05
最初に口をきいたのは石井だった。
「おー、見事な意見」
にこやかな顔で、腹のまえで両手をポンポンと叩く。
「まったく同感。珍しく雅彦の人をみる目が当たったなあ。でもさ、もったいなかったんじゃねーの」
吸殻の入ったゴミ箱を床におろして、椿はベッドに腰かけたままの日向をみた。
「……違うんだ。あれはマジキスだったんだ」
「え!?」
石井と椿は間抜けた顔で声をそろえた。
「ちょー待て、先輩とキスしたら追っ払う作戦開始だって打ち合わせしたよな」
目をむいて椿が日向の胸倉をつかむ。
「忘れてた」
無表情なまま日向が告げると、勢いのまま椿はベッドのうえを腹ばいで滑り、石井はベッドに横倒しとなった。
「急に……むしょうに抱きしめたくなってキスしたくなった」
「バカ! 早く追え!」
日向のつぶやきを耳にとめると、石井は怒鳴りつけた。日向は両手で頭を抱えている。
「雅彦!」
肩を揺さぶると、中学のときに垣間みた、日向の傷があらわとなっていた。
「だめだ。あんな誤解……こじれたらもう、直せないんだ……だめだよ」
石井の肉厚の大きな手でさえも、日向の傷口を塞いでやることはできなかった。こうならないために、石井と椿は放課後の時間を潰してまで待機していたというのに。
*
そびえたつマンションから地上に降りて、椿と石井は肩をならべて影を作っていた。日は落ち、外灯がともっている。
「あれほど売れなきゃよかった奴もいないな」
石井は溜息を夜空に吐いた。
まだ色ずく気配もみせない葉のむこうに、月が昇っていた。日中は暑いほどだが、夜になると涼しい。
「だな。おれたちがおもってる以上に本人がおもってるだろうけどな」
両手をポケットにつっこんで俯き加減で歩いていた椿は、にやりと顔をあげた。
「いやあしかし、保くんの悪役ぶりには負けたね。真実に迫ってた」
「何をおっしゃる椿くんの奥深い人間性からくる本物の迫力にはかないませんよ」
「いやいや、日頃している人でないかぎりああはできないね」
「いやいやご謙遜を……」
ふたりは今江を追っ払ったお互いの手柄を賞賛しあって皮肉に帰路をたどった。
*
物が壊れる音がするたび、心臓がとまるかと日向はおもった。
中学まで中古の二階建ての家に住んでいた。
家に居ればどこの場所にいっても声が届く。
「おまえまた!」
「いいじゃないちょっとくらい、こんなにたくさんあるんだから!」
「それは雅彦の金だ」
「だから何よッ」
足が竦んで、両親の間に割ってはいることもできなかった。
「なんだよケチ」
「おまえ金もってんだろう」
「買ってくんねーんならだれがおまえなんかと付き合うかよ」
「じゃーな、バーカ」
ごく普通に接していただけなのに、劇で突然変化する般若みたいに、人の態度が変わる。
おかしい、これはいったいどういうことだろう。
与えてもらったパソコンで、閃いたことを形にしただけなのに。
「雅彦、父さんと母さん別れるんだ。――おまえどうする?」
どうする? どうするって何を?
「もうやり直せないわ、めちゃくちゃよ、雅彦は母さんとくるわよね?」
やり直せない? 無理ってこと?
宣伝されたからだろうか。若くしてアイデアをもとにしてひと稼ぎした。その成功がいけなかったのだろうか。
(こんなことになるなんておもいもしなかった)
修復する力もないまま、壊れゆくものを傍観してきた。
ひとり残されたマンションの一室で、ベッドに腰掛け膝に今江の残していった制服の上着とネクタイを丁寧にたたんで乗せていた。今江はカバンも置いていった。
今日の朝、手紙をもらって、昼に話したばかりの相手だ。
ひとつ年上で、友達になってくださいと年下の日向にお願いしてきた。
気さくで柔らかい雰囲気だった。そのくせ、毅然とした態度もとれることをこの部屋でみることができた。おもいだせば痛快なほどだ。
(ぼくはなんでこうも)
制服姿で真夜中を迎えたまま、日向は口をおおった。
(浅はかでバカなんだろう)