第5話 お泊りしよう!
双子が転入してきて一ヶ月がまたたくまに過ぎ、体育祭の準備にいそがしくなってきた週末だった。
三人で下校中、スーパーに寄った博は、お弁当コーナーをのぞきながら「今日はおれ、ひとりなんだ」とつぶやいた。
「泊まりに行っていいですか?」
「ぼくたちが料理をつくりますよ」
「え、おまえらつくれるのか!?」
それで決まりだった。
博への欲望を自覚してから、おたがいを出し抜こうと競い合ってきたふたりは、牽制しあうあまり何もできずに、ここまできた。
ふたりは家に帰ると、初音に声をかけたあとラフな服装に着替えて、博の家にむかった。持参したのはお泊まりセットにプラスして、お揃いのエプロン。それをつけた双子の姿に、おなじく制服をぬいでトレーナーにジーンズ姿の博は遠慮なく笑った。
「似合ってるぞふたりとも」
学園のアイドルたちは苦笑をうかべた。おさえた色のシンプルで機能的なエプロンはフランス製だ。せめてお揃いでなかったら良いのだが、おたがいこの形と色に惚れて、どっちも譲らなかったのだから仕方がない。
「笑わないでください」
「そんなにおかしいですか?」
鈴木家の狭い台所で、長身のふたりは器用にうごきまわった。スーパーの袋から相方が材料をだすと、すかさず片一方がそれをうけとり水で洗う、そして材料を出していたほうが、今度は洗ったものを切る。そして洗ったほうは、コンロに火をつけ……。
たがいに合図しあっているわけでもなく、暗黙のうちに料理はすすめられていく。それは流れるようなスマートさだった。
ほけっとテーブルに頬杖ついて、見慣れた我家の台所で展開される、その絵になるさまに見入っていた博は、いくぶんあわて気味に声をだした。
「おれ、なんか手伝うことある?」
「それじゃ、このニンジンの皮をむいてください」
「おう」
浩二からニンジンと、皮むき器をうけとり、博は、おれだって役に立つとばかりに皮をむきだした。慣れない手つきで、意識を集中している博は気づかなかったが、双子はそんな博にしばし手元の食材をわすれて見入っていた。
エプロンなら、おなじ好みで妥協しあっても、おたがいの手に入る。
でも、鈴木博はだたひとりしか存在しない。
「どひゃ~うまーい! おまえらに料理つくらせたなんて、学校の女子に知れたら半殺しの目にあうとおもってたけど、もう、半殺しになってもいいなっ」
三人で囲んでいるテーブルの上には、かつて鈴木家ではのぼったことのない料理の大博覧会となっていた。
美味い美味いとよろこぶ博に、腕をふるった双子の頬も、自然とゆるむ。
「そんなによろこんでもらえるなら、もっと早くつくってあげるんでしたね」
「ぼくたち、オーストラリアに移ってから、他にも転々として、ふたりで家事しなくちゃいけないときがあって、そのとき覚えたんです。いつもしてくれるひとがいたんですが、やってみるとなかなか楽しくて」
「ええ、だんだん凝りだすようになったんです」
「なんだ、そうだったのか。他にもずいぶん転々としたのか。だからオーストラリアに手紙だしても返事なかったんだな」
スープをすくって博がいう。
「結局六年間、音信不通だったもんな」
浩一と浩二の手が止まる。
「……すみませんひろくん、手紙の一通でも出そうとはおもっていたんですが」
「え? いいんだよ、海外暮らしは慣れるの大変だったんだろ」
気にしてないと、博は首をふり、ちょっとわらった。その顔を、いくぶん気ぜわしげに見た浩一は、重そうに口をひらいた。
「ちがうんです。返事がこない気がして、出せなかったんです……ずっと」
「な……なんだ、それ」
双子はおたがいを見る。浩二が今度は口をひらいた。
「おまえたちのことなんかわすれたって……返されるのが怖かったんですよ」
「それだけは、ぼくたち、耐えられそうになくて……」
唖然として博がむかい側に座るふたりを見ると、双子はそろって静かな目をしていた。
「なんだそりゃ……ふたりのこと、おれがわすれる? そんなの有り得ないだろ……そのくらいわかれよ……バカだな浩一も、浩二も」
「有り得ませんか……」
博の言葉をひろいあげると、ずいぶんと成長した博の天使たちは、昔にかえったような笑顔をみせた。
*
食後はゲームをしたり、音楽を聴いたりしながらひたすら三人で話しこみ、笑いあっているうちに気づくと夜も深くになっていた。
三人でいると当然のように隊長になる博の号令によって、そろそろ寝る時間ときまった。もちろんふたりに否はない。
鈴木家でいちばん大きな部屋に三列に布団をしいた。双子はエプロンの時とおなじようにデザインがいっしょのパジャマを身につけていたが、かろうじて色違いだった。
「でも、本当にふたりともシャワー浴びなくていいのか」
そういう博は、いまだ髪が濡れており、頬はほかほかと上気していた。
「ええ」
「すみません……」
双子は、片方がシャワーを浴びている間に、先に入ってもらったシャワーあがりの博に理性を失って、片方が襲うのを恐れていたのだった。この状況下でおたがいから目を離すことは自殺行為に等しかった。
博が中央で、右が浩一、左が浩二と並んで寝た。電気はすべて消さないと博が眠れないといったので、すべて消した。
「懐かしいな、こういうの。もう二度とないとおもってたのに」
暗闇のなか、博はうれしそうにいって、おやすみを告げた。
「おやすみ、ひろくん」
「おやすみなさい」
ぐっとまぶたを閉じても、いっこうに眠気はこない。
すべての神経が、横ですぐ寝息をたてはじめた博に集中している。息遣いや、胸の上下、ちょっとした身動きにも反応してしまう。
(も、――もう、がまんできない!!)
嫌になるほどふたり同時だった。暗さに慣れた目は、博をはさんで互いが身をおこしている姿を容易に映す。
(こら、おまえ、ふらちなことしようとおもっただろ!)
(おまえこそ! このけだもの)
(どっちがだよ、ひろくんはぼくのものだ!)
息をひそめ、激しくも静かな戦いをくりひろげる双子の間で、争われていると知らない博のからだが大きく、身じろぎした。
「う……ん」
暗闇にたたずんでいた。
しかしそこはどうやら部室のなからしい。
サッカー部のユニフォームをつけた博は、わき腹からはいあがってきた武骨な手に、息をのむ。
短パンのなかにたくしこんでいたユニフォームを手がめくりあげ、博が唖然としてる間に、その手は肌にふれてきた。その感触に、博は鳥肌をたてて後ずさる。
どん!
人に当たった。背後に人がいたのだ。熱い息が、博の耳の後ろにふきかかり、大きく肉の厚い、さきほどの手が、さらに博の肌をはいあがってきた。
「――な……っ、ちょ……」
湧きあがってきた嫌悪感に顔をしかめながらもがくと、肌をさわってくる手とは反対の腕が、背後から腰を抱きしめてきた。背後の人物が己の腰を押し付けてきて、博はハッとし、青ざめたかとおもうと、怒りで顔を真っ赤にした。
「てめぇ、ふざけんなよ、離せ!」
「――鈴木くん……君が、君が……」
熱い息とともに吐かれたかすれた声は、たしか……。
「ちょっ……先輩、こんなの洒落になりませんよ!?」
博が抗議の声をあげる間も、すごい力で博のからだを押さえ込みながら手はうごきをやめず、あろうことか舌でねっとりと、生え際をなめあげ、首筋を吸い上げてきた。博は全身をつかって抵抗した。短パンのなかに、腰を押さえ込んでいた手が伸びてくる。その手首をつかんで阻もうとするが、手は意にかえさずそのまま侵入してくる。
「――――――!!」
博は叫びにならない叫び声をあげて、布団を蹴り上げていた。
「ひろくん、しっかりして!」
あまりの光りのまぶしさに目がくらんだ。荒い呼吸音。
(ざ、ざっけんな……ふざけんな、よ……おれはひとにどうこうされるような……)
混乱した感情。怒りでからだが震える。
「ひろくん、ひろくん、大丈夫、大丈夫だよ」
「ひろくん、落ちついて、落ちついてよ」
だんだんと、博は状況を飲みこむことができるようになった。全身をこわばらせた博を、浩一が布団のうえで腰をおろして抱きかかえ、浩二が、博の顔をのぞきこんでいた。
「大丈夫? ぼくだよ」
「…………浩二……」
どうにか呼吸がおさまってきて、博は名を呼んだ。浩二はやさしく微笑みかえすと、パジャマの袖を手のひらに伸ばして、その部分で博の額をぬぐった。
「ひろくん、お茶、もってこようか」
「――うん……」
横から声をかけた浩一は、博を抱きしめていた腕をはずすと、何度か博の肩を撫でたあと、立ちあがって部屋をでた。廊下を裸足で歩いていく音がつづく。
浩一の支えがなくなった博を、反対側から浩二が抱き寄せた。
「おれ、……なんか……でっかい声、出した……? あ、いや、出したよな……」
「出してたね……目、さめちゃったよ」
「だよな……」
博は自分の足を見下ろして、浩二と視線が合わないようにした。
「ひろくん、お茶だよ。飲んで」
浩一の声に顔をあげ、ガラスコップを片手でうけとろうとして、力がはいらなかったので両手でうけとった。
「おかわりいる?」
「も、いいよ。ありがとうな」
博が飲み干したコップを浩一がうけとり、部屋の端に置いた。
時計は、午前四時前をさしていた。
「ひろくん、白状しますが、ぼくは外国暮らし中、ベッドサイドの明かりはつけとく主義だったんですよ。だからどうも真っ暗にされると寝にくくて、豆電、日本ではできますよね? それしちゃいけません?」
乱れた布団を直しながら、浩二がいった。
「寝にくいねぇ……怖いの間違いじゃねーの?」
再度、身を布団の中にもぐりこませながら博が子憎たらしそうにいう。浩一が我慢できないというように、くすくす笑う。
「やだなぁひろくん、海外は治安が悪いんです、ベッドサイドの電気を明かりをさげてつけておくのは防犯行為も兼ねてるんですから」
「本当かよ」
「六年の実績を疑わないでください」
「そうそう、ぼくたちを信じてよ、ひろくん」
部屋の電気は真っ暗にせず、豆電灯だけになった。
三人は床につき、はりつめた空気は弛緩し、ついには追い出された。両脇に眠る双子の存在を何度も何度もたしかめ、博は暗いながらも明るい天井を、ようやくまたおもたくなってきたまぶたに命じられるまま閉じて、やがて眠った。