第9話 音楽室・前編
※暴力表現があります。苦手なかたはご注意ください。
博は唇をゆがめた。
「……ちっくしょ……っ」
自分をひ弱だとおもったことはない。かなりすばしっこい幼少期だったし、背はたかくはならなかったが、だからといって華奢ではないし病弱でもない、中学、高校一年までつづけたサッカーのおかげで健康優良児だ。
だが、そんなことでは越えられない体格差というものがあることを博はしった。
抵抗するだけしたせいで、かえって赤いシャツは裂け、半裸の状態となって大木に組み伏せられている。
「鈴木くん、鈴木くん……」
首筋に熱にうかされたようなかすれた大木の声と、息がかかる。べたべたした濡れた感触が、頬や、首や、肩や胸へと上下する。暗い音楽室で、博は嫌悪に肌をあわだたせていた。
抵抗の弱まってきた博を、大木は体重でおさえつけながら片手を博のベルトにかけた。布ごしにうごめく指を感じたとたん、博はあらたな怒りに身にふるわせた。
(気色悪い気色悪い気色悪い! こ、こいつぶっ殺す……!)
「さ、さわんな……っ……!」
「鈴木くん、もういいかげんおとなしくして」
「嫌だ!」
ベルトがゆるみ、ホックがはずれ、チャックがさがる。大木の指が下着と肌のあいだから侵入してきた。博はおもわず目をとじた。するとそんな博をじっと見ていた大木は、のこった片手で力まかせに顎をつかみ、ゆがんでいる博の口に口をかさねた。
「――ん、んっ、んっ」
あっという間に、歯と歯のあいだにすべりこんできた舌は、逃げる博の舌を追いつめる。大木は両手で博の顎を固定し、なんども願ったとおりに博の舌を吸った。
博は大木の肩をなぐり、手をひっかき、どうにか顔をそむけようとする。口のまわりが濡れていく。息が自分のか相手のかわからない。
「――!」
大木が口をおさえて、上体をあげたすきに、博はするっとぬけだしてドアに走り寄ったつもだりだった。
だが実際は、足はいざというときいうことをきいてくれず、口をおさえたままの大木が博の足をひっかけると、体勢を保つこともできず左右によろめき、グランドピアノにぶつかった。
「そんなに……双子がいいの……?」
口のなかの血をはきすてて、大木が立ちあがる。目はギラギラと狂おしく博を見ている。
見つめられている博はなにをいわれたか、とっさに理解できなかった。それを理解しようともおもわず、口中のつばを床にはきすて、けがらわしいとでもいうように手の甲で口をぬぐった。
そんな博に目を細めた大木は、うれしそうに笑みをうかべた。
「ぼくは嫌でも、あのふたりならいいんだろう? きみは健康だし、負けず嫌いだからふたりとも相手できるんだろうね……。
ふたりを相手にしているきみを見てみたい気もするけど……どうせなら、ぼくだけの鈴木くんでいてほしいな……」
「――おい……」
理解できないまでも大木の口にしていることが、自分だけでなく伊良部兄弟のことまで侮辱してることはわかるので、博はピアノに手をつきながら、大木をにらんだ。
「いいね、威勢がついてきたね。三人で仲良く登下校するすがたを見ててわかったよ。あのふたりは、ぼくといっしょだ。
鈴木くんを自分のものにしたいっておもってる。手をだしたくて今か、今かって見てるってね」
博は目をまるくして大木を見た。大木はいよいよやさしそうにわらう。
「考えたこともなかった? 去年ぼくにいいよられたことがあるくせに、自分が男にそういう目で見られることもあるって学ばなかったわけ?
あのふたりおかしいよ。いくら幼馴染でもべたべたしすぎだよ。いかにもな呼びかただ。ひろくん……だっけ? 周囲に誇示しているんだよ、鈴木くんは自分たちのだって。自分たち三人は特別だってね」
「――お、おまえの頭がどうかしてるんだ。あ、あいつらはそんなんじゃない……っ」
「あのふたりは、きみにキスしたいし、髪や、頬をなでたいし、抱きしめたいっておもってるよ。鈴木くんを裸にして、女にするようなことをしたいんだよ」
「嘘だ! 嘘だ嘘だ嘘だ! おまえは嘘をいってる、いいかげんにしろよ!」
博は真っ赤になってかすれ声のまま怒鳴った。
(嘘だ、大木先輩は嘘をついてる。おれを動揺させようとしてるんだ)
あれだけ女性にもてるのに、あのふたりが、なにをわざわざ幼馴染の男を女性のかわりにしなくてはならないのか。
「かわいそうに、きみはぼく以上にあの双子を信頼して、心ゆるしてるんだね。――好きなんだ。あの双子が。あの絵みたいな兄弟が。
……それが、ぼくをどんなに苦しめたかわかるかい?
あきらめようとしたのに。きみを忘れようとしたのに」
大木は笑みを凍りつかせ、一歩まえにでた。
「きみが悪いんだ! あのふたりにあんな無防備にわらうからっ、あのふたりをきみが好きだから! ぼくにはゆるさないのに、あのふたりにはゆるすんだろう!? 綺麗だからか、かっこいいからか、おまえも女性とおなじだ! 見た目が良ければそれでほいほい足をひらくんだ。だったらぼくがからだだけでも欲しがったってなんの悪いことがあるっていうんだ!」
「だまれだまれだまれ!! おまえ何様のつもりでそんなことをいうんだ!? おれの恋人でもないくせにっ、おれはおまえともあいつらとも、だれとも男なんかと寝るつもりは一切ない!」
博は大木のはく言葉を耳にしたくなくて大声でわめいた。
床に押し倒されて、あちこちにキスされたのも屈辱だったが、いま口にされたことは、怒りのあまり頭に血がのぼり、ツキツキして痛いほどだった。
ピアノで己の体をささえながら、博は深い息をはいた。正面に立っている大木をにらみあげる。劣勢な状況におかれている人物とはおもえない、力のある目だった。
「――どけよ。おれはおまえなんて好きじゃないんだ。そっちが勝手に嫉妬しようがしったことかよ。
あいつらとおれがどうだろうと、おまえに関係ないんだ。二度とおれのまえにあらわれるな」
ぴしゃりと痛烈なセリフをあびせられて、大木は息がつまりそうな顔をして、からだを硬直させた。
おおきく息を吸うようにひらかれていた口はゆるゆると閉まり、ひとつの線となった端があがった。それは醜い笑みとなっていた。博はいいはなったのちの大木の変化を信じられないもののようにながめた。
大木のこめかみが脈打っている。
「それ、それだよ……きみは一年のなかで一番負けん気が強くて、怒ると平気で先輩にかみついてた。そのくせボールをけって無邪気にわらうんだ。……ぼくはそのギャップがたまらなく好きだったよ。
そんな強気な言葉を聞くとゾクゾクする……ああ、本当に鈴木くんなんだとおもって……」
博の強気が、大木の狂気に圧された瞬間だった。
それ以上さがりようのない状態で博は後ずさり、ピアノをつかんでいた手が怒りでなく恐怖でふるえた。
「――……っ」
くぐもった声にならない声をあげて、博はあっけなく左頬を殴られた。人形のように床にころがる。衝撃で頭のなかが真っ白になる。
頬の痛みが脳に伝達されるまでに大木がちかづき、有無をいわさない手で博の左肩をつかむみ、あおむけにすると、今度は両頬を往復で平手打ちした。
音楽室に、そとにもれない音が響く。
強烈な連打に、博は意識をとばしそうになる。
ハアハアと大木の荒い呼吸が聞こえる。
大木はなにかをつぶやいたようだが博には聞き取れなかった。目はチカチカし、そこらへんで爆竹をしているように感じた。
うしろにまわされた両手首が痛んで、目がさめるような気がした。そのまますぐからだをひっくりかえされる。からだの下になった両手がいよいよ痛い。痛いのは手だけではない。薄暗い視界のなかで、大木が自分の足元でせわしなくうごいている。応援合戦用にはいていたズボンが下着ごと脱がされていた。
両足をひろげて、そのあいだに大木がからだをわりこませ、博におおいかぶさった。博の乱れた髪を指先ですいてやると、大木は表情をかたまらせている博にふたたびキスをした。
「――好き、だよ、鈴木くん」
博は唖然としたまま唇を吸われつづけた。




