06
近づいてくる足音がした。
「哲也、お風呂よ」
予想どおり母だ。
「ごめん今日パス」
母の足音が遠ざかる。
返事をするため口だけ布団のなかから出していた。
今江はベッドのなかでもそもそと動き、枕の傍に置いておいたタオルを引き寄せて目にあてた。
夕方の出来事が夜になっても後を引いている。帰宅して二階の自室に飛び込んだのはいいけれど、以来ぽろぽろ情けないほど涙が出てくる。
朝、手紙を下駄箱のロッカーに入れて、昼に返事をきいて、夕方いっしょに下校して、もう別れたなんて。
(早い、早いよ)
春にみて手紙を出すまでに秋になった。しかも、書けなかった。本心は書けなかった。
おもいだすと今江の目から大粒の涙が零れた。
(おれの根性なし)
いつもどこか淋しそうだった眼鏡をかけた年下の男の背中。そうおもったら気になりだして、気になって気になって、目で追って、日向の興味がありそうなネットやパソコンの本を読んでみたりもした。
パソコンは嫌いじゃないが、読む本はミステリーとかSFとかそういうのが好きだ。
話しが合うともおもえない。若くして優秀さを証明した秀才に、凡人がどう付き合えばいいのだろう。そうはおもっても、できれば近づきたいというおもいはくすぶり、しょうこりもなく手紙を書き直した。
じつは一度だけ、今江は日向と口をきいたことがあった。夏休みに入るまえ。
今江はクラスメイトとバドミントンをして昼休みを過ごしていた。風の抵抗が少ない場所は、横手が茂みで、よく羽根が消えた。
「今江ー! 羽根あったかあ、大丈夫かー」
ラケットを片手にうろうろしていた今江は、白い羽根をつけたゴムをみつけると、右手にたかだかと掴みあげ、友達を笑わせようとわざとおどけて茂みから勢いよく飛び出した。
「あったよ~あったあった!」
「いたっ」
手で顔を、腕で背中を打った。相手にはけっこうな衝撃だったろう。
「うわ、ごめん」
「いや、大丈夫」
右手で眼鏡をなおすと、ちょっとひきつった笑顔を日向はみせた。
(ひゅうがっ)
心のなかで叫んだが、日向には届くはずもなく背中をみせて体育館のほうへ歩いていった。
「――今江?」
クラスメイトに名を呼ばれても、今江はしばらく自分にもどれなかった。高鳴る鼓動に、ああやっぱりなとおもったほどだ。
(おれって日向のこと好きなんだ……)
友達になってくださいではない。
友達でも嬉しかったけれど、ほんとうに書きたかったのはそうじゃなかった。
流れる涙をタオルでうけとめ、今江は息を吐いた。目元はこすって赤く、まぶたは熱く重い。
最初から望みなんてなかったはずだ。どうしてもあきらめきれなくて、友達と誤魔化して近づこうとした。
日向や椿や石井の裏側を知ったからといって、三人を嫌悪できるだろうか。
金がほしくて近づいたわけではないが、親しくなりたかったはずだ。自身の動機こそアンモラルということはわかっていたくせに、三人の価値観にはついていけなかった。個人でか複数でかの違いなのかもしれない。
(違う)
日向雅彦は、あんなことをしてはいけない。
自分とキスするのはよくて、他人とはしてはいけないといいたいだけのような気がして、今江の心は千切れた。
(苦し……)
ついに突っ伏して、今江は布団にもぐりこんだ。