第7話 午前の部
結局、双子とは体育祭当日の朝になっても会えなかった。赤団団長がはりきって早朝練習を命じたからだ。
(ええい、そんなにがっかりするな博、すがたなら競技中に見れるし、体育祭が終れば、また一緒に登下校できるさ……たぶんな……)
第三十二回体育祭と書かれた看板がつるされている校門をくぐると、グラウンドにはすでに生徒がいそがしくうごきまわり、入退場のアーチがかかっていた。
曇りがちだが十分に晴れた秋日に、私立海藤学園の体育祭ははじまった。
博の出場種目は百メートルハードルと綱引きと、午後のスウェーデンリレーの三つで、午前中は前ニ種目と応援委員の仕事で忙殺されて、あわただしくすぎさった。
双子は午後の得点の高いリレーものに多くでるのか午前中は浩二が障害物競技に出場しただけだった。
もちろん各団の障壁をこえて熱い声援がおくられたことはいうまでもない。
浩二が跳び箱をとんだり、アミの下をくぐったり、平行棒をわたるたびに悲鳴がおきた。
黒いハチマキを形のよい頭にむすんで疾走する浩二は、短パンからのびた長い脚といい、なびく髪といい、生徒たち、先生たち、来賓たちの注目に値するかっこよさだった。ただ、声援のなかに双子の見分けがつかない者から「浩一くーん」という呼ぶ声がまじるのが、博にはいぶかしい。
(どうしてあれが浩一に見えるんだろう。ギャグか?)
三百メートルトラックをぐるっと一周して、浩二が赤団の席のまえを走る抜けるとき、一瞬、博と目があって笑った――気がした。
「きゃああっ、今わたしと目があった!」
「わたしわたし、わたしだって!」
「ちがう、わたし!」
前部のロープを乗り越えんばかりにのりだしていた女子たちが大騒ぎするそのうしろで、博は自分がドキドキしているのに戸惑っていた。
(なん……で、おれがドキドキしなくちゃならないんだよ……)
「おい、ヒロ」
「えっ」
よこをむくと、赤坂がじっと博を見ていた。
「どうかしたのか、顔が赤いけど」
「あ、赤いか? なんでもないんだけど……」
博があせってもごもごいうのにはとりあわず、赤坂は座りなおし、実はこの話しをしたかったのだと声を低めてきた。
「ヒロ、おまえ気づいてるか。ずっと大木先輩おまえのこと見てるぞ」
びくっと博の肩がゆれる。
「まさか」
「今もだよ。振り向くなよ、気づかれるから。
おまえたしか一年のときサッカー部とびだしたとかいってたけど、あのひと元サッカー部キャプテンだろ。……おまえが辞めた理由って……」
「終ったんだ」
低く強い調子で、博は赤坂のことばをさえぎった。
赤坂はつねにない博の剣幕に目を見開く。
「もう、終ったんだ。あのひとは関係ない。おれは練習についていけなくて辞めたんだ、それだけだよ」
「――おまえがそういうならそれでいいけど……先輩はそうおもってなさそうだし、気をつけたほうがいい……ひとりになるなよ」
見上げると、赤坂は前方をむいて怖い顔をしていた。博はうなずくことしかできなかった。
* *
黒の太字で二―五伊良部と書かれたゼッケンがふたつ並んでいる。
ゼッケンの持ち主たちは、六色のゼッケン群をぬって、ぐんぐんつきすすんでいく。
博の家にお泊りにいって以来まともに会っていないのはふたりとも同じで、我慢も午前の部で博のハードルを飛び越えるすがたを見て限界点をこえてしまった。
二―一鈴木の赤い太字のゼッケンをつけ、赤いハチマキをして軽々とハードルを越えていく博は、双子の美貌にうっとりとしている女生徒たちをすこしの間でもグランドにむけさせる魅力があった。
みるみる後続をひきはなす。すんなりのびた小麦色した手足を大きくうごかして、バネがはいっているかのようにジャンプして崩れたフォームをカバーする。
それは双子に小学生のころだれにも追いつけないほどすばしっこかった博を思い出させた。そのころ真っ黒に日焼けして、軽やかに走る博にだれもが声援をおくり、あこがれたものだった。
体操服のうえがめくれて肉のついてないわき腹が見えかくれする。白いテープを切ってゴールした博は、嬉しそうに笑いながら肩で息をして、係につれられて一番の旗のしたに座った。
(ひろし)
(ひろくん)
黒団の陣地で女子の熱い視線をうけながら、浮き上がって座るふたりは、同じ目をして博を見つめ、博を目で追いつづけた。
立ちあがって尻についた砂をはたきおとすすがたも、横の同じ団員と笑いあうすがたも、目を離すことができなかった。
(なぜ、あのすがたの横にぼくのすがたがないのか)
(なぜ、あの横で話しかけているのがぼくでないのか)
(もっと近くにいたい)
(もっと、もっと傍に)
そういうわけで双子は、弁当を一緒に食べたいといううごきを見せた女子たちに口を開かせないうちに昼休みになるやいなや、一組にかけこんでいった。
「鈴木……?」
ぽかんとした顔でふたりを見上げた博のクラスメイトは、博が赤坂とつれだってどこかへ消えたと丁寧におしえてくれた。
食堂にも屋上にもテラス、学校裏、わたり廊下、もとめるすがたはどこにもなかった。
「赤坂って一年からの友達だろ!?」
「ゲーム仲間だとひろくんはいってたけど、くっそ、どこにつれていったんだ」
昼も食べずにかけまわっていた双子は、黒団の委員につかまると背を押されるように教室にもどされた。
応援合戦は午後の部一番最初の種目であり、各団もっとも力をいれている種目なので昼休みから本番にむけての準備で大混乱になる。
教室にはいるなり用意していた双子おそろいの衣装を着せられ、メイクをされて、それを見た女子から爆発的な悲鳴がおきた。
ふたりは準備のすすむ自分たちに目をはしらせて、片眉をすこしあげた。
(人気者もつらいってこと?)
(付き合えるとこまでは付き合うさ)
その目の会話だけでおたがいを慰めあった。
双子が必死に自分をさがしていたこともしらず、博は赤坂と一緒に校外の公園で弁当をたべて、ファミレスでパフェを注文しておおいに楽しんでいた。
「そろそろ行かなきゃ、やばいかもな」
「赤団は三番目か、いい順番だな」
「双子は四番目だろ」
「ああ」
ふたりとも体操服のうえにジャージの上をひっかけ名前のついたゼッケンを隠している。
むかいに座った赤坂は、くるくるとメロンソーダをかき混ぜた。
「実際、あのふたりはすごいな。顔もからだも良くて、そのうえ頭も家もいい。悪いとこなんて女子にいわせれば、どちらも美しくって選べない、ことだけらしいし」
赤坂の視線を感じながら博は肩をすくめてみせただけだった。
カチンとスプーンがガラスにあたって音をたてる。
「でも、本当にすごいのはヒロかもな。あいつらヒロにメロメロじゃん」
「――なにいってんだよ、バカ」
おもわず目をむいて博は顔をあげる。
赤坂は頬杖をついて窓のそとを見ていた。双子を褒める赤坂自身も十分男前である。長めの茶髪とけだるそうなそんなすがたが彼には一番似合っていた。
「なぁんかおれは、みんながいってるように伊良部兄弟はできた人間とはおもえないけど、ヒロにたいして一喜一憂してるのは好きだな。あれこそあいつらの本性だろうって気がする。あれだけでなくて、なんかもっと怖いものとかもってそうで、あんまお近づきになりたくないけどな」
博はとっさにどう反応していいかわからなかった。
人当たりがよく、優しいと評判のふたり。
「……あいつら、ちっちゃいころからあの容姿だからいつも注目あびてたし、なんか、見てて痛々しいくらいのときもあったよ。
一緒に登校してて告白されたりするのすぐ横で見たりしてたら、あいつらなりに自分たちの役割っていうのを覚悟してんだなーっておもってた」
「ん? 見た目がいいことの覚悟か?」
「んーそうかな……。まわりが見るように、見えるようにするのはある程度しかたないっておもってそうってこと」
赤坂は低い声で笑った。
「ああ、そうだな。そういうとこはありそうだ――そろそろ行くか」
「おう」
秋とはいえまだまだ暑くて、博は店のそとにでて目をほそめた。練習をつんだ応援合戦がまもなくはじまる。