04
辰臣は夜中、なかなか寝付けないことが多い。
それは読書をして思考が巡り、神経が高ぶったときなどによく起こる。
夜、物事を考えてはいけないのだ。
それはわかるのだが、考えることを止めることができない。目がさえ、ついパソコンのネットを繋げて夜の住人たちと語り合ったり、ゲームや漫画で気を散らそうとする。
とても未来が心配になるときがある。いまこのとき変革を断行しなくてはいったいどうなってしまうのか。
テレビや新聞、ネット配信のニュースなど、どんなメディアをみても気が滅入る。
美術部顧問の景山教諭に、このおもいを吐露したことがある。
「梶、ネガティブに巻き込まれるんやない。おまえだけにこの社会の未来を背負わせたりせえへん。おまえが憂鬱になる必要はない。――でもな、考えてくれてありがとうな」
額が後退し、白髪が太陽の塔みたいに広がっている。大柄で絵の具で汚れた白衣を着て、素足にサンダルをペッタンいわせて歩く景山は、社会のルールにどこか横着で、心地よく呼吸しているようにみえた。
だからこそ他のだれでもない景山にいったのだ。
生きているのが楽しそうな大人だったから。
辰臣は社会の流れがやりきれない。そして冴えない表情の大人を目にするのもやりきれない。
(そんなに大人て嫌なもんなんか。なんで自分で楽しいとおもうことせえへんねん。なんで楽しませてもらおうとばっかおもうねん。自分でしたらええやんけ。なんでやねん)
歴史、人種、建国、主義主張、戦争、法律、社会現象、考えることはいくつもある。
どれを掘り下げても深くなり、また連動している。包括的に把握し思考しなければ答えはでないだろう。あらゆる哲学と宗教、思想の本を漁り、先人が蓄積した知識を摂取したい。
辰臣は眠れなくなる。
焦り、苦悩し、激しく回転する頭脳を休めるためにゲームや漫画で現実逃避をし、また舞い戻ってくる。延々と考える。
*
朝、幼馴染の声で起こされる。
社会の始まり。生命の起動。
「たっくん起きや!」
片足で腰や背を蹴られ、揺すられる。
「う、うー……」
頭痛がする。あきらかに睡眠不足だ。シャッという音とともに光が部屋に降り注ぐ。
(まぶしー死ぬ)
顔をうつ伏せにして枕に埋める。
「たっくん、ほら、ほらほら」
強い力で掛け布団から引きずられ、腕を振るって抵抗するが、パジャマのズボンを脱がされ、シャツもはぎとられる。
「やめ、ろぉ……」
眠い、眠くて死んでしまう。起きて学校に行く価値などまったくない。
芳久は幼馴染のそんなおもいなど踏みにじり、『病気でないなら登校』という目的遂行のため、辰臣に靴下を履かせ、ワイシャツを着させる。
ひやっととした肌触りが癇に障る。薄目を開ければ、幼馴染の人好きする男前の顔。道に迷ったとき、尋ねたくなる人柄。
「よしくん、おれ今日ほんとあかんねん。午前だけ休みたいな」
情に訴えるべく、かわいくいってみる。
辰臣をベッドに無理矢理に座らせて、シャツのボタンをはめていた手が止まった。
黒い目がまっすぐに寝起きでだだをこねている幼馴染をみつめてくる。
「――そんな、寝たいんか」
「うん」
期待しておおきくうなずく。もしかして許してくれるのかな。
(もう一押しか?)
白い靴下に白いワイシャツのボタンを半分まで留め、ボクサーパンツを履いた姿でベッドに腰掛けている辰臣は、胸のまえで両手を組み、じっと幼馴染をみあげて、外では死んでもしないであろう、気を許した相手限定の振る舞いに出た。
「よしくん愛してます。だから眠らせてください。叶えてくれるなら何でもします」
なんだかふざけている間に目が覚めてきた。
ここで芳久に頭でも叩かれたら起きるとしようかとおもっていたら、両肩を強く掴まれ、おもわずのけぞった。
両目と口を開いて驚いていると、今度は頬を両手で挟まれ、ぬるりとしたものが唇を覆った。
目のまえが肌色でぼやける。
どこからこんな力がとおもうほど、首を固定され、覆われた唇をちょっとずつ吸われる。
「……っふ……う」
こもった声と、鼻から息が抜けていった。
その音を意識して、辰臣は自由な両手で芳久の腕を叩き、足で脛を蹴った。
だが決定的な威力を発揮したのは母の声だった。
「啓太、いいかげんにしなさい!」
芳久はびくっと跳ね上がり、大きく一歩後退した。
目を見開き頬は上気している。
おたがい唖然として目をみつめあった。
「よ、芳久……」
いくら起きないからってあれはない。いくらおれがふざけたからって、あの返しはないわ、そういおうとした。
そういおうとしたら、芳久はなにもいわずに開けたままだったドアから飛び出し、階段を駆け下りる激しい音がして、玄関が閉じられたことが二階にいてもわかった。
辰臣は人生で初めて、幼馴染に置いて行かれた。