03
――けど……
「ジュース、いりませんか」
左後方からの声に不意打ちを食らって、今江は確かに十センチは座ったまま飛んだ。
テーブルに置かれたジュースを慌ててうけとり、お茶を飲むみたいに手を添えた。
「ま、誠にけっこうなグ、グレープフルーツで……」
顔が熱くなっているのがわかる。グラスに歯があたってカチカチ鳴った。一人掛けソファに腰をおろし、自分用のジュースをまえにしてじっとしていた日向は、ゆっくりと上体を倒し、肩を震わせだした。
「ど、どうして……急に、そんなに、緊張してるんです、か……」
絞り出すようにしていうと、ついにはソファの背に額を押しつけて笑いだした。
「いいだろ、笑うなっ」
動揺から解放された今江は、足元に転がっていた丸いぬいぐるみを日向に投げた。見事に頭にあたった。
*
家に招待した今江は、先輩という風を吹かすこともなく感情が素直で日向はすっかりくつろいだ気分になった。
今朝、下駄箱のロッカーに今江からの手紙が入っており、昼休みに会い、放課後こうしている。
(そうだよ、知り合ったの今日だよ)
忘れそうになるのはどうしてだろう。
小柄な今江は身振り手振りをしながら話す。お互いの共通点を探し、違いを楽しむ。
「そういや、パソコン類がみえないけど?」
「いちばん奥の部屋に」
「みたいなあ」
止める間もなく今江は立ちあがり、さっさとベッド脇にある奥のドアへ進んで行く。
「わ、待って!」
日向はあわててソファを立った。勢いで今江の腰をつかみ、腕をうしろから引き寄せた。小柄な今江はあっけなくバランスを崩す。どすんと胸にぶつかってくる。
密着した瞬間、日向のなかでなにかが沸き起こった。風が通り抜けたような感覚。
「……散らかしているので、今度で」
「う、うん、わかった」
今江の戸惑いまで伝わってきた体に回していた両手を、日向は万歳して離した。
「ごめんなさい」
「いや……こちらこそ」
悪感情はないのにぎくしゃくして、日向はずれた眼鏡をなおすふりしてうつむいた。硬い空気は苦手だ。どう柔らかくするか……
「わ、すごい量の本」
日向の愁眉をひらく今江の声。
「何でも貸しますよ」
「え、いいのか」
奥のドアとベッドを挟んで対になっている壁一面の本棚には、蔵書が収まっている。ふたりは引き寄せられるように棚に近づいた。
「先輩は、さっきミステリーとSFが好きだって」
「うん、そう。あ、これ読みたかったやつだ」
人差し指で、今江が文庫の背表紙をつつく。海外SFの古典的名作だ。日向は嬉しくなって、いちばん高い列に収納している本に手を伸ばした。
「ほかにもこれが……」
SF冒険ファンタジーとして特異な地位を獲得している名作のひとつ。ぜひ今江の感想をききたくなった。自分と合うところ、また違うところはどこだろう。
引き抜いた拍子に、今江の肩にぶつかった。
「あ、すみません」
「大丈夫だよ」
振り向いたとき、今江は日向をみあげて微笑んでいた。
日向はふたたび風を感じ、今度は地面が揺れた。くにゃっとなった気がした。手から力が抜けて名作を落とし、空いた手は今江を抱きしめていた。
うえからおおいかぶさるようにして唇を奪った。
今江は友達になりたいと接触してきたのであって、けっしてこんなことは望んでなかっただろう。しかし今江は日向を突き飛ばすこともなく、ふたりは背に手を回し合って、吸い合うこともなく、ただ唇をくっつけた。
陶然とした境地のなかで、日向はドアが開く音、そして耳慣れたふたりの声を聞いた。




