぶ昔に妻と離婚して以来、玲とは疎遠関係になってしまったからね――。
確かに言っていた。まさか、こんなにもきれいに思い出せるとは。
と、これで繋がったわけだ。昨日、臨海が言っていたことと、神矢刑事の言っていたことが。
十二年前に事件が起こって、それ以来、息子とは疎遠関係になってしまった――その原因は、奥さんとの離婚なわけだ。
どうして、離婚することになってしまったのか。その時は、神矢はまだ五歳ぐらいだっただろう。
「神矢がまだ五歳の頃。それまでの家庭は、円満だったらしい。
たまの休みの日などは、ドライブやピクニックなどに出かけて、充実した日々を過ごしていたそうだ。実に、うらやましいなぁ」
誰もが憧れる、理想の家庭だな。うちとは、大違いだ。
「しかし、事件が起こった」
一気に、全員が緊張する。俺もだ。神矢が、どうして今まで俺にこのことを話さなかったのか。その理由が、明らかになろうとしていた。
「彼の父親には、結婚した直後から愛人がいた。その愛人と密会しているところを、神矢は母親と買い物をしていた時に、見たそうだ。
その時はまだ五歳だ。愛人、などという単語はもちろん知らない。その日は、家族でピクニックを予定していたそうなのだが、父親は急な仕事が入ってしまったそうで、中止したらしいのだが、何故かその父親はレストランで知らない女性と話している。神矢は、父親のもとへ行ったそうだ。母親もついていった」
神矢刑事に愛人がいたとは……。人は、見かけによらないな。
「奥さんは、その光景を見て驚愕したそうだ。何せ、信じていた旦那に裏切られたのだからな。奥さんは相当、ショックを受けたみたいだ」
今まで幸せだったのに、急にそれは失われた。ショックなのも無理はない。多分、俺が想像している以上に、ずっと苦しかったはずだ。
「俺も、妻が浮気していたらショックだ。気持ちは、分かる」
守山は結婚しているのか。初めて知った。クラスの連中も、首を傾げていた。お前が結婚していたことは、誰も知らないみたいだよ。
「そこからは、まさに波乱の連続だったらしい。奥さんはショックのあまりノイローゼに。その愛人にも夫がいて、二人は不倫関係にあったそうだ。離婚の話も、何度か出たが、父親は離婚を拒否していた。奥さんに飽きたわけじゃないが、刺激がほしかったと、神矢刑事は言っていたそうだ」
最低だな。そんな大人にだけは、なりたくないよ。
「離婚の話は、保留にされていたそうだが、神矢は父親のことが憎かったようだ。五歳でも、なんとなくの状況は掴めていたみたいだな」
神矢がお父さんのことを恨んでいた? この話を聞けば確かに納得はいくが、あいつは父親の職業について嬉しそうに話していた。今も、あいつは父親のことが憎いのか? どうして、未だ疎遠関係になっている?
「一時の感情で、神矢はある悲劇を巻き起こした」
教室が、ざわめき始めた。神矢は、一体何をやったというんだ。
「包丁で、父親のことを刺したんだよ」
その言葉で、何人かの女子が悲鳴を上げた。
嘘だろ。だって、神矢は五歳だったんだろう。どうしてそんな、幼稚園に通っているような子供が、包丁なんか持ち出して父親を刺すというんだ。
「幸い、傷は浅くてすんだらしい。警察沙汰にも、ならなかった」
その言葉に、俺は安堵した。他のやつも、同じ気持ちであろう。
でも、あいつは何を考えているんだ! たかだか不倫で、父親を刺すのか? 五歳児が、大人を刺せるというのか。
俺は想像した。きっと、父親は自分を責めていたのかもしれない。だから、包丁を持ち出し、自分を刺そうとしている息子を、あえて止めなかった。
でも、本当にそうなのか。
「それがきっかけで離婚して、神矢は憎き父親と二人暮らし。母親は、息子を引き取らなかったそうだ。恐怖故に、だろうか。
施設に預ける、という提案もあったそうだが、父親はそれを拒否した。精一杯、息子を立派に育てる、と宣言したそうだ。神矢も、黙って父親についていったそうだ。
しかし、家庭は上手くいかなかった。父親は、仕事で帰れない日々が続き、休みが出来て帰ってきても、息子とは一切会話をしない。完全に、疎遠関係となってしまった」
そこまで話すと、守山は深く息を吐き、俺たちにこう言った。
「神矢は苦しんでいる。父親と仲直りしたいのに、二人の間には見えない壁が存在する。だから、神矢は父親に構ってほしくて自分が犯人だと言い張っていると、俺は思っている。そんな神矢を、救ってやろうじゃないか」
再び、歓声が沸き起こった。守山って、こんなに熱い教師だったっけ?
「俺の話は以上だ」
涙ぐみながら、守山は教室を出て行った。完全に泣いている女子が、数人いる。なんていう空気にしてくれたんだよ、あいつは。まだ、朝だぞ。文句を言ってやりたい気持ちが半分と、神矢の過去が知れてよかったという気持ちが半分あった。
臨海はこのことを全て知っていたのか。だから、あんなことが言えたのか。
「大地、神矢と仲直りして来い」
いつの間にか、猛が俺の席の隣に立っていた。今の話で、お前も心を動かされたのかよ。
「またそれかよ」
「神矢は悪くないんだろ?」
俺は確かにそう言ったが、人に言われると多少腹が立った。
「そうだけどさぁ」
「何渋っているんだよ」
「でもなぁ」
「文句を言うな」
俺の机を叩いて、猛が言った。驚いて、俺は仰け反ってしまった。もう少しで、後ろに倒れるところだった。
「行くぞ、今日」
「は?」
「見つけたんだよ。神矢が入院している病院」
猛の目は、いつになく本気だ。
けど、行けない。臨海の判断を仰がないことには。
そうだ、あいつに連絡をいれよう。今度は繋がるかもしれない。
俺は携帯を取り出して、リダイヤル画面を表示し、電話をかけるために席を立った。
「おい、聞いているのかよ」
猛が怒っている。無視しているから、当然か。
すると、携帯の着信音が響いた。皆の目が、俺に向けられる。いっけね。マナーモードにするのを忘れていた。
誰だよ。臨海に電話をかけるところだったのに。面倒くさいなあ。
携帯の画面を見てみると、臨海、と表示されていた。
ちょうどかけようと思った時に、あいつからかかってきた。馬が合う、とでもいうのだろうか。
「もしもし」
「大地君かい? 今すぐ、あの公園へ来てくれ」
用件だけ言うと、臨海はすぐに切ってしまった。久しぶりに、話できたと思ったのに。
しょうがない。公園に行くか。